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聖子ちゃんの冒険 その9

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九十四露神社の冒険

聖子ちゃん危うし

五山送り火鑑賞会があった夜の聖子ちゃんとお母さんの会話である。お母さんが言った。

「聖子、お父さんの秘書の坂本さん、どう思う?」
「歌がお上手で、それにとてもきれいな人ね。お父さんもあんな、きれいな秘書さんを持って幸せね。あっ、お母さん、ひょっとして坂本さんに焼いている?」
「そんなことじゃないよ、あんた。坂本さん、森先生に惚れているよ。下手をすると先生を取られてしまうよ」
「ええっーー、そんなこと、ちっとも分からなかった」
「あんたも、ニブいねえ、坂本さんが歌っていたときに、じっと森先生の目を見つめて、先生だけに語りかけていたでしょう。あれは気がある証拠よ。それも相当気があるよ」
「そういえば、坂本さん、お父さんの連絡を持って時々、秘密研究所に高山先生と林さんを尋ねて来られるのだけれど、その時に森先生がいらっしゃると、坂本さん、なかなか帰らないのよ。話が面白いから聞いているとおっしゃっていたけれど、森先生が 目当てなのか・・・」
「そう、そうなの、あぶないわね」
「聖子、先生を取られたら困っちゃう」と聖子ちゃんはウルウルしだした。
「あんたは子供だから、坂本さんの大人の女の魅力には敵わないわよ」
「どうしよう、お母さん」
「いつも言ってるじゃない、フリフリの服を着ていないで、もっとスケスケの服を着なさいって。それにもっと胸元の開いた服を着るのよ」
「どうして?」
「男はバカだから、そんなのに弱いのよ」
「先生はバカじゃないよ、天才よ」
「そう言う意味じゃなくて。男はどれほど頭が良くても、そんなことには弱いのよ」
「どうすればいいの?」
「あんた先生と2人だけでデートしたことある?」
「いいえ、いつも5人で行くわよ」
「今度、先生を誘って2人だけでデートしたら? 」
「うん確か、先生は以前、九十四露(ことしろ)神社に行こうとおっしゃってたわ」
「どんなところ?」
「ひと気のない、すごい山の中だそうよ」
「そんなひと気のないところなら、なおさらいいじゃない。チューされるかもよ。今度の土曜日にでも、二人でそこに行ったら? 善は急げよ。今から先生の部屋に行って誘ってみたら?」
「うん、そうする」 

というわけで、聖子ちゃんは早速、森先生の部屋に行った。先生はいぶかったけれども、確かに以前、聖子ちゃんを連れて九十四露神社に行こうと約束したことを思い出した。先生は他の3人も誘おうと言ったが、聖子ちゃんは二人だけで行きたいと断固主張した。聖子ちゃんもお母さんに脅かされたので、必死なのである。森先生は承知した。 

九十四露神社第一回探索行

次の土曜日に2人は軽い山行きの服装をして出かけた。聖子ちゃんは、お母さんのススメにより、一生懸命2人分の弁当を作った。鹿ヶ谷へは出町柳のバス停から17か203番のバスに乗って、錦林車庫前で降りるのが便利だけれども、歩いて行けない距離ではないので歩くことにした。そもそも聖子ちゃんにとって九十四露神社を発見するという目的は二義的なことで、先生と2人でデートするのが目的なのである。

2人は家を出て今出川通りを東に歩いた。百万遍の交差点を渡り、銀閣寺道まで行った。交差点を通過して、さらに疎水にそって歩き、南に折れて哲学の道にそってしばらく歩いた。ここは春の花見シーズンには、すごい人混みになるところだ。今日はまだ晩夏なので観光客の数も少なかった。とある十字路で左(東)に曲がり、疎水を超えてしばらく歩くと、谷の御所「霊鑑寺」につく。ここは普段は入ることが出来ない。 

霊鑑寺の南に細い上り道があり、その道に「此奥俊寛山荘地」という標識がある。この辺りは鹿ヶ谷(ししがたに)といい、昔は貴人の山荘などが多くあったと言う。俊寛というのは平安時代末期の僧で、平家の横暴に憤って、その山荘でクーデター計画を練った。しかし裏切りの密告で捉えられて、鬼界ヶ島に流され、そこで死んだ。その話は能や歌舞伎、小説の「俊寛」になっている。

