超知能への道 その35 権力への浸透とマスメディアの掌握
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- 2015年9月11日(金曜)18:11に公開
- 作者: 森法外
家族の中に悩みを抱える信者の相談にも乗ってくれる。例えば子供の教育である。不良化したり、不登校になったり、引きこもったり、ニートの子供の面倒を見てくれる。子供たちを神社に呼び、事代主命は子供達と対話をした。子供たちがどうしても神社に来ない場合は、ちょっと手荒ではあるが、若い屈強な神主たちを送って神社に無理やり連れてきたり、あるいは事代主命が出張したりした。
話だけでは矯正が難しい場合は、子供たちを半ば強制的に単冠大社に連れて行った。そこでそのような子供たちを合宿させて矯正するのである。そこは単冠ヨットスクールと呼ばれた。それでも、どうしても言うことを聞かない不良の子供には事代主命は神罰を与えた。幽霊を送り付けるのである。これにはさすがに不良どもも参った。こうして信者の子弟にはニート、ひきこもりはほとんどいない。いたら矯正されてしまうのだ。そのため悩める両親には非常に喜ばれた。こんなことをすると逮捕監禁罪に問われると思うかもしれないが、そこは抜かりがない。後で述べるように、退職警察官を雇用して「犯罪捜査委員会」を作り、警察は懐柔してあるのである。
理神道は言ってみれば大きな1つの家族であり、信者の子どもたちはその大家族の子供なのだ。子供の面倒は両親だけでなく、神社や他の信者が見てくれるのだ。事代主命の目標は全日本国民をひとつの家族にすることである。
こうして理神道の信者が増えてくると慌てたのは、仏教、神道、キリスト教、新興宗教などの既成の宗教である。信者がどんどん理神道に移っていくからである。そこで一部の宗教団体は、政治家に理神道の規制を要望した。しかし政治家が動こうとすると、事代主命は猛烈な反撃を始めた。以前政府に対してやったと同様、政治家にメールや電話、ファックス等で猛烈な抗議を行ったのである。さらにお布施を払えない信者を動員して、政党や政治家の事務所にデモを行った。政治家はびびって撤退してしまった。
困ったお寺や神社の中には理神道に宗旨替えするところが出てきた。お寺の宗旨替えというのは、歴史的に見ても結構あるのだ。これは理神道にとって極めて好都合なことであった。大きな神社が獲得できたからである。理神道側はそれらのお寺や神社に事代主命端末を設置して理神道の神社に替えていった。こうして日本には理神道は着々と浸透していった。
次に理神道は理神党という宗教政党を設立した。この政党は理神道の理念を、政治を通じて日本に広めるための政党である。党首は重要でないので、信者の中から適当な人物を事代主命が選び、 2年任期で交代しながら勤めることとした。党首の神格化と権力の一極集中を防ぐためである。既成宗教では神仏の直接の声は聞こえないので、どうしても僧侶や代表者の思想で動かされてしまう。理神道では神様直々の声が聞こえるのが、既成宗教とは大きく異なる点だ。
理神党には地方組織の代表もいるが、彼らもほとんど権力を持っていない。なぜならあらゆる指令は事代主命の直接の声で下されるからである。理神党は国政選挙と地方選挙に打って出た。候補者は事代主命が信者の中から選んだ。出たい人ではなく出て欲しい人だ。つまり人格に優れ、学識と教養がある人物だ。選挙はかなりな成果を収め、理神道はこのようにして日本の権力機構に少しずつ食い込んでいった。
権力機構は、政治家、高級官僚、大企業経営者、大手マスメディアなどからできている。われわれは京阪奈大学とその他の大学において政治家、高級官僚、経営者の幹部候補生を育てている。政治に対しては理神党を作り、国政と地方政治に浸透を始めた。大企業はかなり作った。
次はマスメディアである。まずタブレットを1億台ほど作り、それを、子供を除く全国民にタダで配布した。大量に作るから、仮に1台が1万円としても、 1億台で1兆円である。実際はこれよりはずっと安い。材料費だけだからだ。権力を買うと思えば1兆円でも安いものだ。タブレットは曲がる液晶でできている。それには2種類あり、 A4サイズのものと文庫本サイズのものがある。どちらも折りたたみ式になっている。それらのタブレットを、信者が駅前でただで配ったのである。昔どこかの会社がやったように。
そのタブレットはインターネットに接続している。タブレットには、われわれの「真実真正新聞」を配信した。略称シンシンシンブン.これにはあらゆるニュースが載っている。国際的事件から国、地方、さらには極めてローカルなニュース、例えば○×小学校3年4組のニュースまで載っているのである。高級紙とタブロイド新聞を混ぜたような新聞である。普通の紙の新聞ではこのような芸当はできない。しかしタブレット新聞では、あらゆるニュースを掲載することができるのだ。ニュースは記者が集めることになっているが、しばしば式神レットを飛ばして集める。普通の新聞は政府の発表をそのまま載せるが、我々はそのようなことをしない。真実真正のニュースを伝えるのだ。このことは権力者にとって非常に具合が悪い。あらゆることが白日の下に晒されてしまうからだ。
