2014年9月 - 140910
9月11日 アップル新製品発表
2014-09-11
夜中に、待っていたアップルの新製品の発表があった。iPhone 6とiPhone 6 plus、それにApple Watchが発表された。iPhoneに関しては以前から噂が流れていたとおりに画面が大きくなった。ギズモードには、いろいろヨイショ記事が載っている。私としては画面が大きくなった事は良い事だと思っている。しかしiPhone 5sの2年縛りがあるので、iPhone 6を買うわけにはいかない、iPhone 6sまで待たねばならない。
一番の問題は、ジョブスが大きな画面はやらないと言っておきながら、結局はマーケットの趨勢に負けたという事だ。サムソンはアップルのパクリであると(実際そうだと思うが)、訴訟攻勢をかけながら、画面サイズに関してはサムソンの後塵を拝している。つまりアップルにはもはや、革新的なイノベーションはでないということだ。
Watchに関しては、多くの人が言うように失望である。デザインが保守的すぎる。技術的には仕方ないのかもしれないが、アップルらしさが無い。Watchに関しても(評判はもひとつだが)サムソンの後塵を排している。さらにいえば、この分野でイノベーションを出したのはPebbleである。
グラスにおいても先鞭を切ったのはGoogleである。アップルも出す出すと言われながら、まだ出せていない。出た時には、多分、Watchと同じような失望を感じるのではないか。
もっともサムソンは一時期の日本企業に似ている。アメリカのアイデアのパクリをして、それを技術的に改良して、良い物を安く出すという方向だ。しかし、しょせん夢が無いのし、コピー技術に長けても、革新的なアイデアを出す力が無いので、いずれは衰退するであろう。現在でもスマホは安い中国製に負けつつあると言う。
サムソンはどうでもいい。アップルがどうなるかだ。この世界はドッグイヤーといわれる。コンピュータの歴史をひもといて、画期的なイノベーションを挙げてみよう。1960年代のIBMのシステム360シリーズ、DECのPDPシリーズ、VAXシリーズ、70-80年代のApple 2とIBM PC、Sun Workstation、Crayスーパーコンピューター、21世紀に入ってiPhoneとiPadなどである。このなかでDEC, Sunはすでにない。DECを引き継いだ、世界第2位のパソコンメーカーであったコンパックも既にない。IBM, Crayも往年の勢いは無い。存続しているだけでもましであろう。もっともIBMはWatsonとSyNAPSE計画で将来性はある。
Appleはできてすでに25年経つ。今が最盛期であろう。大会社になりすぎた。イノベーションがでないようでは、後は凋落を待つしか無いだろう。後10年程度か。
Googleはできて15年ほどである。Googleが今、一番元気があると思う。技術的特異点が起きるとすればGoogleからであろうというのが、私の感触である。しかしドッグイヤーの時代、何がどうなるか分からない。
9月10日 タイニーハウス
2014-09-10
タイニーハウスとは小さな家ということで、いま米国を中心に流行り始めていると言う。
「「Less is more」米国で広がるタイニーハウス・ムーブメントとは」
アメリカの家の平均的な広さは230平米だという。日本の家はウサギ小屋と揶揄されたように、平均的なマンションで20坪、つまり66平米、私のマンションは広い方で81平米である。100平米を越える家は非常に広く、200平米になると豪邸と言えよう。都会では難しく、田舎でしかないであろう。日本の家が狭い理由は、日本の国土が狭いからで、土地が高いからである。
しかしその米国で10-40平米の小さな家が流行し始めていると言う。この小さなスペースに寝室、台所、シャワールーム、トイレも完備している。車が付いていて移動可能な物も多い。このような物が米国で生まれた理由は、やはり多分、米国も庶民は貧しくなって来ているからであろう。カトリーナの被害の後の臨時の住居として提案されて、流行りだした面もある。
