シミュレーション仮説
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- 作成日 2019年5月17日(金曜)17:22
- 作者: 松田卓也
イーロン・マスクなどの著名人にも肯定論者のいるシミュレーション仮説とは一体どんな概念なのか?
そもそもシミュレーション仮説とは?
「この世は技術的にとても進んだ文明によって行われている精密なシミュレーションだ」というのがシミュレーション仮説だ。英国オックスフォード大学のニック・ボストロム教授によって提唱された。いうなれば、この世界は壮大な一つの夢、幻だという説だ。もっともボストロムがシミュレーション仮説を始めて考えたというわけではない。結構昔から、知られていた概念なのだ。
胡蝶の夢という話が、中国の古典「荘子」にある。荘周という人が、あるとき蝶々になった夢を見た。夢から目覚めた荘周は、果たして自分は人間で、蝶々になった夢を見たのか、自分は本当は蝶々で、今人間になった夢を見ているのか分からないという説話である。これはいってみればシミュレーション仮説である。
マトリックスの世界=シミュレーション現実
映画「マトリックス」もシミュレーション仮説の一種である。映画では超知能であるスーパーコンピュータが、人間に現実そっくりな夢を見せているという話である。映画の主人公ネオに対してモーフィアスが、自分で作ったシミュレーション現実にネオを連れて行く。ネオが椅子をさわりながら
「これは現実ではないのか?」
とたずねる。それに対してモーフィアスは答える。
「現実とは何だ? どう現実を定義するのだ? 君が触覚で感じ、においを感じ、味わい、見る。現実とは君の脳中で解釈された電気信号に過ぎない」
What is real?
これはとてつもなく意味深な言葉である。この言葉は脳神経科学的に言って正しい。だから哲学的に言っても、我々の周りの現実世界が本当に存在するという保証、証明はどこにもない。実際、夢を見ているときは、それがいわゆる明晰夢でない限り、周りの世界を現実だと思っている。夢を見ているときに我々が見たり触ったりするものは、現実の感覚器官から来る信号ではないのに、脳内に現実と我々が錯覚する世界を作っている。つまり夢とは脳が作り出すシミュレーション現実世界なのだ。
もう一つ「マトリックス」から有名なシーンを紹介しよう。モーフィアスがネオにカンフーを教えるシーンである。シミュレーションであるから、かならずしも現実世界の物理法則に規定される必要もないのだ。ネオ、モーフィアス、エージェント・スミスたちの格闘シーンが現実離れしているのはそのためだ。
Matrix-Neo vs. Morpheus
ボストロムのシミュレーション仮説
ニック・ボストロムの主張は次の3点にまとめられる。
1)何らかの進んだ文明が人工意識を作り出すコンピュータシミュレーションを行う可能性がある。
2)そのような文明は研究や遊びの目的で、そのようなシミュレーションを数十億回もする可能性がある。
3)シミュレーション内の住人は実はシミュレーション内にいるのだとは気がつかない。
そこで次の二つの可能性が生じる。
a) 我々自身がそのようなシミュレーションを開発できる。
b) 我々はシミュレーション世界の住人である。
そうでないとしたら
- どんな知的生命も現実と区別がつかないほどに精巧なシミュレーションを開発できる技術レベルに達しない。
- 仮に達したとしても、そんなシミュレーションを実行しない。
- 我々はシミュレーション世界に住んでいる。
ボストロムの議論によれば、我々の世界がシミュレーション世界である可能性は五分五分だという。
ところで我々がシミュレーション世界に住んでいるとして、それが分かったとしても実はどうしようもない。例えば人が死ぬという現実は本物ではなくてミューレーションだったとしても、我々はそれをどうすることもできない。何とかできるのはシミュレーションを実行している宇宙人だが、それはいわば我々にとって万能の神である。神しかシミュレーション世界の現実を変更できない。でもその神は偉いのか?冗談だろうが、ある研究者は我々にとっての造物主、つまり神はこの宇宙の外の宇宙にいる宇宙人の高校生ではないか、この世界は彼が遊びで作り出したのではないかと述べている。そんな仮説も否定できないのである。
もっと現実的に考えて、私に興味があるのはそのようなシミュレーション世界を我々自身が作れるか?ということだ、つまり我々自身が神になれるか?ということだ。これは簡単なことではないが、不可能ではないと思う。コンピュータ技術が発展すれば21世紀の終わりまでには実現できるのではないだろうか。もっともその意味で我々が神になったとしても、その神は死ぬという事実は変わらない。つまりこの世界では、われわれは普通の人間だからだ。
シミュレーション仮説の現実性
まずニック・ボストロムの説には当然ながら、賛否両論がある。物理学者の中には、頭からナンセンスとして退ける人もいる。でも十分にありえることだと肯定的に捕らえる人もいる。
まず否定的な意見を紹介しよう。その理由の第一は計算可能性である。自然界は連続的である。しかしシミュレーションをおこなうデジタル・コンピュータは数字を0と1であらわす、つまり離散的なものである。だからデジタル・コンピュータが現実をいくらでも精密にシミュレートすることはできない。
また宇宙にある原子などの粒子の数は膨大で、その配置のすべての場合の数は膨大になるので、とても計算しきれない、というものもある。
しかしそれに対する反論は、なにも全宇宙をシミュレートする必要はない、人間が観測可能なところ、現に観測しているところだけをシミュレーションすればよいという意見がある。映画の大道具などの舞台装置はいわばシミュレーション現実である。つまりウソなのだが、本当のように見せかけている。たとえばお城の舞台装置があるとする。その場合、カメラで写っている部分だけが本物そっくりであれば良く、見えない裏側はどうでも良い。シミュレーション現実も、ある人物が見ている範囲内だけを作ればよいので、その時点で見えていない世界はどうでもよく、手を抜いても良い。こうすれば計算可能性の困難は大きく軽減される。
我々の脳はシミュレーション世界を作っている?
脳神経科学的な研究から明らかになってきたことは、例えば我々が見る世界はそのほとんどの部分が、脳が作り出した幻影であるということだ。どういうことか?視神経の数は膨大なものではあるが、そのうち大脳新皮質の視覚野に送られる情報は目が捕らえた情報のうちのわずかな部分に過ぎない。具体的には目から脳に向かって伸びる軸索の数は100万本程度であるといわれる。カメラでたとえれば100万画素しかないことになる。近頃のスマホのカメラでもこの10倍はあるだろう。そのため視野の中心部分だけをはっきりと見えて、視野周辺はぼけているのである。それでも我々は自分の視野は全体がはっきり見えていると思っている。実は欠けた情報は脳が作り出しているのである。
作り出すとはどういうことか。実は我々の脳の中には現実世界のモデルが存在する。そして入ってきたわずかな情報をかぎとして、見える世界はこうなっているはずだという、いわば幻影を作り出している。錯視現象はこの考えで説明できるものが多い。
今述べたことは、現実世界がボストロムの言うシミュレーション世界であるということではなく、我々の見ている世界はほんのわずかな情報(1秒あたり100万ビット)から頭の中に構築された幻の世界だということだ、だとすれば、現実世界を厳密にシミュレーションすることは計算資源的に不可能であるにしても、人間をだませる程度のシミュレーションを行うことはそれほど難しくないのである。