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京都秘密名所巡り 4・・・少しは知られた寺社

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前回まで京都名所巡りとして、あまり知られていない、またはなくなってしまった、あるいは入ることが出来ないような寺社を紹介してきた。今回はもう少し、まともな寺社を紹介したいと思う。

まずは比叡山の借景で有名な円通寺である。臨済宗の禅寺で、場所は左京区岩倉幡枝町(はたえだ)で京都バス「円通寺道」バス停から10分である。あまり便利なところではない。もとは後水尾天皇の山荘であった。天皇が色々回って、比叡山がもっとも雄大に見える地を選んで建てたという。枯山水庭園の向こうに雄大な比叡山が眺められる。座敷の奥に座って、木の柱越しにお庭と、その向こうの比叡山を見るのがよい。以前に行ったとき、心を癒す旅に出た?若い女性が一人、じっと座敷に座ってお庭を眺めていたのが印象的であった。「そうだ京都、行こう」である。京都市が許可したため、このあたりが開発されて、この見事な眺めが台無しになるので、行くならお早めにどうぞ。円通寺の西側の急坂を登った住宅地にあるアトリエリプラという喫茶店からの、比叡山の眺めも見事である。

つぎに大原の宝泉院である。大原というと三千院と寂光院が有名で、ここに行けば大原に行った気になる。しかし京都の通としては、宝泉院をおすすめしたい。三千院をさらに向こうに行ったところにある。拝観料は800円と高いが、茶菓つきである。ここのポイントは、庭園を眺めるのに、座敷の後ろに座って、柱と柱の空間を額縁に見立てるのである。以前、庭近くに座っていたときに、係の人にそれを言われて、それ以後は、後ろに座ってお庭を眺めることにしている。行くたびに観光客が、庭近くに座っているので「ど素人」と心で思うことにしている。庭には竹林があり、それを通して大原の山が見える。ここのもう一つの見所は血天井である。関ヶ原の合戦の前に、徳川の家臣・鳥居元忠が伏見城で豊臣の大軍に攻められて自決した。そのときの遺構が、ここに移設されたという。

つぎは六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)である。清水寺の近くだが、東大路と鴨川の中間にある。この寺の名前を知ったのは、以前紹介した森見登美彦の小説「有頂天家族」によってである。この小説の主人公は、下鴨神社のある糺の森(ただすのもり)にすむ狸である。その狸一家の次男がカエルに化けて元に戻れなくなり、六道珍皇寺の井戸の底に住んだという。この井戸は平安時代の貴族の小野篁(おののたかむら)が、夜ごとにそこを通って地獄におり、閻魔大王に仕えたと言われている。小野篁といえば、百人一首で「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」というのがある。遣唐副使に任じられたが、遣唐正使と喧嘩して乗船拒否したため、隠岐に流されたという。

ここにたどり着くのは大変であった。私は建仁寺から携帯電話のGPSを頼りに歩いた。始めは六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)にたどり着いてしまった。六道珍皇寺は六波羅蜜寺の北の方向、松原通にある。松原通は東大路の清水道から西に行く通りである。「冥土通いの井戸」は、近くに寄ることが出来ない。戸を通して眺めるだけになっている。六道とは6種の霊界であり、このあたりは現世と冥界の接点である「六道の辻」である。付近は、昔は鳥野辺といわれ、平安時代からの葬祭場であった。寺の門前に京名物「幽霊子育飴」を売る店がある。子を宿して死んだ母親が幽霊になって夜ごとに飴を買いに来たといわれている。いずれにしても、このあたりは不気味な場所なのである。

   
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