霊鑑寺の南に隣接する道を東に10分くらい歩く。道に沿って人家や円重寺、作業場、民宿の正楽苑などがある。正楽苑のところでおおきく右に回る。やがて右手に瑞光院がありその前を通る。そこには浪切不動明王もある。瑞光院に入らずに進むと京都一周トレイルの標識と「俊寛僧都跡旧道」の石碑がある。二人はここで左手の道を取り、細い山道を登って行った。渓谷沿いに20分くらい登ると楼門の滝がしぶきを上げていた。このあたりには昔、滋賀県にある三井寺の別院如意寺があったと言う。滝の横の急な石段を上ったところに石碑があり「俊寛僧都忠誠之碑」とあった。

たしかに俊寛山荘跡とされる所はあったのだが こんな山奥に山荘があったとは、とても信じられない。平安貴族にとっては通うのが大変だったろう。 二人はくたびれ果てたので、そこで弁当を食べることにした。聖子ちゃんにとっては、それはそれで楽しかった。自分が精魂込めて作った弁当を森先生は「この味がいいね」と言ってくれた。聖子ちゃんは感激して「この味がいいねと 君が言ったから 八月十八日は 弁当記念日」という短歌が心の中にすっと湧いた。私は文学の才能もあるのかしらと、ふと思った。

目的の九十四露神社が見つからないので、結局その日は諦めて帰ることにした。松谷先生にもう一度、よく聞かなければならない。二人はすごすごと元の道を引き返して、大学に行った。秘密研究所に行ってみると、土曜だと言うのに行くところがないのか、松谷先生、高山先生、林君がいた。二人がことの首尾を語った。

「松谷先生、僕と聖子ちゃんは今朝、九十四露神社探しに行ってきました。確かに俊寛山荘跡は見つけたのですが、九十四露神社は見つかりませんでした」と森先生は言った。
「なんだ、君たちだけで行ったのか。抜け駆けして」と松谷先生。
「へへへ・・・」と聖子ちゃん。
「あそこは簡単に見つかるようなところじゃない。坂を上って行ったところに別れ道があったろう。それを君たちは左に曲がったのだ。しかし右に行くべきだったのだ。右に行くと、なんか怪しげな人家がある。その人家の軒先というか、庭先と言うか、そこを通って行くのだ」
「ああ、そうだったのですか。右手の道には確かに人家があり、その前を通るのは憚られたので、左手の道を取ったのですが、それが間違いだったのですね」
「そうだ」
「今からもう一度行くのは、とても大変なので、明日もう一度チャレンジしないかい、聖子ちゃん?」
「はい、そうしましょう」と聖子ちゃん。

聖子ちゃんは、また森先生と二人でデートできるので、 喜んで行くことにした。もし九十四露神社が見つかったら、森先生は喜んでチューしてくれるかもしれない。そんなうれしいハプニングを聖子ちゃんは密かに期待した。いっぽう森先生はまじめなものだから、聖子ちゃんの為になんとかして発見したいと思っている。もし発見できれば事代主(ことしろぬし)のお力添えで、聖子ちゃんにキスできる勇気が与えられるかもしれない。そんなハプニングを森先生は密かに期待した。

九十四露神社第二回探索行

次の日は時間を節約する為に、バスで錦林車庫前までいき、そこから歩いて、例の京都一周トレイルの分かれ道まで来た。そこで右の道を通ると、いわくありげな民家があった。京都と言う大都会にこんな田舎家があるかというような家であった。水道のかわりに、水を谷川から引いてくるホースがあったのだ。冷蔵庫などが置いてある、時間に取り残されたようなその家の庭先を横切るような形で、二人はおそるおそる進んだ。坊主頭の若い人がいて、こちらを不審そうな顔で眺めていたので、二人は足早に進んだ。

確かにその民家の奥にも道は続いていた。ところがこの道と言うのが、非常に荒れ果てていて、至る所に倒木があった。ほとんど整備されていない廃道のようである。こんな道を歩く人はほとんどいないだろうと思われた。なんか薄気味悪い道であるが、聖子ちゃんにとっては、森先生がついているので怖くなかった。というか、こんなひと気のない人跡未踏の道を歩くので、森先生との間に、なにかハプニングがないかしらと、聖子ちゃんは密かに期待したりもした。しかし行けども行けども、九十四露神社らしいものはなかった。道は倒木に覆われていて、二人はますます不安になった。

