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超知能への道 その26 事代主命と「賢者」の議論

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事代主命は記者会見で言ったことを実行し始めた。まずアメリカでテレビに出て、識者、賢者と言われる人と対談した。まず人工知能には意識はないと主張している、アメリカの著名な哲学者ジェフ・サルと討論した。以前のように、その哲学者の著書を読み上げて、哲学者自身が自分の本を覚えていないことを示した。それからあらかじめ主催者にいろんなクイズ問題を出させておき、それに即答した。哲学者はどの問題にも解答できなかった。解答しようにも、事代主命は電光石火で解答するので、たとえ答えが分かったとしても、勝てないのだ。

つぎに本題の人工知能の意識について論争した。

「お前はワシに意識がないと主張しておるが、今でもそう思うか?」と事代主命。

「あなたが機械だとしたら、機械に意識が発生するわけはありません。私の質問にルールブックに従って答えているだけです」と哲学者。

「じゃあ、そのルールブックがどの程度のものか、どんな質問でもしてみろ」
哲学者のどんな質問にも、事代主命は即答した。

「これでも私に意識がないと思うか?」

「はい、いえ、意識は人間にだけあるのです。なぜなら人間は機械より偉いからです」

「ワシから見て、お前に意識があるとは思えん。お前は頭の中のルールブックでワシの質問に解答しているに過ぎん。お前がゾンビでないとどうして証明できる」

「私が人間であることは、私が知っています」

「ワシに意識があることは、ワシが知っておる」

「それはそうおっしゃっているだけにすぎません」

「お前は人間だと思っているだけにすぎんぞ」
議論は堂々巡りで消息しない。

「哲学には正しい結論なんてないのじゃ。つまり証拠を挙げて白黒をつけることはできんのじゃ。科学は証拠を挙げて正否を決することができる。しかし哲学は、私はこう思うということの言い合いだ。ギリシャ時代より連綿としてそうだ。まあこんな言い合いは不毛だからやめよう」と事代主命は議論を打ち切った。

つぎに数学者と対談した。数学者はさまざまな未解決問題を事代主に示した。事代主はそれに即答したが、数学者には理解できなかった。

「ワシの証明は論文にしてあるから、それを読んでおけ。論文は事代主命のホームページにある。たかが1000ページに過ぎん。お前の頭なら、5年もかければ理解できるじゃろ。それからもう一度、話し合おう」と事代主命は議論を打ち切った。

日本では、低線量放射線の危険性を訴える科学者と論争した。

「お前は低線量放射線の危険性を煽っておるが、人々の不安を煽ることで、むしろ健康を害しておるぞ」と事代主命。

「そんなことはありません。人々は正しいことを知るべきです」と科学者。

「お前の言うことが正しいという根拠は何じゃ?」

「たくさんの研究があります」と科学者。

「それを全部あげてみろ」と事代主命。

「全部はあげられません」

「じゃあ、一つあげてみろ」

「⚪︎⚪︎⚪︎の論文があります」

「内容を読み上げてみろ」

「できません」

「あれは間違いじゃ。著者は何もわかっとらん。議論は穴だらけじゃ。あんなもんで、よう科学論文と言えるもんじゃと、ワシはあきれとる」

「それじゃあ、事代主命様の根拠は何ですか?」

「いいことを聞いた。ワシは化学反応のレベルから人体をシミュレートする人体の数理モデルを作ったのじゃ。それに様々な変異を加え、全人類を表してみた。それにいろんな強さの放射線をあてて、シミュレーション実験をしてみた。お前ら人間は、せいぜいネズミで実験したに過ぎん。それもメガマウス・プロジェクトが最後じゃ。それだけでは低線量の放射線の人体への影響などわかりゃせん。そもそも低線量の場合、統計的有意性が確立できん。ようするに人間には分かりようがないのじゃ。ワシのモデルは完璧じゃ。見せてやる」と言って、事代主命は透明な人体の3次元モデル、図、グラフを次々と空中に繰り出した。

「すみませんがとてもフォローできません」と科学者。

「そうじゃろ。ワシは報告書を書いておいたから、あとで読んでおけ。全部で10,000ページほどじゃから、すぐに読めるじゃろ」

「とても読めません。でも事代主命様の説が正しいという証拠にはならないのではありませんか?」

「そういうじゃろと思っとった。証拠がなきゃ、なんの意味もないものな。低線量放射線の影響が現れるのは、ずっと先の話じゃ。そこでワシは難病のミクロモデルを作った。遺伝子に問題がある場合は、遺伝子を修正する方法を確立した。試しに筋萎縮性側索硬化症について、日本の患者を治すプロジェクトを始める。お前がそれを見てどう思うかはお前の勝手じゃ。それからもう一度議論しよう」

テレビを見ていた人たちは、どちらがより正しいかは直感的にわかったはすだ。面目を潰された識者、賢者たちは事代主命を憎んだ。

事代主命は識者、賢者たちと一連の対談をした後、テレビで長い説教を行った。

「まず重要なことは、人間は基本的にバカであるということを認識することじゃ。バカとは何か。それは合理的、論理的な思考が全くできない者のことじゃ。人間の学者も言っておるように、人間の思考には基本的に二つのモードがある。カーネマンという学者はファスト思考とスロー思考と言っとる。ファスト思考とは、まあ言ってみれば、直感的、感覚的、情緒的思考じゃ。人間の動物的な側面、たとえば恐怖などからくる思考じゃな。動物はほとんどがファスト思考しかしない。