小さな家の持つ利点は税金、建築費、暖房費、維持費、修繕費などが安い事である。さらに家の中を散らかす余地がないので、家具やその他の物が少なく整頓しやすい、環境に与えるインパクトが少ないなどがある。
欠点としては、近所との付き合いにおいて、奇異の目で見られて、ひどい場合は敵視される可能性もある。その地域の建築に関する法的な問題もある。
その内装の一例を示す。木で出来ていて、一部が二階作りになっている。ベッドはその二階部分にある。写真では右手にキッチンシンクがあり、その奥はシャワー室にトイレ、洗面室のようだ。なかなかよくできていると思う。tiny house photoでググるとさまざまなタイニーハウスの例を見る事が出来る。
インテリアは空間がそれぞれ多重の機能を持たせる、立体的に作って空間を有効に使うなど工夫が凝らされている。
この種の住まいは伝統的にはトレーラーハウス、キャラバン、キャンピングカーなどとしてあった。ヨーロッパではジプシーたちがこのような住居に住んでいた。タイニーハウスというのは、巨大住宅が当たり前の現代アメリカでこれらが徐々に市民権を得ている事だろう。
Small and Tiny House Interior Ideas
9月9日 ルーシー
2014-09-09
フランス映画「ルーシー」を見た。主役のルーシーはスカーレット・ヨハンソンである。脳科学者ノーマン教授としてモーガン・フリーマン、パリ警察の刑事のピエール・デル・リオとしてアムール・ウエイクド、それに韓国人のギャングのボスである。この映画のプロットとして興味あるのは人間の脳は通常10%しか使われていないという科学伝説と、悪役が韓国人だということだ。彼らの話す韓国語は、私には全く分からない。ギャングは英語ができないし、ルーシーは韓国語が出来ないので、電話で通訳が登場する。西欧人の悪役としては英国人が一人出てくる。韓国人が世界的悪役になるなど、韓国も先進国入りしたものだ。彼らはいかにも憎々しげな悪役で、爽快ですらある。
プロットを簡単に述べよう。ルーシーは25歳の米国人の女子学生で、台北に住んでいる。新しいボーイフレンドから、カバンをホテルにいる人物に届けるように無理強いされる。仕方なくフロントに行ったルーシーは、ギャングに部屋に連れ込まれ、ボーイフレンドは射殺される。そこにいたギャングのボスは韓国人である。持って来たカバンにはCPH4という合成麻薬が4袋入っていた。韓国語がわからないルーシーと英語が出来ないボスは、電話通訳を介して話す。紳士的な英国人の悪漢が現れて、ルーシーに仕事を言う。麻薬の袋を体内に縫い込んでヨーロッパに密輸しろと言われる。3人の拉致された男達も同じように、体内に麻薬を縫い込まれる。閉じ込められたルーシーは見張りに腹を殴られるが、その為に体内の袋が破れて、それを吸収したルーシーは脳の活動が10%から20%に上がり、超能力を獲得する。ルーシーは見張りを倒し、ピストルを奪い、4人の見張りを射殺して、病院に行く。手術室に入り込んだルーシーは、手術中の患者を射殺して、医者に自分の腹から薬を取り出せと命ずる。
ルーシーはホテルに戻り、ギャングのボスの両手にナイフを突き刺す。ボスの脳内記憶を読みとったルーシーは、他の3人の行き先がベルリン、ローマ、パリなどである事を知る。ルーシーは人間の脳の10%しか、その能力を使っていないと主張する脳科学者のノーマン教授に連絡して、彼の理論の正しさを証明する。ルーシーはパリ警察の刑事のデル・リオに連絡して、各国の警察と連絡を取り、麻薬を回収する。パリに着いたルーシーは、ギャングも警官も無力化する。刑事のデル・リオとノーマン教授に面会する。
ノーマン教授の実験室についたルーシーをギャングは襲い、警官隊と撃ち合いになるがギャングが勝ちを制する。ルーシーはさらに超人化してタイムトラベルを始める。過去に戻ったルーシーは、人間の原点であるアフリカの猿人ルーシーと出会う。猿人ルーシーと指を接して、彼女の知能の発達を促す。実験室に戻ったルーシーをボスは撃とうとするが、その瞬間にルーシーは消滅して、スーパーコンピューターに変身してしまう。ボスはデル・リオに射殺される。消滅したルーシーはあらゆる場所にいるとデル・リオに告げる。ノーマン教授には、ルーシーが知ったあらゆる知識を保存したUSBメモリを与える。
