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林檎の樹 ジョン・ゴールズワージー著

詳細

今回から、私が読んで印象深かった外国文学を断続的に紹介したいと思う。日本文学に関しては、日本文学散歩として別に連載したい。

「林檎の樹」

その記念すべき第一回は英国の作家ジョン・ゴールズワージー(1867-1933)の「林檎の樹」(1916)である。作者のゴールズワージーは1932年にノーベル文学賞を受賞している。その名前は夏目漱石の名著「我が輩は猫である」のなかで、ガルスウオーシーとして紹介されていた。「林檎の樹」はゴールズワージーの主著とはよべないが、珠玉の掌編である。実際、川端康成はこの本を読んで感動して、「伊豆の踊り子」を書いたといわれている。田舎の少女と都会の若者の、かなわぬ恋物語という点では似ている。

翻訳書としては次のものがある。 林檎の樹、ゴールズワージー(著)、渡辺万里訳、新潮文庫

話の内容は以下のようである。オックスフォード大学を出たばかりのロンドンの好青年フランク・アシャーストは友人のロバート・ガートンと、卒業記念の徒歩旅行に出かける。舞台は英国南部のダートムーアという曠野である。ちなみにムーアは少し高地で土地がやせていて、あまり木は成熟せず、ヒースという灌木が生い茂っている。トーという岩石の塔が名物である。本来は農業と牧畜が主な産業である。現在のダートムーアは国立公園であり、観光業が主な産業である。

その旅行の途中、アシャーストは足を痛めてしまう。そこでミーガン・ディビッドという17歳の美少女に出会い、彼女のおばのナラコム夫人が経営する民宿である農家に泊めてもらう。その家にはナラコム夫人の大きな息子ジョーと、小さい双子の男の子供たち、それに使用人で足の悪いジムがいる。ガートンは足がなおりきらないアシャーストを残して出発してしまう。アシャーストはその農家に滞在しながら、足を治すが、だんだんとミーガンに惹かれて行く。それをジョーは嫉妬する。そしてついにある夜、アシャーストはミーガンを林檎の樹の下で抱きしめる。そしてアシャーストはミーガンに結婚してほしいと告げる。

お金がなくなったアシャーストは、近くの海岸の保養地であるトーキーに行って、銀行からお金を下ろしたら、再び戻ってきて、それから二人で駆け落ちしようとミーガンに言う。トーキーについたアシャーストは、そこでイートン時代の友人のフィル・ハリディとその一家に出会う。フィルはステラという17歳の美少女の妹、それにサビナ、フリーダというかわいい双子の妹をつれて高級ホテルに滞在している。アシャーストはミーガンの元に帰ろうと思いながらも、この一家との滞在が楽しく、特にステラに惹かれていき、ミーガンの元に戻るのを一日延ばしにする。

ところがアシャーストは海岸を歩いているミーガンを発見する。帰ってこないアシャーストを探して、はるばる見知らぬトーキーまでやってきたのだ。アシャーストは声をかけるべきかどうか煩悶する。というのも、ミーガンは美少女ではあるが、所詮、田舎の娘であり、身分が違いすぎるのである。当時の、そして現在も英国は身分制の国であり、田舎の娘であるミーガンと中流上の家庭に生まれて、一流大学を卒業したアシャーストは、いわば家柄が釣り合わないのである。恋を取るならミーガン、世間体・常識を取るならステラである。一瞬思い悩んだが、ついに声をかけることをしなかった。

小説の冒頭は、ステラとの銀婚式の日にダートムーアに二人で自動車でやってくる場面から始まる。そこの道端でアシャーストは墓を見つける。はてだれの墓かといぶかっているときに、ジムがやってくる。アシャーストと認めたジムは、それがミーガンの墓であることを告げる。アシャーストに捨てられたミーガンは自殺したのだ。自殺者は正式の墓に埋葬しないという規則があり、ここに埋められたのだ。25年前の自分の行いの結果がこれであることを知って、アシャーストは愕然とする。

A Summer Story

この「林檎の樹」はA Summer Storyと題して映画化されている。アシャーストは映画ではアシュトンという名前になっている。アシャーストでは呼びにくいからであろう。ミーガン、ガートン、ジムはかわらない。小説では二人は抱きあってキスをしただけであるが、さすがに現代の映画ではそれでは通用しない。映画では二人は近くの農家の羊毛を刈る行事に参加する。その夜、二人は納屋の中で結ばれる。その後、アシュトンはトーキーに行き、そこでハリディ一家に会う話、ミーガンが探しにくる話は同じである。ミーガンはアシュトンの子供を身ごもり、お産のときに死んでしまうという話になっている。道端に埋められているのは、アシュトンが再び帰ってくるのを見たいからだという。また子供の名前もミーガンの望みで、フランクと命名された。映画では、ジムから事情を聞いたアシュトンが自動車を走らせているときに、息子のフランクとすれ違う。息子のフランクもステラも事情は知らない。感動的なシーンである。映画では全編をGeorges Delerueの美しい音楽が流れている。研究室で見せたとき、女子学生たちは泣いた。