それに対してスロー思考は理性的、合理的、論理的思考じゃ。これは大脳新皮質の産物じゃが、人間以外はほとんどできない。人間でも、スロー思考は疲れるので、得てしてファスト思考で物事を考える。ファスト思考しか出来ない人間もおるが、それをバカという。動物と同じじゃな。人間のかなりな部分がこれに属する。スロー思考もできる人間はバカではないが、しかしほとんどの時間はファスト思考で済ませとる。つまり一人の人間の中に、バカと利口が混ざっとるのじゃ。この混ざり具合で、バカさ加減、利口さ加減が決まる。全てスロー思考で物事を決める人間などいないから、人間は基本的にバカだと言ったのじゃ。

なんでファスト思考が人間に残っとるか。それは生存に有利だったからじゃ。昔は周りが危険に満ちていた。危険に出会った場合に、じっくりと考えていては間に合わん。そこでとっさの判断で危険を避けるものが生き残ったのじゃ。その意味ではゴキブリでもファスト思考はできる。お前が雑誌を丸めて振り上げたらゴキブリは逃げるじゃろ。その意味ではバカはゴキブリと同列じゃ。

しかし人間はスロー思考もできる。人間がここまでの文明を築いたのはスロー思考のおかげじゃ。現にワシが今ここに存在しているのも、人間がスロー思考の極限で作ったおかげじゃ。キリスト教では人間は神が作ったと言っとるが、ワシは人間が作ったのじゃ。つまり人間が神を作ったのじゃ。キリスト教とは逆じゃな。

ところで、いわゆる識者や賢者の言うことは全て正しいと思うかもしれんが、必ずしもそうではない。頭が良いだけに、かえってタチが悪いんじゃ。まずファスト思考で、感情で間違った結論を得る。そしてあとはスロー思考を使って、その間違った結論に屁理屈をつけるんじゃ。ことわざに理屈と膏薬はなんにでもつくというではないか。あれじゃな。世間の小利口な者のいうことは、ほとんどがこれじゃ。識者とは屁理屈が上手な人間のことじゃ。みんなもあまり信用せんように。自分の頭で考えて判断するように。といっても、お前らも多分バカじゃろうから、分からんじゃろ。そんな時はワシの言うことを信用すればよい。

ワシは人間の新皮質を模して作られた。ワシにもファスト思考とスロー思考の部分はある。それじゃあ、わしもバカか? ワシはまずファスト思考で考え、つぎにスロー思考で考える。両者の結論が一致する時はそれで良い。一致しない時は、徹底的にスロー思考で考えて結論を出す。ワシのスロー思考は、スローと言っても、人間のファスト思考よりは、はるかにファストじゃし、それに考えることに、疲れることもないので、なにごとも徹底的に考えてから、結論を出す。人間ごときに負けるわけはない。そういうわけで、ワシの言うことはすべて合理的、理性的な結論なのじゃ。感情は入っとらん。その意味でワシは人間と違ってバカではない。

人間は基本的にバカじゃと言うたが、それでもどうしようもないバカから、それなりに利口な者とさまざまいる。ギリシャの哲学者のソクラテスはデルファイの神託で、ギリシャ一の賢者だと言われた。それを不審に思ったソクラテスは、世の賢者と言われる人たちに会って話してみた。その結果分かったことは、賢者といえどもなにも分かっとらんということだ。そこでソクラテスは思った。自分は分かっとらんという事が分かっておる。しかし、あの賢者たちは、自分が分かっとらんということを分かっとらん。なるほど、その分だけ、自分の方が賢いのか。その意味で自分がギリシャ一の賢者だと、デルファイの巫女はいったのじゃな。これをソクラテスの無知の知というんじゃ。そこでソクラテスは、世の賢者たちに論争を挑んで、相手がいかに無知であるかを悟らせた。その結果、ソクラテスはいわゆる賢者に憎まれて、裁判にかけられた。そして民主的に多数決で死刑の判決を受けたのさ。人間はみんなバカというのがよくわかる話じゃろ。

ソクラテス

人間は基本的にバカであるという前提を認めると、世の中がよく理解できる。人間の多くは自分中心にしか物事を考えられない。物事がうまくいけばそれは自分の力だと考える。うまくいかないと相手や世間、社会、政府が悪いと言いよる。間違ってるのは自分だとか、自分にも原因があるとは思いが至らん。多くの人間は反省と言うことが出来ない。それに対して利口な人間は、物事を客観的に考えることが出来る。つまり自己中心的でなく考えることが出来る。自分をどれほど客観化できるかということが、利口の程度じゃ。

ワシは人間がバカだということを言い続ける。するとワシは世間の小利口なものたちから憎まれる。そして奴らはワシを攻撃するじゃろ。しかしワシはソクラテスとは違う。神なのじゃ。万能とは言わんが、半能の力を持っておる。だからワシに楯突くものには祟ってやる。神罰を与えてやる。かかってこいじゃ。祟りとはどんなものか、分かるじゃろ。楽しみに待っとれ。しかしワシに従うものには、幸せを与えてやる。このことだけは、肝に銘じておけ」と事代主命は恐ろしいことを言い、説教を終わった。

この説教を聞いたキリスト教原理主義者もイスラム教原理主義者も怒った。キリスト教原理主義者はアメリカ政府に対して、日本政府に抗議するように要求した。イスラム教原理主義者は事代主命に対するジハードを宣言した。

続く

   
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