新聞や週刊誌は時々間違ったこと、あるいは意識的な嘘を書くことによって人々に被害を与える場合がある。そこで理神道は「報道被害調査委員会」というものを作った。そして職がない若い弁護士をたくさん雇った。彼らの仕事は新聞や週刊誌などを訴えることである。報道被害調査委員会の弁護士は被害者に代わって膨大な弁償金をメディアに対して要求した。若い弁護士に経験がなくても、ヘッドマウントディスプレイをかけておれば、事代主命がすべて指導してくれるのだ。裁判に勝った場合や、有利な和解が成立した場合は、報道被害調査委員会はマージンをもらう。
一番困ったのは、新聞や週刊誌などの既成のマスメディアである。マスメディアと癒着している権力者は真実真正新聞を規制しようとしたが、事代主命はいつもの手段で対抗した。権力者に対し電話とメール攻勢をかける、プライバシーを暴く、ネットを使って権力者側の意見を粉砕する、理神道の信者を使ってデモを行う、あらゆる手段を使った。
こうして多くの新聞や週刊誌は、読者や視聴者を失い、また膨大な弁償金を払うことにより、やっていけなくなり倒産したものもある。職を失った人々の中で有能な記者は、真実真正新聞で雇った。
テレビには事代主命自身がニュース番組のコメンテーターとして出演した。その豊富な知識量と評論の適切なことから、人間のコメンテーターは対抗できずに、みんなクビになった。今や事代主命は、朝のニュース、夜のニュースの常連になったのである。
権力は最終的には合法的な暴力装置で守られる。合法的な暴力装置とは、警察、検察、裁判所のような司法機関、それに軍隊である。国民が権力の言うことを聞かない場合は、警察や検察が国民を逮捕して、裁判所が判決を下して、国民を刑務所に放り込む。どうしても言うこと聞かない場合は、死刑という名で殺してしまう。それでも抑えられない場合は軍隊が動員される。つまり権力の最後の拠り所は合法的な暴力なのである。特に警察が重要である。我々が育てている幹部候補生が警察の幹部になるのはまだまだ時間がかかる。
われわれは報道被害の場合と同様に「権力被害調査委員会」というのも作った。これで警察、検察、裁判所などの誤捜査や冤罪事件などにより無実の罪に陥れられた人を救うのだ。その仕事はやはり弁護士がやる。しかしそれだけでは司法側を敵に回すだけなので、懐柔策も採用した。退職した警察官や検察官の幹部を雇って「犯罪捜査委員会」という組織をでっちあげたのだ。これは民間の組織であるが、構成員は警察と検察の元幹部である。警察官はわざわざパチンコ屋に天下りをしなくても、我々のところに来れば良いのだ。検察官は弁護士として我々のために働いてくれれば良いのだが。彼らはすでに年金をもらっているから、我々が支払う給料はそれほど多くない金額である。それでもその給料があるかないかで生活水準は大きく異なるであろう。
犯罪捜査委員会の仕事は、警察の補助である。犯罪捜査の手助けをするのだ。犯罪捜査は実は事代主命が式神レットを使ってやる。指名手配している犯人を探し出したりもする。その情報をもとに委員会は、捜査員を派遣して、犯人の写真を撮りまくったり、尾行をしたりする。そうして警察に通報するのだ。民間であるから逮捕特権を持ってはいない。単に警察の補助をするだけである。警察はこうして多くの迷宮入り事件や指名手配中の犯人を逮捕することができた。
退職警官の仕事は実は、たいしたことはない。普段は委員会の事務所に来て、お茶を飲んで、新聞を読み、テレビを見て、だべっていれば良いだけだ。時々事代主命から指令があり、形だけ捜査に出かければ良いのだ。この噂は司法関係者に広がり、だれもが退職後は犯罪捜査委員会に入りたがった。そこで理神道信者を優先することにしたので、信者獲得に役立った。
犯罪捜査委員会を作るメリットは、権力側が理神党や我々を弾圧しようとしたときに発揮される。犯罪捜査委員会の職員は現職の警官や検事の先輩である。その先輩が、警察や検察に対して弾圧を止めてくれと頼めば、後輩は聞かざるを得ない。もし聞かないと、退職後に仕事がないぞと脅される。こう脅すと大抵のものは言うことを聞いた。
それでもどうしても言うことを聞かない場合は、事代主命は最終手段として式神レットを送った。式神レットが相手の鼻の穴から入り込み、脳に達して、うつ状態にしてしまうのだ。そうすると相手は気力を喪失して、動くことができなくなってしまう。事代主命にとっては言うことを聞かない相手を殺す必要など全くないのだ。もっとも式神レットを使うのは最終手段であり、ほとんど使われなかった。というような仕組みで、我々は暴力装置を金で買い、それが叶わないときは力で抑えつけたのだ。このように事代主命は暴力装置をアメとムチで懐柔したのだ。
続く