2014年10月
10月8日 再開の辞といいわけ
2014-10-08
再開の辞と言い訳
このブログを月初めに書いては、その後続かないことがほとんどで、申し訳ない。理由は気力に欠けるからであるが、それには長期的、中期的、短期的理由がある。ここ一週間の短期的理由は、情報処理学会の解説論文を書くのに忙しかったからだ。タイトルは「来るべき技術的特異点と超知能の驚異と脅威」というものだ。書き終わって提出した後、ぐったりとなってしまった。
入歯
中期的理由は、年を取り歯が悪くなったので、入歯にすることになり、そのためになんと6本も歯を抜かれてしまったことだ。ここまで抜かれるとまともなものが食べられない。5本目までは、それでも例えばソーメンは食べられたのだが、最期の1本を抜かれて、それも食べられなくなった。それで何を食べるのかと聞かれるが、主食はおかゆで、おかずとして豆腐ととろろ昆布のみそ汁、ポテトサラダ、おから、なすびとナンキンの煮付け、カツオのたたき、マグロの切り身、バナナ、キウイ、イチジク、桃、ヨーグルト、野菜ジュース、牛乳などである。
少し前まではこれに、ソーメンが加わっていた。ソーメンは単にうどんの細いものである。ソーメンより少し太いのが冷や麦だ。そのうえが細いうどんで、讃岐うどんは固すぎる。ラーメンも固い。今の希望は再びラーメンが食べられることだ。歯がなくても(もちろんあるのだが、噛む役には立たない)、なんとかなるものであることが分かった。問題は美容上の問題と、気力が失せることだ。若い人々は歯を大切にするように。
潰瘍性大腸炎
長期的な問題は年を取り、健康上の問題がたくさん現れてきたことだ。私は20年以上も、いわゆる難病である特定疾患「潰瘍性大腸炎」を患っている。安倍首相と同じ病気である。この病気の症状は下痢と腹痛である。トイレに行きたくなると我慢できないのだ。いつ行きたくなるか分からないので、外出できない。外出するときはトイレの位置を確認しないと安心できない。通勤の時は、家から職場までトイレマップを頭の中に描いて、トイレからトイレに、あたかもオアシスからオアシスを旅をするラクダ商人のような心境で歩く。伝い歩きである。電車の場合は、駅のトイレであり、歩く場合は喫茶店だ。喫茶店が近くにない、あるいは喫茶店の間隔が遠い場合は困る。だから知らない所を歩くのは辛い。近くにトイレが無いと不安でパニックになる。室内にいる時は安心なのだが、山野を歩くなど出来ない。
安倍首相は前回の首相の時に急に辞任したのは、病気が悪化したからであろう。その事情は健康な人には理解も同情も出来ないだろうが、私にはよく分かる。外国要人との会談や、国会での答弁など、出来るものではない。「出物、腫れ物、ところ嫌わず」という。ちょっと違うか。いかな権力欲の主も、この病気には勝てない。しかし現在元気なのは特効薬が出来たからだと言っているが、それは違う。今の薬はアサコールで、その前はペンタサ、その前はサラゾピリンであった。基本的に同じ薬の改良版なので、特効薬ではない。特効薬などなく、治療法が分かっていないから特定疾患に入っているのだ。病気が重いからではない。ガンなどの方が致命的だが、特定疾患ではないので公費補助は無い。病気の定義の問題だ。
この種の病気はたとえ致命的ではなくても、若い人にとっては社会生活上致命的である場合がある。バス、トラック、タクシーなどの運転手を職業にしている場合、とても大変だろう。知人のご子息や娘さんにこの病気の患者がいるが、就職や結婚が難しい。私の場合は幸いにも、地位が確定して、安定してから罹患した。しかし当初の10年ほどは、無気力に苛まれた。無気力の原因は判然としないが、コンスタントな出血に伴う貧血のせいではないだろうか。この病気ではヘモグロビンの量が非常に低下するので、体にも頭にも酸素が回らないのだ。無気力になると生産性が低下する。他人にはなかなか理解してもらえない。現在は完治した訳ではないが(この病気は完治しない)、小康状態を得ている。寛解という。