そしてついに「左、俊寛旧跡」と書いた石碑が見つかった。左と書いてあるのだが、道の左にそれらしい道はなかった。そもそも俊寛旧跡は、ここからは、はるかに北にあるはずだ。昔はそこに通じる道があったのかもしれないが、今は草木に埋もれてしまったのであろう。二人は仕方がないので、さらに道に沿って山を登って行った。するとやがて整備された山道にたどり着いた。それはトレイルの道であるらしかった。その道を山頂沿いに北に向かって歩いた。

あるところに左手の西におりる怪しげな小道があった。ひょっとしたら、その先にあるのかもしれないが、道に迷うと嫌なので、そのまま歩いた。するとなんと大文字の火床にたどり着いてしまった。こんなところに火床があるとは想像もしなかった。登山客もいた。二人はそこで弁当を食べた。聖子ちゃんにとっては、それはそれで楽しかった。弁当を食べ終わってから山を下りると、なんと銀閣寺の近くにたどりついた。普通はここから大文字山を登って、火床に行くのである。実際、登ってくる人たちともすれ違った。二人は普通とは全く違うルートを辿った訳だ。ともかく、今日も九十四露神社を発見することは出来なかった。

その帰りに二人は歩いて大学に行き、また秘密研究所に行った。そこにはよほど行くところがないのか、例の三人がいた。そのほかに松谷先生が九十四露神社探索を依頼して成功したという、大学院生の山田誠子さんもいた。松谷先生が紹介したので、二人は誠子さんと挨拶を交わした。

「こんにちは、私、森田聖子といいます。三回生です。物理学を専攻したいと思っています。誠子さんのご専門は何ですか?」
「私は素粒子実験です」
「わあっ、素敵そうですね。具体的には何をしているのですか?」
「神岡鉱山の地下にあるカミオカンデというニュートリノを測定する装置があります。それを新しくする計画があり、そのための測定器の製作をしています」
「わあっ、すごいですね。それにカミオカンデのある地下の秘密研究所もわくわくしますね」
「まあ、秘密ではなく見学会もありますけれどもね。でもすごい田舎ですよ。熊が出ます」
「まあ、こわい」
「だから私は、いつも熊よけの鈴を持っているのですよ」
「へえー、誠子さんはいつも京都にいらっしゃるわけではないのですか?」
「毎週、神岡に通っています。京都から北陸本線で富山まで行き、そこから岐阜県の神岡鉱山まで、列車とバスを乗りついて行きます」
「うあ、たいへんそうだなあ、でも楽しそうだなあ、私も神岡に行きたいです」 

ここで森先生が口を開いた。

「山田さんは九十四露神社を再発見されたそうですが、私たちはどうしても発見できませんでした。昨日、松谷先生のご教授で、分かれ道で右の道を取り、怪しい民家の軒先を超えて、倒木のある道を進んだんですが、山頂のトレイルについてしまいました」
「あっ、それは行き過ぎですよ。その道の途中に、鳥居の跡があるのです。鳥居はすでに崩れてしまって、存在しません。でも注意してみると、その跡があるのです。そこを左に、つまり北に曲がります。そして道無き道を進んで行くと、九十四露神社にたどり着きます」
「道無き道ですか?」
「昔はそこに九十四露神社に通じる参道があったのだよ。鳥居はその入り口を示す標識だ。僕はその参道を通ったのだ」と松谷先生。
「ええ、でも今は参道は朽ち果てて、無くなってしまいました。ですから藪漕ぎをして行かなければなりません」と誠子さん。
「うーん、それはたどり着くのが難しそうですね」と森先生。
「どうだ、今度の週末にはみんなで九十四露神社に行かないかい」と松谷先生。

一同は賛成した。しかし聖子ちゃんは少し面白くなかった。というのは、みんながついてくると、森先生とのハプニングは期待できないからだ。「人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死ぬが良い」という言葉が、また聖子ちゃんの脳裏をかすめた。しかし、森先生がそう言うのなら仕方ないか。森先生はあくまで草食系なんだから。少しは肉食系になればいいのにと聖子ちゃんは思った。もっともオクテの聖子ちゃんにとっては、草食系、肉食系ははやりの言葉だけで、その真の意味はなにも分かっていなかったのだが。

