| 「あいんしゅたいん」でがんばろう 39 |
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| 作者: 佐藤文隆 |
| 2011年 11月 05日(土曜日) 17:06 |
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理科とSTEM 第7回 米国内政の特異さ ヨーロッパ先進国と比べても、アメリカの教育制度は日本と大きくかけ離れている。これは独立以来そうなのであって、近年、次第に日本やヨーロッパの方に向って動き出したというところである。今後は連邦政府の教育への関与は強まると思う。 州と学校区 小中高は何れも学校区の運営で、財政は州とその下の自治体の折半というのが多い。ともかく、上から制度が作られていないので多種多様である。 連邦政府に教育省はあるが(これも独立百年ぐらい後にできた)、ここは給与や費用などを調査して公表するのが役目である。これを参考に各地で改善を地方政府に関係者が交渉するわけである。連邦政府自体は予算は出さなかった。 パート的な小学校教師 都会でも田舎でも、小学校の教員は女性が大半である。職場が早く引けて、家事と両立するというスタイルが長く定着しているので、抜本的な待遇改善要求も出てこなかった面がある。私が付き合ったアメリカの研究者の奥さんにもよくそういう人がいた。我が子を育てた経験を活かしてという自信を持ってる人もいた。 学校問題が次第に連邦政府の問題に 1980年代後期から、学校問題は大統領選挙の争点にもなりだした。 連邦レベルで教育が取り上げられたのは1957年のスプートニクショックだった。STEM文書でも半世紀も前のこれが引き合いに出される。この時のキーワードは防衛であった。理数科だけでない、学校教育でのその後の連邦レベルの流れをピックアップすると、まず公民権運動がある。Affirmative(肯定的)というキーワードだ。ベトナム戦争での道義的正統性の喪失とも絡み、また多様化尊重も世の中の伝統的倫理が弛緩さし、麻薬や非行などで家庭が荒れ、学校現場が荒れ出した。ここでzero-tolelance(不寛容)というハードな学校管理路線が推奨された。問題児は直ちに警察に突き出すという政策である。 そのうちに国際テスト比較などで学力後れが政治問題化した。ここでno-left-behind(落ちこぼれを出さない)なるキーワードで、全国テストで学校運営を評価して、予算付けや校長の解雇などを決めるのである。校長はプロ野球監督のような位置づけだ。これで全国的に最近の学校事情は一転した様だ。 内政化する米国 アメリカ政治から自由のための戦争や人権問題といった国際正義の憲兵を自認した役目が後景に退き、雇用や健康保険や貧困といった内政に連邦政治の関心が向かっている。STEMも一種の経済の成長政策なのである。 冷戦崩壊時の1990年ごろ、クリントン大統領が登場して健康保険に連邦が関与する福祉を試みたが、「連邦が民生に関与しない」従来路線に跳ね跳ばされて失敗した。SSCという素粒子加速器建設が中止にしたのはこの抵抗を打ち砕く突破口にしようとしたものだったが、SSCだけが解体されて終わった。拙著「科学と幸福」(岩波現代文庫)はこの事件を動機に書いたものだが、その際に、ここに書いたような日米の行財政システムの大きな差に気づかされた。 科学研究費に被ってくるのか 従来は研究費助成の連邦機関であるNSFを教育省とならべてSTEM実施機関と位置付けている。その他、NIH、NASA、DOEなどの科学技術の連邦機関にも及んでくるのではないか。すなわち、STEMは単にK12(kindergarten一年からの12年間の学校教育)と大学やカレッジの教育だけでなく、科学技術の研究開発体制全般に及んで行く可能性が秘められているような気がする。すなわち、ヴァナバー・ブッシュが大戦直後に打ち上げたEndless-Frotierとしてのサイエンスを実質的な支えであった連邦政府機構の大きな変質に結びついていく可能性が高い。冷戦崩壊の第一段に次ぐ、第二弾として、STEMは、今後、米科学界に浸透していくように思う。 「SからSTEMへ」は教育を現実社会に結びつける方向である。しかしその一方で、「学校はアジール(聖域、避難所、自由空間、無縁圏などの意味)である」という主張がある。現実社会の荒波に防波堤を築いてこそ学校の意義があると。次回はこの問題を考えてみる。 |
