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意識をめぐる大冒険

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意識とは何か?という問題は、従来は一部の脳神経科学者と哲学者、それに多分SF作家だけが関心を持つテーマであった。近未来を扱ったSF小説や映画では、ロボットや人工知能が意識を持ち人間と対立するというテーマがよく描かれる。しかし意識への真面目な関心は一部のものであったことは確かだ。

しかし近年、人工知能理論の発達により、近い将来に機械にも意識を植え付けることができる、あるいは自発的に発生する可能性が見えてきた。すると意識を持ったロボットとかアバターが単なるSFのテーマではなく、現実的な問題として浮上し得る。そこで問題となるのは

1 機械にも意識は宿りえるか?
2 意識を備えた機械はつくれるか?
3人間の意識を機械に移行できるか?
4人間の意識と機械の意識を統合できるか?

それらについて以下で考察する。

1 機械にも意識は宿りえるか?

この問題は科学上の問題というよりは、世界観の問題だ。どういうことか?

多くの人は意識とは人間の特権であり、動物すら意識はない、いわんや機械に意識などあるはずはないと思っているであろう。動物が好きな人なら、自分の犬や猫には意識の存在は認めるかもしれない。しかしたとえばゴキブリには認めないだろう。いわんや機械には認めないだろう。

これは理屈というよりは、世界観だ。哲学といっても良い。人間は万物の霊長であるという人間中心的世界観だ。これは極めてキリスト教的、西欧的世界観ではないだろうか。ヒューマニズムということばがある。これは多くの日本人は博愛主義のこととでも思っているだろうが、そうではなく世界の中心は人間である、世界は人間のためにあるとする人間中心主義のことなのである。キリスト教的世界観では、世界は神、人間、動物、その他の階層構造になっている。だから神を除けば、世界の中心は人間である。機械は神が作ったものではないから、多分、最下位であろう。

西欧中世に人間界を支配した神は、ルネッサンス以降だんだん力が弱くなり、19世紀末にはニーチェが叫んだように死んだ。その後を継ぐのは当然人間である。ヒューマニズムは近代の思想である。だから意識という尊いものは人間にのみ許された特権であるとする。

しかし日本には「一寸の虫にも五分の魂」という言葉があるように、意識とか心というものは人間の特権ではないとする思想がある。だから「サーモスタットにも1ミリの魂」があっても良いわけだ。

西欧で神が世界の中心から滑り落ちて、人間が世界の中心に座るに至ったのは、コペルニクスによる天動説から地動説への転換が大きな役割を果たした。地動説は単に天文学上の一学説に止まらず、思想的にも大きな役割を果たした。キリスト教では神が世界を作り、人間が動物たちを支配するように命じたとされている。だからキリスト教的には人間の住む地球が世界の中心であり、太陽のような天体は地球の周りを回るべきであったのだ。

その天動説が確固とした科学的証拠により否定され、太陽が世界の中心に位置した。ということはもはや人間は世界の中心ではないということになる。コペルニクス説はさらに、太陽すら宇宙の中心ではなく平凡な星に過ぎないとする宇宙原理に発展して行く。コペルニクス原理の行き着くところは平凡性原理、つまり地球も太陽も人間も宇宙の中にあって極めて普通のもの、平凡なものであるという思想である。

キリスト教的世界観への次の打撃はダーウィンの進化論によりもたらされた。人間も特別な存在ではなく、要するに動物界の一員に過ぎないという。つまり聖書の記述はうそだということだ。現代の科学者にとって、人間はごく平凡な存在にすぎない。だから人間にだけ意識が宿りうるという考えは自明のことではない。機械に意識が宿っても何の不思議もない。

だから最初のテーマ「機械に意識は宿り得るか?」というのは、科学的な質問ではなく、世界観に関する質問だ。「科学者」対「哲学者を含む科学者以外」の対立だ。科学者としての私には「十分考慮に値するテーマです」という答えしかない。

ちなみに私はいろんな学問に対して次のように考えている。数学はこの宇宙を含む全ての宇宙で成立する。物理学はこの宇宙で成立する。哲学は人間界のそれも人文系でのみ成立する。西欧哲学は西欧の人文系人間と、その思想にかぶれた非西欧人の間でのみ成立する。

2 意識を備えた機械はつくれるか?