ついに九十四露神社発見

次の週の土曜日に例の5人は秘密研究所に集まった。みんな簡単な山行きの装備をしていた。聖子ちゃんと森先生を除く3人はコンビニで弁当とお茶を買った。そこから歩いて例のトレイルとの分かれ道までたどり着いた。そこを右に曲がり、怪しげな民家の軒先を通り抜け、廃道となった山道を登った。皆は道の左手にあるはずの、鳥居の跡を必死で探しながら歩いた。すると林君がそれを見つけた。非常に細い鳥居らしく、片側は細い棒が途中まで伸びているが、反対側は基礎だけがわずかに残っていた。これでは見落とすのも当然だ。そこから山の中を見ると、遥か彼方になにか建物らしいものが瞥見された。そこで一同はその鳥居跡から道を外れて、藪漕ぎを始めた。これが正しい道かどうか、本当に九十四露神社にたどり着くのか、一同は不安であった。しかし山田さんはたどり着いたのだから、大丈夫であろう。一同が歩いている道の左手に沢があり、水が少し流れていた。だから今歩いているところが、かつての参道であったのだろう。

しばらく道無き道を行くと、前方の木々の間にそれらしきものが見えたので、皆は歓声を上げた。その建物を目指して皆は参道とも言えない道を登った。だんだんと建物が近づいてきた。ようやくたどり着いたときは皆は歓声を上げた。そこにはいくつかの建物があり、その一つは社務所の廃墟であった。周りには至る所に倒木があった。なんと社務所の屋根の上にも、倒木が覆い被さっていた。屋根から樋が壊れて垂れ下がっていた。社務所の入り口の柱には、ちゃんと「九十四露神社社務所」と書いてあったのだから、間違いはない。建物の周りにはゴミが散乱していた。

社務所の戸は壊れていて、開いていた。中に入ると、そこも崩壊していて、床には水がにじんでいた。そこには昔使ったであろうアース蚊取り線香などが放棄されていた。あるときから急に使われなくなったことを意味しているようだ。管理人が亡くなり、その後を世話する人もいなくなったのであろう。外にはトイレの建物の廃墟もあった。

社務所を出ると、さらに前方の小高いところに建物があり、そこが本殿らしかった。そこへ行くにはかなり上らなければならない。ようやく本殿にたどり着き、見返すと社務所が下の方に見えた。本殿の近くには、待合室に使われたと思われる建物があった。なんかの行事のときには、参会者はここで待ったのであろう。その建物も崩壊していた。

本殿はまだ結構、しっかりしていた。それほど大きい建物ではなかった。本殿の中に入ると、ここも荒れ果てていた。神事に使ったであろう器具が床に散乱していた。祝詞も落ちていた。それは「人の眼に見えぬ心を 神は知る 信ずるものに 神はおわしむ」から始まっていた。祝詞の末尾には大賀茂須弥九十四露神社(おおがもすみことしろじんじゃ)とあり、日付は1976年7月になっていたので、その時にここで神事が執り行われたことが分かる。発行者の住所・氏名も書いてあった。聖子ちゃんはこれを見て、後で調査してみようと思って写真を撮った。皆は本殿の前の空き地に、めいめい持って来た敷物を敷いて、弁当を食べ始めた。森先生が言った。

秘密基地計画

「それにしてもえらいところですね。これでは僕と聖子ちゃんだけでは、とうてい発見できなかったでしょう。特に鳥居の後の道は、とても道とは言えないので、確信がなければ、とても行くことは出来ません。でも松谷先生は一度行かれたのでしょう?」
「うん、僕が島田製作所の井坂さん、現在は東北大学教授の沢谷さんと来た25年ほど前は、鳥居がちゃんと立っていて、そこから細いけれど参道は伸びていたのだ。僕はその木の根道を登った記憶が鮮明にある。そのあと、社務所を見た記憶もある。社務所のガラスの窓越しに、内部が畳敷きできれいに手入れされていたこともよく覚えている。そのときは無人ではあったけれども、ちゃんと人手は入っていた。だからそれ以降のいつかに、放棄されたのだろうね。社務所を見た後、本殿にも行ったような気がするのだが、その辺りの記憶は定かでないのだよ」と松谷先生。
「ここは現代の秘境といえますね。しかも大都市である京都市内にあるのですよ。市街地から歩いて1時間とかからない」と高山先生。
「もとはここまで電気が来ていたようだね」と松谷先生。
「もし電気を復活して、建物に手を入れれば、再び神社として使えるのではありませんか」
「その前に、まずはあの廃道の倒木を処理して、道を整備しなければなりませんね」と森先生。
「うん、確かに。でもここを修復するには、権利関係をクリアーしなければならないね。現在は一体、だれの持ち物になっているのだろうか?」と松谷先生。
「私、それを調べてみます」と聖子ちゃん。

