原子力とはなんだろうか
原子力の「安全神話」などというものは実はないと分かっていたであろう原子力のプロである推進派も反原発派も、原発事故で実際に「安全神話」が崩壊した今、「自分たちはいったい何だったのだろうか」と意気消沈しているように見える。
一方この機会にメディアにドッと露出してきた「専門家」の中には専門でないことにまで怪しい専門知識をふりまいて人々に混乱を与え、誰を信用して良いか分からない一般の人々は安全・危険の座標軸から安心・不安の座標軸の上に乗せられている。
こうなると科学よりも神の世界になりかねない。原子力政策の正義は一つではないであろうが、原子力のプロではないもののプロ達とも接してきた演者が、これまでの原子力と今後について考えるヒントを提供する。
原子力の利用、狭い意味では核分裂エネルギーの利用は、原爆という兵器利用で始まるという不幸な出発をした。米国でも日本でも科学者は核兵器開発に動員された。
日本では戦後原子力を始めるに当たり平和利用に限り、核エネルギーの利用と放射線の利用が二本柱とされた。原子力発電に関しては、自動車など他の「文明の利器」では当然とされるリスクという概念はタブー視されて「絶対安全」が標榜された。神など信じてない技術者が神話の世界に陥る危険がはじめから用意されていたともいえる。
実際には未熟な技術段階であったにもかかわらず、政治的に急いで外国メーカーに丸投げの輸入路線が採られた。ある原子炉技術者は格納容器から水素ガスが漏れるということは考えてなかったと言っている。
原子力の関係者は今後の行動の判断基準を人々が自分たちに何を期待しているかに置くべきであるが、最重点にすべき2点は原子力システムの安全と使用済燃料の処分という不安に応えることであるように見受けられる。原子力に対するバッシングのために専門の科学技術者が逃げ出してしまうと大変なことになる。意気消沈している場合ではない。このような革新的技術の基礎研究を推進するとともにその研究的雰囲気の中で若い人材を育て続けることが重要である。そのような研究例のいくつかを紹介する。
講演者紹介
井上信(いのうえまこと)氏略歴:
京都大学名誉教授 理学博士(専門分野:原子核物理学、加速器物理学)
1962年京都大学理学部物理学科卒業
1965年大阪大学理学部助手
1971年大阪大学核物理研究センター助教授
1985年京都大学化学研究所教授
1999年京都大学原子炉実験所教授・所長(2003年定年退職)
この間、加速器による原子核反応の実験的研究および京大タンデム加速器、核物理研究センターAVFサイクロトロン、京大化研イオン線形加速器などの設計建設を行った
現在 立命館大学SRセンター顧問、福井大学客員教授、文科省「量子ビーム基盤技術開発プログラム」プログラムディレクターなど