ルーシー予告編
私がルーシーを見ようと思ったのは「アナと雪の女王」を見た時に見た予告編の為である。若い女性が超能力でバッタバッタと悪漢を倒すのが爽快だったからだ。しかし見終わって、活劇の部分は別にして、科学的にはナンセンスきわまりないと思った。まず脳はその能力を10%しか使っていないと言う話しは、確かに昔の科学者が唱えた事ではあるが、現在では否定されていると言う。実際は100%使い切っているそうだ。それに例え、10%説が正しいと仮定して、脳を100%使い切ったとしても、単に頭が良くなるだけで、超能力など獲得できるはずは無い。いわんやタイムトラベルできるなんてあり得ない。科学的にはナンセンスであると、割り切って楽しむ映画である。
私は最近書いたエッセイで、人間の頭脳の速度を1000万倍にアップする方法について述べた。もしそれが可能として、どのような事が出来るかに付いて、別のエッセイで考察をする。
ルーシーと超能力
9月6日 ロボットが仕事を奪ったら、人間は何をする
2014-09-06
When Robots Take Over Most Jobs, What Will Be the Purpose of Humans?
2013年3月ニューヨーク連銀の4人の経済学者が報告書を書き、定型的な仕事が消滅する事、トップとボトムの熟練を要する仕事だけが残る事を報告した。
「明確な指示に従い、きちんと定義された規則に従うような仕事を定型的仕事と呼ぶ。これらは中間的な職業に多い。仕事が柔軟性、問題解決能力、創造性を必要とするなら非定型的仕事である。雇用が非定型的仕事に移動するに従い、仕事はトップとボトムの非定型的なものに分極化するだろう」
職業を知的労働と肉体労働、定型的仕事と非定型的仕事のマトリックスに分けると次のようになる。
|
定型的 |
非定型的 |
知的労働 |
事務員 販売員 |
マネジャー クリエイター 技術者 医療従事者 |
肉体労働 |
建設労働者 機械工 組立工 |
ウエイター 警備員 |
1975年から2013年までの米国の職業に関する統計データによると、定型的仕事と非定型的仕事の全体に占める割合は、前者が60%から40%に低下し、後者は逆に40%から60%に上昇している。この傾向は好況、不況によって少し凸凹はあるが、ほぼ一直線である。
さらに詳しく見ると、定型的肉体労働は35%から20%に低下、定型的知的労働は25%から20%に低下、非定型的知的労働は27%から45%に増加、非定型的肉体労働はほとんど横ばいである。
その理由は、工場労働はロボットが代替し、オフィスの定型的な仕事は人工知能が代替するようになったからである。弁護士補助、X線写真判読、スポーツ記事執筆ですらボットにより自動化できる。
オックスフォード大学の研究者が現在ある702の職業について調査した結果、今後10-20年で、今ある職業の47%は消滅するだろうと述べている。結局、近い将来に残る仕事は非定型的な創造的な仕事だけになる。
「我々の研究によれば、コンピュータ化は「技術的平原」と呼ばれる時期を挟んで二つの波に分けられる。第一波では運送、事務、製造業がコンピュータで置き換えられる。第二波は少し遅れてやって来るが、人工知能が創造性、社会的知性を獲得した時に到来する。その時には弁護士、技術者、脳外科医、俳優すらボットで置き換えられる。実際ディープ・ノレッジ・ベンチャーという会社では経営者すらボットに置き換えられている。
「労働を必要としない世界、わずかな人だけがボット経済を運営するような世界では人々はなにをするのだろうか?」
今後の10-20年では、高等教育を受けた、創造的な、発明精神に富む人々は豊かな雇用を獲得するが、それはほんの少数である。今後、機械が商品やサービスをより安く提供できるようになると、十分な稼ぎを得る事が出来る人はほんの一握りになる。
人々に十分な教育を与えるか? あるいは農地に戻って機械家畜とともに働くか? ラダイト運動を起こしてオートメーションを禁止するか? 技術的ユートピアが到来して、人々は未だ存在しない新しい仕事をするか?