それでは映画の内容をYouTubeで紹介しよう。まずは冒頭の部分。アシュトンとステラは自動車でダートムーアにやってくる。ステラはスケッチをするので、ピクニックの用意をしてほしいと頼む。そこからアシュトンの回想が始まる。ガートンがタバコ屋の娘を落とすのに、4週間と10ポンドかかったという。恋は頭でも心でもない、両足の間にあるとガートンはアシュトンをからかう。娘の名前を聞かれたガートンは知らないという。

ミーガンとアシュトンの初めての愛のシーン。ミーガンの友人の農家で、羊毛を刈ることになり、近隣の農民が手助けにいく。ミーガンと双子の男の子、それにアシュトンもいく。昼間の作業の後は宴会とダンスパーティになる。みんなが帰った後で、ミーガンは友人のベッドで寝るが、アシュトンは密かに納屋の二階で寝る。そこにミーガンが毛布を持って現れる。はげしい抱擁とキス。ミーガンを押し倒すアシュトン。

「ダメです」
「じゃあ、なんできたんだ」

Why?
Because I love you, Mr Ashton!

そして二人は・・・。美しいシーンと音楽。終わった後で、

You are beautiful!
Am I?

海岸の保養地トーキーでのシーン。アシュトンは彼を探しにきたミーガンを見つけて、後をつける。声を掛けるか、掛けないかで煩悶するアシュトン。そしてついにミーガンは振り向いた、その瞬間・・・。

最後のシーンとエンドクレジット。ジムと分かれたアシュトンはステラの運転する自動車に乗る。そして息子のフランクに出あう。それとは知らない息子は挨拶をする。ミーガンの面影の背後を美しい音楽が流れる。

「林檎の樹」と私

なぜ私がこれほど、「The Apple Tree 林檎の樹」に惹かれるか。実はこの小説は北野高校時代の英語の教科書であったのだ。また私の青春の蹉跌でもある。原文は下記にある。

今読み返してみると、結構難しい。よくこんなものを伏谷先生は高校の英語の教材に選んだものだと思う。先生自身が、この話に惚れ込んでいたのであろうと思う。生徒に一パラグラフずつ訳させたのだが、さすがにラブシーンのところだけは、先生が訳された。生徒が当惑するのを慮ってのことだろう。なんせ1960年のことである。生徒たちはまだウブであったのだ。

私が神戸大学の教授になったとき、私より10歳も年長の学生が入ってきた。彼もまた「The Apple Tree 林檎の樹」の愛読者であった。彼の大学の英語の教科書だったという。

高校でこの小説に多いに影響を受けた私は、実は同じような過ちを犯してしまったのだ。アシャーストと同じ年頃の私は、ガートンのような友人と一緒に、信州の田舎家に滞在したことがある。そこには姉妹がいた。京都の大学からやってきた二人の学生と、民宿の娘たち。姉娘が私に憧れたのは、当然の成り行きであろう。しかし結局、私は彼女を捨てた。都会育ちの私と田舎の娘では合わないと、母が反対したのも一因である。もっとも私たちの仲は映画どころか、小説のところまでも進んではいなかったのが、せめてもの言い訳である。その理由は、小説とは異なり、ガートンがいつもそばにいたからである。私はアシャーストとは異なり、その後、二度とその地に足を踏みこむことはなかった。しかし近くを通るたびに、心が痛むのである。

私はどうしてもダートムーアにいきたいと思った。私は英国に2年間も滞在した。私のいたカーディフはダートムーアからそれほど遠くはない。しかし、私の英国滞在中にはついに、いく機会はなかった。その後、私の学生が英国に留学したいと言ったときに、私も泊まれる大きな家を借りて欲しいといった。そしてついに私と家内は再び英国に行き、ロンドンにあるその学生の家に泊まり、彼の自動車で、彼の奥さん共々、あこがれのダートムーアにいった。ダートムーアの周辺の町に一泊、次の日はダートムーアのど真ん中の民宿に一泊した。そしてトーキーにも出かけた。その顛末はこちらの記事を参照のこと。

ちなみにダートムーアといえば、シャーロックホームズの中の長編「バスカビィル家の犬」の舞台である。また英国のミステリ界の女王アガサクリスティもダートムーアの生まれである。

   
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