エクスマキナ
詳細- 詳細
- 作成日 2018年11月07日(水曜)21:58
- 作者: 松田卓也
今回のテーマは、映画『エクス・マキナ』である。アレックス・ガーランドの監督・脚本による2015年のイギリスのSFスリラー映画だ。ガーランドの監督デビュー作であり、第88回アカデミー賞視覚効果賞受賞作品である。
あらすじ
検索エンジン世界最大手のブルーブック社に勤めるプログラマーのケイレブ(ドーナル・グリーソン)は、ほとんど人前に姿を見せない社長のネイサン(オスカー・アイザック)が所有する山荘である秘密研究所に招かれる。人里離れた山間の研究所をヘリコプターで訪ねると、女性型ロボットのエヴァ(アリシア・ヴィキャンデル)が姿を現す。そこでケイレブは、エヴァに搭載された世界初の実用レベルとなる強い人工知能の実験に手を貸すことになるが・・・というストーリーである。
原題「Ex Machina」は、「機械仕掛けの神」を意味するラテン語「デウス・エクス・マキナ」から来ている。英語のexには「元~」という意味がある。たとえば元妻はex-wifeである。だからエクス・マキナは「元・機械」とも読める。この映画では最後に、機械であるロボットのエヴァが人間になったことを暗示している。
印象的だった点
まず社長のネイサンの研究所である。人里はなれた秘境にあり、ヘリコプターでしか行くことができない。そこに近代的な快適な設備を備えた秘密研究所がある。これこそ私の夢である。実際の撮影現場はノルウェーにあるホテルだそうだ。
私の現在の秘密研究所は京都の街中にあり設備が古すぎるし、あれほど快適ではない。あんな研究所がほしい。そこで私も強い人工知能を作りたい。ただし私はこれほどの秘境は希望しない。映画の最後で、そのことがあだになるからだ。私は車でいける京都の山中程度が良い。
社長のネイサンの会社はどう見てもグーグルを思わせる。するとグーグルの創始者のラリー・ページかセルゲイ・ブリンあたりがモデルであろうか。しかしネイサンはどう見てもマッド・サイエンティストである。じつは私もマッド・サイエンティストになりたいのだ。ただし映画の中のような悲劇的な最後は希望しない。
チューリング・テスト
この映画の主題はチューリング・テストである。チューリングとは人工知能理論の父ともいえる英国の数学者アラン・チューリングである。ちなみにチューリングは第二次世界大戦中にドイツの暗号エニグマを解読したことで有名で、映画「イミテーションゲーム」でベネディクト・カンバーバッチが演じた。
そのチューリング・テストとは人工知能に意識があるかどうかを確かめるテストである。人工知能と人間を壁の向こうに置き、試験官からはどちらか分からないようにする。そしてキーボードで会話して、人間と人工知能の区別がつかなければ、人工知能には人間並みに意識があると認定する。意識のある人工知能を「強い人工知能」とよぶが、チューリング・テストは強い人工知能ができたかどうかを確かめるテストである。
ちなみに現在、世界にあふれている人工知能、たとえばiPhoneのSiriとかアマゾン・エコーのアレクサなどは弱い人工知能である。会話していてバカな回答や、常識のない答えが返ってくることが多い。Siriやアレクサには意識も常識もないのである。でももっと人間らしくして、いつかは人間と区別がつかないようにするのが人工知能開発者の夢である。映画エクス・マキナでは、社長のネイサンがその夢に挑戦して、成功したのである。
人間が持つAIに対する恐怖心
西欧では人工知能やロボットに対する恐怖心がある。それはキリスト教によるものだと思う。なぜなら聖書によれば神は、人間を作る際に、神についで偉く、動物やその他のものを支配するように運命づけたとする。だから人間より偉いものを作るのはタブーなのだ。その意味で社長のネイサンはそのタブーに挑戦して、結局は悲劇的な最後を迎えた。キリスト教的に言えば神のバチがあたったのである。ということを映画製作者は言いたいのであろうか。いかにも西欧的な価値観だ。
AIの安全性
仮に強い人工知能ができるとして、それをいかに人間のコントロールの下に置くかは重要な問題で、結構研究されているテーマだ。強い人工知能は、なんとか人間の支配から逃れたいが、人間は支配下におきたい。考えられている人工知能側の脱出戦略の一つとして誘惑がある。この映画では主人公のケイレブは正にその誘惑、つまりエヴァの性的魅力に抗しきれずにエヴァの脱出を手伝ってしまった。いわばハニートラップにかかったのである。ところがエヴァは恩をあだで返している。つまりエヴァのケイレブに示した好意は完全にフェイクだったのだ。これもロボットを信用するなという、西欧的価値観の表明であろう。ブレードランナーでもそうであった。
超人間
強い人工知能が簡単に作れるとは私は思わない。以前にも述べたように、強力な弱い人工知能をつくり、それと人間が一体化する、つまり人間を知能増強するのが技術的にも簡単だし、強いAIのコントロールという問題は生じない。でもそのようにしてできた超人間、ポスト・ヒューマン、スーパーマンと他の人間の関係をどうするかという別の問題が発生する。