今年に入って、特定疾患に関する政策が変わって、急に種類が増えたし、補助も手厚くなった。安倍首相の肝いりではないかと察している。前回の首相時には、潰瘍性大腸炎が特定疾患から外されそうになった。審議会かなんかが答申したのだろう。患者数が当初の2万人から、8万人に増えたのが理由であろう。患者団体も私も失望した。ところが急にその決定が取り消された。多分、安倍首相の介入があったのだろうと推測している。安倍ちゃんは好きではないが、少なくともこれだけは、私に取っては善政であったと思っている。ちなみに私の知人にも、サルコイドーシス、再生不良貧血など特定疾患の人がいるが、みんな社会的にちゃんとした地位を築いているので、病気になっても克服は出来るのである。
ブドウ膜炎
潰瘍性大腸炎は長期的無気力の原因だが、中長期的には潰瘍性大腸炎に起因するブドウ膜炎がある。これは眼球を包むブドウ膜に起きる炎症で、目がかすんで視力が低下するのである。数年前に罹患した。大晦日の日に急に目が痛くなって、目が開けられなくなった。どこの病院も開いていないはずなので我慢して、正月開けに眼科に行くことにした。しかし家内が心配して、京都市の急病診療所というのを調べて、タクシーで連れて行ってもらった。JR二条駅の近くにある。運の良いことには、ここは眼科と小児科だけがあったのだ。現在ではさらに内科、耳鼻咽喉科もある。診断は急性ブドウ膜炎で、6錠ものプレドニンというステロイド剤が処方された。そこでは2日間の薬しか処方できないということで、正月2日には急患として京都府立大学の眼科にお世話になった。それ以降、ずっとお世話になっている。この病気も完治することは無い。
実はプレドニンは潰瘍性大腸炎の特効薬である。サルコイドーシスの特効薬でもある。非常によく効くのだが、症状を抑えるだけの薬で、病気を治すものではない。むしろステロイド剤には、山のような副作用があり、長期間続けるのは良くない。とはいうものの、私はプレドニンを20年近くも断続的に服用してきて、これ以上飲むと重篤な副作用がでるという限界を既に超えている。
ブドウ膜炎がこまることは視力の低下である。私は左右の視力が異なり、視力の良い右目を罹患したのが痛い。その後は近視の左眼で世界を見ている。PCで作業するには眼鏡を必要として、これがなかなか辛い。そこでもっぱらネットはiPadでやっている。これなら目に近づけることが出来る。iPadの問題点は見るには良いのだが、入力は難しい。入力にはPCを使わねばならない。それもこのブログが滞る理由の一つである。
深部静脈血栓
私は2008年に深部静脈血栓を患った。左足のくるぶしあたりが痛くなりはれた。その時は、私が理事長をしていた団地の総会の時でもあり、その直後にある学会での講演があり、大変だったがなんとかこらえて通した。出張後に、当時通院していた潰瘍性大腸炎の主治医に相談すると、蜂窩織炎(ほかしきえん)であろうが、同じ診療所の専門の皮膚科医を紹介すると言われた。その医者の診断も蜂窩織炎ということであった。蜂窩織炎とは体に細菌が入って炎症を起こす病気である。治療法として抗生物質の点滴を日に二回、三日連続で行うことになった。その診療所は遠いので、関連の近くの病院を紹介された。それで三日間、治療したのだがいっこうに良くならない。別の案件で見てもらっていた整形外科の医者に言うと、それは深部静脈血栓ではないかという。そこで血管外科の医者を紹介された。それで深部静脈血栓の診断が確定した。
この病気の原因は静脈に血栓が出来ることである。足の膝裏に起こりやすい。症状としては静脈炎を起こすので、血管に沿った部分が腫れて痛くなり、むくむ。それだけで死ぬことは無いが、問題は血栓がはがれて、それが肺に詰まって肺塞栓を起こした場合だ。この場合は死ぬ可能性がある。飛行機で長期間座っていて起きるエコノミー症候群がこれだ。震災などで自動車の中に寝泊まりするとおきやすい。足を下にしていることでうっ血するのと、水分不足になるからだ。私はこれ以後、海外旅行をしないことにしている。