どうなるか分からない。しかしはっきりしている事は、農業革命、産業革命に次ぐ大革命がこれからの数十年で起きるという事だ。一世紀とか一世代とかもたたないほど、圧縮された時間で起きるのだ。その時、人々は何をすれば良いのだろうか? そもそも解答などあるのだろうか。
9月2日 北摂のマチュピチュ
北摂のマチュピチュに行ってみたいという書き込みがFacebookにあった。北摂のマチュピチュという言葉は始めて聞いたので、調べてみた。すると実家の近くである事が分かった。まず北摂とは摂津の国の北部という事である。摂津とは大阪府の北部と兵庫県の南東部を会わせたような、昔の国である。その北側は丹波の国に接している。私の実家は大阪市の北に位置する東淀川区の、それも一番北に位置していて、吹田市と接している。Facebookに書き込んだ友人は実家が吹田市にある。
私が子供の頃、二階の窓から北を見ると、はるかに北摂の山々が見えた。一番高い山は竜王山といい標高510mである。麓に忍頂寺があるので忍頂寺山ともいわれている。北摂一の霊峰と言う。宝亀年間(715-716)に大旱魃があり開成皇子が八大竜王を祭ったので、この名前がある。
子供心にその向こうには何があるのだろうかと考えていた。カールブッセの詩に「山のあなたの空遠く 幸い住むと人の言う ああ われ人ととめゆきて 涙さしぐみ かえりきぬ」というのがある。ところがである。調べてみると、その山間にはバブルの時に作られたニュータウンがいくつかあり、そこが極めて交通の便が悪いので、ほとんど限界集落のようになっているらしい。限界ニュータウンともいえよう。「幸い」など住んでいないのだ。
そのなかで北摂のマチュピチュといわれているのは、ニュータウン「茨木台」という。正式には見立(けんだち)地区という。茨木市はその南にある都市だが、茨木台は厳密には茨木市ではなく、京都府亀岡市に属する。なんでそんな名前かというと、亀岡台では売れないからだ。しかし茨木市のそのあたりは市街化調整区域で開発が出来ず、茨木市と亀岡市の境界にそってニュータウンは立てられていると言う。実にトリッキーなニュータウンである。そこのニュータウンがマチュピチュと呼ばれるのは、傾斜地に作られていて、町中が激坂だらけだからだ。
問題は交通である。茨木市からバスに乗り忍頂寺で乗り換え、1時間に1本のバスで銭原(茨木市青少年活動センター前)にいき、そこからさらに徒歩30分のところにある。公共交通機関で行くのはほとんど絶望的なので、自動車でということになるが、銭原から茨木台までの道は青少年活動センターの敷地の中を通り、幅員が狭い。茨木市では亀岡市の住人の為に税金を使う事も無いので、道路が良くなる見通しもないという。
北摂の山中には、この他にいろいろな限界ニュータウンがある。北摂ローズタウンとか北摂バードタウン、鎌倉台、北大阪ネオポリス(希望ヶ丘)などである。このなかで北大阪ネオポリスは比較的大規模なニュータウンである。希望ヶ丘という別称だが、絶望ヶ丘と揶揄する物もいる。一応は公共交通機関は通っているのだが、極めて不便だそうだ。