「僕はここにトンネルを掘って地下に秘密基地を作り、そこにスーパーコンピューターを入れて、世界征服の為の基地にしたいなあ」と、また夢のような妄想を平気で言うマッドサイエンティストの松谷先生。
「それには、工事の為に我々の歩いた廃道は自動車が通れるくらい拡幅しなければなりません。また電力線も太いものにする必要があります。そこまでの工事をすると、もはや秘密とは言えませんね」と現実的な問題点を指摘する高山先生。
「確かに。僕は007の映画をよく見るのだが、ジェイムス・ボンドも魅力があるが、それよりボンドの敵の悪漢とその秘密基地に興味があるのだよ。「ゴールデンアイ」という映画では、海中から巨大なアンテナが出てくる。あれは本当はアレシボの電波望遠鏡なんだけどね。だいたいあんな壮大な海中の秘密基地を人目につかないように、どうして建設できるのか」と松谷先生。

「あの映画では、秘密基地には衛兵がいますね。彼らは映画ではボンドにやられっぱなしですが、彼らの給料はどうなっているのか、生活はどうしているのか、家族はいるのか、休暇はあるのか、など気になります」と、えらく現実的なことを言う高山先生。
「確かに。彼らは要するに傭兵なんだろうね。金で雇われた兵隊だ」と松谷先生。

「僕は007の映画ではボンド・ガールに興味があります。あんなにいい女を次々とものにするボンドにあやかりたいですね」と急に話題を変えた林君。
「私、あんなのいやですわ。だって次の映画では、前のボンド・ガールは姿を消しているではありませんか。ボンドってひどい人です。もっと一人の女性をじっくりと愛してほしいわ」と急に聖子ちゃんが言った。この言葉は森先生に向けられた発言であろう。
「ボンドとボンド・ガールは映画の最後には必ず結ばれるが、これは吊り橋効果だね。吊り橋効果は長続きしないから、すぐに別れるのだろう」と松谷先生。

「松谷先生の作る秘密基地には、衛兵とボンド・ガールも配置しますか?」と高山先生。
「衛兵はいらないだろう。ボンド・ガールではないが、事務や秘書の女性は必要かもね」
「秘書には、森田先生の秘書の坂本夏美さんはどうでしょう?」と高山先生。
「ダメ、絶対ダメですっ」と急に声を荒げた聖子ちゃん。
「どうして?」と、びっくりした高山先生。
「秘密基地の女性は、私一人で十分です。あと山田誠子さんならいいけれど」
「でも君や山田さんは研究者だから、秘書や事務には適していないと思うけど」と松谷先生。
「その場合は、もっと年配の人を雇ってください。大学を定年退職して、職を探している女性はたくさんいます」と断固、主張する聖子ちゃん。
「ようするに若い女性は君と山田さん以外はダメということかい?」と松谷先生。
「そんなこと言っていません。でもダメなものはダメです」と、怒り心頭に発した様子の聖子ちゃん。