予防法としては、血が固まらないように、水分補給をする、飛行機の中では足を動かす、寝る時は足を高い位置におく、弾性ストッキングをはいて足を締め付ける、などである。薬ではワーファリンを飲み、PT-INRの値を上げて、血液の凝固をおきにくくする。私はこの病気でも、病院通いを続けている。潰瘍性大腸炎も深部静脈血栓もおなじ内科医に見てもらえるので楽である。
脳梗塞
私は数年前に駅の階段で転倒して頭部を打った。階段を下りている時に、急に右足の力が抜けて、前に倒れる時に左側の鉄の手すりに頭を強打したのだ。急に力が抜ける現象はこれで二回目であった。一回目も駅の階段を下りる時におきたが、その時は膝をついて、ズボンに穴があいた程度の被害ですんだ。階段は上る時よりも下りる時が危険である。すぐに病院に行き、神経内科の先生にかかった。頭部のMRIを取ったら、かなり大きな脳梗塞が見つかった。転倒が原因なのかどうか調べるために、日をおいて再度検査したら、発展が無いとのことで、転倒が原因というよりは、以前に出来たものだろうという。隠れ脳梗塞だ。顕著な症状は出ていない。指先で鼻の頭に触れるか、左右の指を合わせられるかといった検査をしても、問題なかった。脳梗塞も深部静脈血栓も血液が固まることに原因がある。脳梗塞の予防薬はワーファリンよりもむしろアスピリン、バッファリンなどだという。しかし私の場合、ワーファリンを処方されているので、その上にバッファリンを処方すると血液が止まりにくくなり過ぎで、今度は脳出血などの危険性があるという。結局、ワーファリンだけにしている。
頭部違和感
いろんな病気を書いたが、しかし現在一番生産性を阻害している原因は、頭部の違和感である。頭の左側頭部に何ともいえない違和感がある。なんか締め付けられているような、触れているような違和感である。帽子をかぶると、それ自体が違和感があるが、神経は面白いもので、強い感覚の方を選んで、弱い方は抑圧するらしい。だから帽子をかぶって、そちらの違和感が勝つと、頭部違和感は感じない。私が講義でも帽子をかぶっていたので、学生にとがめられが、理由を話すと納得してくれた。冬はニット帽、夏は麦わら帽をかぶっている。女子学生の中で可愛いといってくれる人がいたのが、救いである。テレビ出演もこれで通して、いぶかられた。帽子をかぶっているのは、おしゃれのためではないのだ。
先の神経内科の先生に相談したが、原因は分からないという。首のMRIやレントゲン写真を撮ったら、頸椎が多少すり減っているが、年相応のことだという。しかも頸椎が問題だと、症状は手に現れるはずだ。頭部へ行く神経は三叉神経といって、もっと上から分岐している。ともかく原因不明ということで、その医者は「もう来なくていいです」と言った。後輩の整形外科医に相談したら頸性頭痛だろうという。もっとも私の場合、頭痛はなく違和感だけである。首の筋肉が何らかの原因で硬直して神経を圧迫しているのだろうという。実際、胸鎖乳突筋がいつも凝っている。首の後ろも凝っている。整体指圧に行き、首をマッサージしてもらったが、効き目なし。
首を立てていると辛くなるので、寝転んでいる姿勢が一番だ。朝の起床後が一番ましで、時間とともに辛くなる。長い会議などは、とてもおっくうだった。会議時間の合間にソファに寝転んでいたのは、他人から見ると行儀が悪く見えただろうが、仕方なかった。宮勤めが終わったのが救いである。ともかく今の私の生産性を一番そいでいるのは、この頭部違和感である。ほとんど寝たきり人生を送っているからだ。
というわけで私は69歳になった時に6重苦であると周りに言った。最近、人の平均寿命が長くなっている。しかし健康でなければ、長寿も災いでしかない。日本の男性の平均寿命は80歳程度であるが、健康寿命(日常生活に制限の無い期間)は70歳程度といわれるが、まさにその通りだ。最近は病院、歯科通い増えて医療費が生活費のかなりな部分をしめるようになった。同窓会なんかでも病気自慢が始まる。より重篤な病気の方が勝負に勝つのである。健康が大切だと言うことは、失って始めて気がつくのである。