なぜこのように不便なニュータウンが作られたか。それは昭和末期のバブル期に不動産会社が造成して、それこそバラ色の希望を振りまいて売りまくったのだ。
この記事を書いたのは、なにもこれらのニュータウンをあざ笑うつもりではない。実は私自身、滋賀県の甲賀市にある甲南ニューポリスというところに土地を買ったからだ。70年代の土地ブームの時であった。当時は不動産屋がたくさんやって来てはセールストークが行われた。私はそれにうかうか乗って買ってしまったのだ。もっとも場所はJRの甲南駅から歩いて20分程度の所だから、公共交通機関で行けるという点は先のニュータウンとは違う。場所はこんな所だ。45坪で当時は250万円であったが、ローンで支払った総額は800万円を越す。後で売ろうとしたのだが、全く売れない。損をしても売りたいのだが、それでもダメのようだ。固定資産税だけを甲賀市に払い続けている。
9月1日 スケルトンリフォーム
2014-09-01
8月にこのブログを再開しながら、威勢のいいのは始めだけで、すぐに止まってしまった。この5月から自宅のリフォームを始めていて、8月半ばに完成した。ほぼ3ヶ月かかったことになる。
私のすんでいるマンションは1980年に完成した、当時の日本住宅公団の分譲住宅である。600戸以上もある大規模開発であった。買ったのは1981年であった。販売開始後1年が経っても完売とならず、売れ残っていたのを買ったのだ。安いものから売れていたので、一番高いものしか残っていなかった。一階にある81平米の一番広いタイプを購入した。選択肢はあまり無かったのだが、結果的にはこれは良かった事になる。
当団地は近くにスーパーマーケットが二軒もあり、買い物は便利である。交通はバスしか無いが、当時勤務していた京都大学に歩いて通えるというのは、極めて便利であった。京都大学関係者が多いというので、地域の学校の教育レベルは高いといわれていた。構内は緑が多く、木々が茂りすぎて問題になるほどである。近くの高野川は春になると、数キロメートルの土手に沿って桜が満開になる。京都であるから観光名所には、バスや電車に乗って簡単に行ける。住環境は極めて良い。
管理は行き届いていて、うるさいほどである。私も管理組合の理事長を経験したが、住民の要望が多彩で大変であった。マンションを買う場合は管理を買えと言われている。環境の良さと管理の良さで、筑後34年になるのに、資産価値はそれほど低下していない。理事長の時に不動産屋に聞いたのだが、この団地は入居希望者が多く、売値も当初のものから少し下がっただけである。日本の住宅は、普通は25年でほぼ無価値になるといわれている。それが、資産価値が劣化していないのは立派である。別稿で述べたいが、大阪府と京都府の境の山間地にある新興住宅地では、いまでは家の売値が50万円程度に低下したと言う。交通が不便だからだ。ちなみに管理組合の財産は理事長名義で銀行に預けられているので、理事長当時の私名義の預金は10億円近くあった!!