男性陣は、普段はおとなしい可愛い聖子ちゃんが、なぜこれほど怒り狂っているのか理解できなかったが、触らぬ神に祟りなしと、話題を変えた。松谷先生が蘊蓄を語りだし。

「傭兵と言えば、西洋中世の戦争で王様がつれていた兵隊は、ほとんどが金で雇った傭兵だったんだ。例えば1415年のアジャンクールの戦いで、7,000名の英国軍が20,000名のフランス軍に勝ったが、その時、英国王ヘンリー5世が連れて行った長弓隊が活躍したそうだ。それは王の作戦だと言われているけれど、現実はそうではなく、鎧兜を着た騎士を雇うと高いので、賃金の安い弓兵を傭兵として使ったに過ぎない。それに対してフランス軍は、貴族や地方豪族の騎士が多かったが、彼らの戦争参加の目的は、英国の騎士を捕虜にして、その家族から身代金をせしめる、いわば金儲けだったんだ」
「へえー、それは知りませんでした。で結局、アジャンクールの戦いの結末はどうなったのですか?」と森先生。
「英国軍の圧勝だよ。というのは、当時雨が降っていて、戦場がぬかるんでいた。さらに戦場が狭く、そこに馬に乗った重装備のフランス騎兵が押し寄せて、ぬかるみに足を取られて一人が落馬、転倒した。すると、後から押し寄せてくるフランスの騎兵たちも、つぎつぎと落馬して転倒して大混乱になった。そこに背後から歩兵が押し掛けてきて、いわば交通渋滞を起こしたんだ。重い鎧兜を着てぬかるみを歩くと、疲れるのだ。転倒すれば一人で起き上がることも出来ない。フランス軍は大混乱に陥った。だから後は英国の歩兵に嬲り殺しにされた。傭兵たちは、雇われただけの仕事をした訳だ。フランスの総指揮官であるドルー伯シャルル1世は戦死、元帥ブーシコーも捕らえられたのだ。戦死者は1万人を超え、捕虜も3人の公爵、7人の伯爵、220人の大貴族、1560人の騎士を出す有様だった。ミイラ取りがミイラになったというわけだ」
「へえー」と一同。
「兵士が傭兵主体ではなく国民皆兵の徴兵制になったのは、フランス革命で国民国家が成立した頃からだ。たとえばナポレオンの兵隊は多くが徴兵された国民だ」と軍事オタクの高山先生もうんちくを披露した。
「それは知らなかったなあ」と森先生。

聖子ちゃんは、男たちの話が、坂本さんを秘密基地の秘書にすると言う話からそれたので、ほっとした。ここに作る秘密基地の女性は私だけだ、坂本さんを秘書にしてなるものかと思った。男たちも聖子ちゃんの機嫌が直ったようでほっとした。

九十四露神社の由来

聖子ちゃんは次の週、九十四露神社の由来について調べてみた。そもそもあの土地の所有者は誰だろうか。まず大学の図書館に行って、書庫の中から古い地図を探し、例の怪しい民家の名字を探り当てた。ひょっとして、あの家が九十四露神社の持ち主か、管理人ではないかと考えたのだ。さらにあの場所はどうやら大文字保存会の私有地らしいこと、その由縁は付近にあった旧浄土寺村の入会地であったことも調べた。だとすれば、現在の所有者は京都市であろうか。

聖子ちゃんは九十四露という言葉についてネットで調べた。このよみかたは「ことしろ」であるが、ネットを調べると、九十四露神社ではなく、事代神社とか語白神社というものが、いくつも見つかった。事代とは事代主命から来ていて、その神様は出雲地方を支配していた大国主命の息子だとされている。日本の神話で国ゆずり神話というものがある。当時の日本は出雲系と天孫系に別れていた。出雲系は大国主命に率いられて出雲地方に蟠踞していた。出雲系の支配権は日本のかなりの部分に及んでいて、近畿地方もその範囲に含まれていた。だから事代神社は近畿地方にいくつもあるのだ。高天原にいる天孫系つまり大和政権側はアメノホヒやアメノワカヒコを出雲に派遣して、国を譲るように言ったが、彼らは大国主命に取り込まれてしまった。その後、色々あって天孫系はタケミカヅチとアメノトリフネを派遣して、国ゆずりを迫り、大国主命はその判断を事代主命にゆだねた。最終的に事代主が同意して、日本の統治権を譲ったとされている。しかしそれは多分、大和政権側の都合の良いつくり話で、実際は出雲政権が戦争に敗れたのであろう。

次に聖子ちゃんが考えたことは、祝詞にあった大賀茂須弥教の賀茂と言う言葉である。京都には上賀茂神社と下鴨神社があり、それらは賀茂族の神社であった。賀茂族について調べると、それは神武天皇東征の際にそれをたすけた八咫烏(やたがらす)という人物が、大和葛城の地から賀茂族を率いて現在の京都にやってきて定住したとされている。だから九十四露神社もそんな賀茂族の神社の一つではないかと、聖子ちゃんは想像した。しかし、それにしては神社は新しすぎるし、上賀茂神社や下鴨神社ほどの由緒はないようにも思える。

もうひとつ賀茂氏という名前で想像されるのは、陰陽頭の賀茂氏である。陰陽頭と言うと、安倍晴明が有名だが、実は清明は平安時代の陰陽頭である賀茂忠行・保憲親子に師事して陰陽道を極めて頭角を現して、陰陽頭に任命された。陰陽頭は後に賀茂氏と安倍氏が並立するが、後に賀茂氏はすたれ、安倍氏が土御門家となり、江戸時代まで朝廷の陰陽頭を勤めた。しかしこれらの考察は単に「ことしろ」と「賀茂」いう言葉からでた想像に過ぎず、証拠は何もない。

