| 円城塔氏についての誤記のお詫び(ブログ その82) |
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| 作者: 坂東昌子 | |
| 2012年 1月 30日(月曜日) 19:32 | |
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ブログ その81で、円城氏の物理学会誌によせられた記事について書きました。 それに対して、円城さんから「過去、佐野研に所属したという事実はありません。」というメールを頂きました。私の方が、ずっと誤解していたようで、確かめもせずに、記事を書いた事をお詫びします。実は、東京大学大学院というところまでは間違いはなかったのですが、佐野研ではなくて、金子邦彦教授の研究室だったそうです。早川さんには、「確認せず書いたのは失敗でしたね。」と言われてしまいました。円城さんには失礼をいたしました。事実誤認をしたことをお詫びします。佐野さん、早川さん、そして、金子さんにも申し訳なかったと思いました。早川さんに確かめるべきだったと後悔しています。 実は、早川さんも佐野さんも、当時日本物理学会の理事でしたので、早川さんと分野が近い方として、ダイレクトに、すぐ佐野研と思いこんで、ずっとそれが訂正されないまま、今日に至っていたということでしょうね。ただ、よく考えると、ちょっと違和感があったことも事実です。研究者の世界ですから、同じ研究室でも、個性があり、時には全く正反対のキャラクターがみられることも事実なのですが、それでも一種の研究室の雰囲気があります。もちろん、どの研究室に入ったからこういう考え方、というわけではありません。しかし、科学に向きあう姿勢というか、考え方というか、そういうものが、やはり、研究室によって異なります。 例えば、私の育った湯川研では、伝統的に、色々なタイプの研究者が生み出されました。湯川先生は、大学院生に懇切丁寧に指導するというタイプではありませんでしたが、「好奇心」の強い方でしたので、好奇心の対象をどこに定めようと、好きなようにさせておられました。この湯川先生の学問への姿勢を反映して、素粒子論だけではなく、物性分野、生物分野、宇宙分野、はては科学史をやる人まで、さまざまな先輩がおられます。2005年に基研の研究会として組織した「学問の系譜」では、その精神を象徴されている、南部陽一郎先生、林忠四郎先生、大沢文雄先生、などが話してくださいました。断っておきますが、この先生方が、湯川研出身というわけではありません。こういう伝統が日本の素粒子論グループにはすっと受け継がれていたという意味です。学問の系譜で問題にしたのは、この精神でした。この記録はとても面白いので、「本として出版したら」と言われたものです(これについてはまた別にお話しします)。 さて、何となくですが、佐野研というと、みんな楽天的で、ネアカが多いという印象を何となく持っていました。何でも面白がるというか、なんでも科学にするという寺田寅彦のキャラクターです。正直言うと、当時、円城さんの文章は、さすが筆のプロだけあって、リアルに描かれているのですが、「やりがいのある仕事はリスクも多い」といった雰囲気がありました。事実そうなのですが、とはいえ、「新しい分野に挑戦して、いろいろなキャリアで自分の能力を発揮したらいかが」と励ましてほしかった私としては、ちょっとびびったものでした。それはまた、視野を広げて、「世の中にはいろいろ面白いことがあるよ。それを追求したらもっと能力が生かせるかも」といった転身を促すという意味だけではありません。当時、このポスドクシリーズの世話係だった私は、世の中の色々な現象に目を向け、これまで培った科学的な訓練を生かす道を進めば、学問分野としても、物理学がより豊かになるという思いがあったからです。 それで、円城さんのポスドクシリーズに、私のコメントをつけようと考え、当時、私の思いを書いたのでした。書いたものの、結局躊躇して、出さずに埋もれていました。ファイルが見つかったので、これを紹介しようと思います。 **円城さんの「ポスドクからポスドクへ」の寄せた想い(2008年2月26日ファイルより)**
「やりがい」が仕事になるような、そんな社会こそ、豊かさへ向かう人類の目標なのではないでしょうか。それが本当の豊かさなのだ、と思います。金持ちよりは、そんな豊かさのある未来に向かって進みたい、科学がそのために、役立ってほしいなあ・・・。 それにしても、円城さんの文章は読み返してみて、「非正規研究者」という立場の実態をリアルに描き、大学院重点政策を推進した大学人に警告を発しているのがひしひしと伝わりました。そして、3・11以後、私たちの見失ったものを教えてくれたのではないか、と思うこのごろです。 |
