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サロン・ド・科学の散歩 第11回

日 時:2013年12月21日(土)13:00~16:30

場 所:NPO法人あいんしゅたいん事務所(京都市左京区吉田本町 5-14)

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テーマ:明月記を世界に紹介した射場保昭・謎のアマチュア天文家、その波乱の生涯

鎌倉初期の歌人である藤原定家が書いた日記『明月記』に示されている超新星を含む客星出現の記録を英文でPopular Astronomy誌に紹介したのは、神戸在住のアマチュア天文家の射場保昭 (1894~1957)であった。この報告に着目したのが米国のN. U. MayallとオランダのJ. H. Oortであった。彼らは射場の報告を読んで、冷泉家が保有する『明月記』に“後冷泉院天喜2 (1054) 年4月中旬以後、おうし座ζ星付近に客星が現われ、大なること歳星 (木星) の如くであった”と記載されていることを知った。輝度や輝きの継続期間からみて、この客星は、かに星雲で爆発した超新星であろうと考え、2人はその見解を1942年に連名で学会誌に発表した。彼等のこの論文に射場の英文報告が引用されている。オールト(Oort)は、1987年の第3回京都賞・基礎科学部門の受賞者であるが、その受賞理由は「銀河の構造及びその力学的特性の解明による天文学への多大な貢献」であり、その業績の1つが超新星残骸の星雲についての研究であった。このオールトの研究のきっかけをつくったのは、射場保昭であるが、彼は1934~36年にかけて天文月報に「望遠鏡並びに天体写真に関する私見」と題する一連の論説を寄せている。その最初の論説に「反射・屈折望遠鏡に関するエインスリー対ウォーターズの論争に筆者も加わった」という短い記述があった。その背景を示す資料が最近になって発見された。その内容を紹介するとともに、天文関係者にはあまり知られていない射場保昭の生い立ちと、彼の昭和初期の天文学への国際貢献について述べる。

※ 本テーマのサロンは、当初第10回として11月23日に予定しておりましたが、12月21日に変更になりました

トーク:竹本修三(基礎科学研究所主管・京大名誉教授 地球物理学)

竹本先生は、京都大学地球物理学教室の教授として、長らく「測地学」という分野に携わって、国際測地学協会地球潮汐委員会委員長・国際重力局理事なども務められました。今は、「明月記」を海外に紹介した射場保昭氏に興味を持ち、京都の学問の伝統の一つを形成した歴史を調べておられます。

コメント:佐藤文隆(京大名誉教授 NPO法人あいんしゅたいん名誉会長)

定 員:12名程度

申 込:「サロン・ド・科学の散歩」総合ページをご覧の上、参加申込フォームよりお申込みください
    ※ 申込方法が分からない場合は、直接下記連絡先へお電話ください
      TEL: 075-762-1522(平日10時~17時)

備 考:クッキーとお茶代として300円をいただきます。ご協力お願いします。

   
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