研究所紹介  

   

活動  

   

情報発信  

   

あいんしゅたいんページ  

   

映画イヴの時間

詳細

「イヴの時間」とは未来に人間型ロボットつまりアンドロイドと人間が共生している世界を描いたアニメで、2008年にインターネットで公開され、2010年には映画として公開された。いろんな賞も獲得した。

なぜこの映画を選んだか?

実は私自身がこのアニメ映画を発見したわけではなく、見たいと思ったわけでもない。人からの推薦である。私は「AIサロン」という10人ほどのグループに属している。そこでは二月に一度集まり、AIを描いたSF映画を鑑賞して語り合うことにしている。この科学の散歩道で書いたSF映画はあらかたここで語り合った。そこで提案された映画が「イヴの時間」というわけだ。アマゾンプライムで見ることができた。

話の設定

近未来の日本で、ロボットが実用化されて久しく、人間そっくりのアンドロイドが実用化されてまもない時期に設定されている。アンドロイドは人間そっくりなのだが、人間と区別するために頭の上にホログラムのリングが浮いていて区別がつく。アンドロイドは、いわば昔の女中・家政婦や執事といった役割を果たし、主人に仕えている。アンドロイドは家電製品あつかいなのだ。

アンドロイドと人間の関係

昔の主人と女中の関係がそうであったように、人間とアンドロイドが心を通いあわせることは倫理的に良くないこととされており、人々はアンドロイドに対してぶっきらぼうな態度をとるように訓練されている。またアンドロイドも主人には無表情に仕えている。しかしアンドロイドに精神的に依存する人たちがいて「ドリ系」とよばれ、それを危険視する「倫理委員会」なる民間組織があり、広報活動を行なっている。

主人公

映画の主人公は二人の男子高校生だ。リクオとマサキという。リクオの家のアンドロイドのサミィは若い可愛い女性の外観をしているが、命令されるとコーヒーを入れたり、雨の日には学校に傘を持ってきたりと無表情に家族に仕えている。

イヴの時間

リクオはサミィの行動記録に不思議な記録を発見する。イヴの時間というところに行っているらしい。リクオとマサキはGPSでその場所を調べて行って見ると、雑居ビルの地下にある喫茶店だった。その入り口には喫茶店内ではロボットと人間を区別しないことと書いてあり、店内ではアンドロイドはリングを外していて、人間と区別がつかない。

ウエイトレスと常連客

店を切り盛りしているのはナギという若い女性である。初めは人間かアンドロイドか区別がつかないが、アンドロイドである。店の常連客として、いつも二人でいる男女、老紳士と賑やかな女の子、寡黙な男性などがいる。彼らはそこでおもいおもいに自由な時間を過ごしているように見える。

話の展開

リクオはイヴの時間で、自分の家のアンドロイドであるサミィと鉢合わせする。サミィはそこでは家と違って人間らしい振る舞いをしている。サミィはリクオのことを気遣っており、美味しいコーヒーの淹れ方をナギに習っている。またリクオがあることがきっかけで止めてしまったピアノの練習をしたいと思っている。リクオはイヴの時間に通ううちに、客たちと打ち解けるが、マサキはそれに反発して店に来なくなってしまう。話の後半はマサキと、倫理委員会に勤める父親との葛藤が語られる。

私の感想である。まずこの映画は淡々と進む。私は最近ハリウッド制作のテンポが早いアクションドラマばかり見ているので、「イヴの時間」の進み方の遅さにイライラした。しかし慣れてくると、これもいいものだと思う。私はどうもハリウッド映画に毒されているようだ。

またハリウッド映画のようなドラスティックな展開はない。もちろんあるといえばあるのだが、話の進行がゆっくりしているので、それほどハラハラドキドキしない。そのことが分かっていれば安心して見られる。倫理委員会というのが、ある意味で悪役なのだが、それほど無茶をするわけでもない。

私が感じた一番の違和感は、あれほど人間そっくりなロボット、アンドロイドなら、心を通わせるなというほうが無理だということだ。ロボットと心を通わせるのが倫理的でないという設定にはなかなか納得できない。なにか不都合があるのだろうか。実際、犬や猫などのペットを家族同様に大切にする人は多い。またペットの方も人間に懐く場合が多い。ペットが病気になると真剣に心配し、亡くなると家族の死以上に悲しむ場合もある。これらの行為を非倫理的とする人はいないだろう。

ただ少しわかる気がするのは、例えば昔の女中さんと男の主人が心を通わせたり、さらには肉体関係を結んだりすれば反社会的行為とされていた。それは女中さんがそれを嫌がればセクハラであり、嫌がらなければ、妻の立場から見れば夫の浮気であり裏切りである。私の昔の経験なのだが、親戚の金持ちのおじさんの家に行くと女中さんがいたが、その女性は知的に遅れていて、さらにいわゆるブスだった。母が語ってくれたことは、その親戚のおじさんは女中さんにすぐに手を出すので、怒ったおばさんが現在の女中さんを雇ったのだという。さすがにおじさんもその女中さんには手を出さなかったらしい。

イヴの時間では、それほど生々しい話はない。ただリクオの姉のナオコの立場からすると、サミィは同じ年頃の女性であり、サミィが家族として受け入れられると娘として姉としてはライバル関係になる。

ロボットやアンドロイドが人間と区別がつかないという設定は、映画「ブレードランナー」でもあった。その映画では人間に反抗的なレプリカントを殺していく。人間そっくりなレプリカントを平然と殺すという設定には強い違和感を感じた。

「イヴの時間」は、将来の人間とロボットの関係について考えさせられる。こんなに人間そっくりで、かつ意識を持つ強い人工知能であり、さらに無害で人間に仕えてくれるなら、人間同様に大切に扱い敬意を払うべきだと感じてしまう。会社には法人格があるようにロボットにもロボット人格とか人権を認めるべきではないだろうか。

問題は別のところにあると思う。この映画では語られていないが、ロボットと人間の性的関係である。実際、現在、人工知能を搭載したセックスロボットの開発が進んでいる。現在あるセックスロボットは意識もなく、体もうごかいないので、それに愛着を示す人間は特殊な存在であろう。しかし「イヴの時間」のアンドロイドや「ブレードランナー」のレプリカントのように体が動き、意識をもち、人間そっくりであれば、人間は彼らを性的対象として見てしまうであろう。それが良いことかどうかには様々な意見があろう。映画の倫理委員会のように、将来、人間がロボットと性的関係を結ぶことは非倫理的だと排斥する運動も出てくるだろう。

まとめ

「イヴの時間」では直接は語られなかったが、暗に提示する問題、つまりロボットと人間の愛情関係が今後問題になってくるであろう。それが性的関係にまで進むとなおさらだ。私の意見は他人に被害を及ぼさない限り、なにをしようが自由だと思う。

   
© NPO法人 知的人材ネットワーク・あいんしゅたいん (JEin). All Rights Reserved