聖子ちゃんも科学者を目指すなら、やはり証拠に基づいて議論しなければならない。そこで聖子ちゃんは祝詞の最後に書いてあった発行者の住所について調べた。住所はなんと大学近くの浄土寺西田町になっているが、該当の場所を訪れると、学生マンションと喫茶店になっていた。多分、所有者が変わったのであろう。

つぎに聖子ちゃんは、九十四露という言葉をネットで検索すると、九十四露暦というものに出くわした。これは和暦の一つのようである。現在の日本で和暦で有名なのは、高島易断などが発行する暦であるが、九十四露暦というものも、比較的最近まで発行されていて、そして現在は途絶えている。和暦はいろんな神社が発行している。聖子ちゃんは和暦を発行している滋賀県の近江神宮に連絡して、聞いてみた。そして九十四露暦を作ったのは安井一陽という人であること、安井氏は九十四露神社の宮司も勤めていたこと、京都に古くからある陰陽頭の家系であることを知った。ただ安井氏は土御門の系統ではないようだ。とすると賀茂氏の系統なのか。また安井氏は近江神宮に碁盤を奉納している。なぜ碁盤なのか。この点も重要である。

聖子ちゃんは安井一陽氏の著書である「九数霊学(くすいがく) 運勢暦と開運の法」という1967年発行の本について調べてみた。これは和暦に関する安井氏の考察と九十四露暦を掲載したものであるらしい。アマゾンで調べると古本で一部あったので、早速購入した。読んでみたが、聖子ちゃんには正直言ってチンプンカンプンで分からなかった。和暦の基礎である太陽太陰暦に関する知識がないからである。しかし要点は和暦の解釈に関して、他の暦は根本的な間違いをしていると言う安井氏の主張であった。和暦の歴史に関する部分は理解できた。

平安時代から長く使われてきた宣明暦と実際の誤差が大きくなりすぎて、江戸時代になり渋川春海(しぶかわはるみ)が800年ぶりに改暦して貞享暦を作った。渋川春海の話は「天地明察」という映画になっている。渋川春海は江戸幕府碁方の安井家一世安井算哲の長子として京都の四条室町で生まれた。聖子ちゃんはそのことを知ると、安井一陽氏は渋川春海の子孫ではないのかと想像した。安井と言う名字と、碁盤を近江神宮に奉納したことが符合するからである。

聖子ちゃんは「 九数霊学」の最後にある後書きに注目した。それによると、この本は西陣の、とある会社の社長である山口伊太郎氏のすすめで書いたとある。山口氏は西陣の文様織物制作者の第一人者で源氏物語錦織で有名な人である。本によると山口氏は安井氏の協力者であり、九十四露神社建設の費用を負担したのではないかと想像した。そこで聖子ちゃんは山口氏に連絡を取ってみた。すると伊太郎氏はすでに亡くなっていて、祝詞の発行者の長男の方も亡くなっていて、弟の方と連絡がついた。その人の話では伊太郎氏は1901年の生まれで105歳まで存命されたとのことである。安井一陽氏は上賀茂神社の宮司筋の生まれであること、1880-1890年頃の生まれで、90歳後半まで存命されたこと、ロシア初め欧米に滞在されたことなども分かった。結局、九十四露神社の土地の持ち主は山口家であることが判明した。

さらに驚くべき事実も判明した。その山口氏のご子息は松谷先生の指導教授であった故林忠四郎先生の生家を借りてギャラリーを開いているとのことであった。林先生は京都の旧家の出身で、聖子ちゃんは世間は狭いと思った。

聖子ちゃんは、それまでに調べたことをまとめて、秘密研究所でセミナー形式で発表した。そうしたら松谷先生がえらく褒めてくれた。

「聖子ちゃん、君はただの可愛い女子学生だと思っていたが、とんでもない僕の間違いだった。ここまで独力で調べたとは、大したものだ。君は科学者としての素養があるだけでなく、探偵としての素養もあるよ。いや、感心した」

森先生を含む、他の人たちも賞賛の言葉を述べた。

「へへへ・・・」と聖子ちゃんは照れたが、内心はとてもうれしかった。調べがいがあったと言うものだ。これで森先生も私を見直してくれるかしら。

続く

   
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