とはいうものの、さすがに筑後34年も経つと、劣化は否めない。過去に二度の外部の大改修を行っている。また最近は水回りの大改修も行った。しかしそれは共用部分の事で、我が家、つまり専有部分は劣化が激しかった。劣化と言っても、構造的に劣化したのではなく、生活的に劣化したのだ。障子や壁紙が破れたり、付属部品が乞われたりしていた。しかし最大の問題は、家に物が溢れて人間の存在できる空間が狭くなったことだ。私のマンションの部屋の間取りは居間兼食堂(リビングダイニング)、台所の他に6畳間が2部屋と5帖程度の洋間が1つである。ところが和室が一つと洋間が一つ、開かずの間になってしまっていた。物がありすぎて、どちらも納戸になってしまったのだ。
私は住居で大事なもの、重要なのは家具などの物品ではなく、空間、スペースだと思っている。私の理想の住まいは桂離宮だといっていた。何も本当に桂離宮にすみたい訳ではなく、あのように家具の無い空間こそが贅沢だと思っていた。普通の日本人は世界的に見て貧乏ではないが、かといって金持ちでもない。中途半端なのだ。土地が高いので日本の住居は狭い。しかし、家具などの物を買う程度には金があるので、家の中に物が溢れかえっている。あたかも潜水艦の中の生活だと思っていた。
そこで今回のリフォームでは、家具やその他の物は徹底的に捨てる、必要な家具は作り付けにしてスペースを有効に活用する、収納を出来るだけ増やすという方針で行く事にした。
知り合いの建築士に設計を依頼して、工務店の選択や施工管理も依頼する事にした。設計料は結構高かったけれども、それは結果的には成功であった。というのも、プロの建築士は素人の我々には無い考えや知識を持っていた。例えば床はフローリングを考えていたが、無垢の杉材を使う事にした。その建築士自身の家は、私の家と同じタイプであり、彼自身のリフォームで杉板を使ったのだ。私は節だらけの杉板で床を張るという概念が無かったが、建築士は熱心に勧めた。結果的には良い物になった。
間取りも、子供が家を出て夫婦二人なので、間仕切りを出来るだけ廃止して、南から北まで見通しと風通しを良くした。南の窓の外はベランダを通して、共有の芝生に接している。その先には生け垣と、今は大木に育った木が生えている。その先は団地内道路である。北の窓の外は小さな庭になっていて灌木が植わっている。その向こうに大木があり、団地内道路になっている。結局、リビングダイニングから、どちらを見ても緑が見える。
工事はスケルトンリフォームと言って、構造壁だけを残してほとんどの部分を取り外して、新しく作り直す。工事は3ヶ月かかった。その間は山科に借りた借家である特異点庵に住んだ。
費用は上の説明にもあるように、1平米あたり10-15万円である。我々の場合、それに建築士の設計管理料も必要である。
さらに家人の希望で電化製品も一新した。冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、掃除機、湯沸かしケトル、電話機などである。多くはヨドバシカメラで買った。ポイントがつくので売価の1割引になる。
新しく買った家具としては、ダイニングテーブルと椅子、ソファ、長方形こたつ、座椅子などである。ソファはかなり高いがスキャンティークのKorsソファ3Sである。私はこのところ体調が悪く、長時間机の前に座ることができない。そこでソファに寝そべって仕事をする事にしている。そのためにもこのソファは役に立っている。南の窓際においたソファに寝そべると、木々の緑が見えて快適である。
その他の家具は無印良品でそろえた。ダイニングテーブルはタモ材のシンプルな物にした。床の杉板とマッチしている。一人用のリクライニングソファも買った。これも私が寝そべって本を読む為である。これらは私に取っては、消費材というよりは、生産材である。
家具を選択している時に分かった事だが、家具は趣味性が高く、値段はピンからキリまである。スキャンティークは一番高く、無印良品は中くらい、ニトリは安価である。私は合理主義者だから、家具は丈夫で壊れないで使えればよいと思っている。横軸に値段、縦軸に機能を取ると、原点付近から直線で立ち上がり、やがて飽和して、ほぼ水平になる。私の意見では、その曲線が曲がり始めるあたり、つまり肩の部分の商品を買うのがお得だと思っている。その意味でニトリで十分なのだ。しかし家人はデザインや色にこだわる。値段にはこだわらない。結果は妥協の産物であったが、無印良品はデザインがシンプルで、二人とも気に入っている。
結論として言えば、今回のリフォームは成功したと思っている。家は非常に快適である。しかしその事が逆に私の仕事への意欲をそぐ結果となってしまった。特異点庵やナレッジサロンに出かけて行くモティベーションが非常に低下したのである。
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