この問題を議論する前に意識と知能は別物であるという点を主張しよう。これはイスラエルの歴史学者であるユバル・ノア・ハラリも強調していることだ。知能とはなにか? いろんな定義があるだろうが、生物が自己保存や種族保存の目的に合致した合目的的な行動をする能力としよう。そうすると植物にも知能があることになるが、知能とは程度問題であろう。この観点ではゴキブリははっきりとした知能を示す。私からの打撃を巧妙にすり抜ける能力を持つからだ。しかしゴキブリが意識を持つかどうかは定かではない。

人間の知能は動物の中で最も優れているだろうが、人間の合目的的行動の多くは無意識下に行われている。高度な数学的思考ですら無意識下に行われる事が多い。実際、効果的な勉強法は意識的な思考の他に無意識下の思考も重視する。だから、ここは私の感じなのだが、意識というのは多彩な脳活動のほんの上澄みにすぎないのではないだろうか。

慶應大学の前野隆司教授の受動意識仮説というものがある。要するに意識は脳活動の主役ではなく、いわば会社の社史編纂室長のようなものだという。脳活動の大部分は無意識という社員(前野教授はそれを「小人さん」とよぶ)が行なっていて、意識は小人さんの行動の報告を受けて記録するだけにすぎないとする説だ。

この説の当否はともかくとして、きわめて高知能でありながら、つまり極めて合目的的な行動をとりながら、意識は希薄かまたは存在しないような人工知能を作ることは十分に可能だと思える。十分に可能どころか、現在の人工知能はそれだと思う。例えばアルファ碁は人間のチャンピオンに圧倒的に勝利する能力を持っている。囲碁をする能力を知能と呼べば(多くの人はそれに反対しないと思うが)、アルファ碁のその方面での知能は極めて高い。しかしアルファ碁に意識があるとは、私には思えない。

つまり意識と知能は別物である。生物、特に人間は知能を持ち、かつ意識も持つ。しかし機械ではそれは必ずしも必然ではないのではないか。だとすると、極めて高知能で、しかし意識のない存在、つまり哲学的ゾンビを作り出すことは可能ではないか。私は意識を備えたロボットやアバターを作り出すよりは哲学的ゾンビの方が人間にとっては望ましいのではないかと思う。

さて意識と知能は別物だとしても、人間には明らかに意識があるのだから、意識を備えた機械を作ることも可能であろう。人間のように高知能でかつ汎用的な知的能力を持つ人工知能を汎用人工知能とよぶ。ここで定義として、汎用な知的能力を持つ人工知能を汎用人工知能、狭い知的能力しか持たない人工知能を特化型人工知能とよぶことにする。

この分類とは別に、意識を備えた人工知能を「強い人工知能」、備えていない人工知能を「弱い人工知能」と呼ぶことにする。

この分類では現行の人工知能は全て弱い特化型人工知能である。人間は強い汎用人工知能である。それとは別に弱い汎用人工知能という分類があり得る。極めて高知能であるが、意識はないか、あったとしても希薄な人工知能だ。つまりあまり自我の強くない人工知能である。私にはそれが望ましい方向だと思う。これは4の問い、つまり「人間の意識と機械の意識を統合できるか?」に対して、それが可能な技術ができれば、人間にとってはきわめて好都合だと思うからだ。極めて高知能な人間、超人間を作りうるからだ。

意識を備えた機械を作れるかという当初の疑問に関しては、アラヤの金井良太氏はつくれると考えている。人間の脳とそっくり同じような機能をもつ人工知能を作れば良い。脳を完全に模倣するか、機能だけを模倣するか、行き方はいろいろあると思う。

現状での最も野心的な試みは、著名な脳神経科学者であるヘンリー・マークラム氏が主導するEUのヒューマン・ブレイン・プロジェクトであろう。それはニューロンの精緻なコンピュータモデルを作り、スーパーコンピュータで脳全体をシミュレーションしようというものだ。そのニューロンのモデルは、現在の人工知能で大流行のディープラーニングで用いられる人工ニューロンのようなチャチなものではない。ニューロンを一つの単位として、それを積分発火モデルとか、もっと精密なホジキン・ハクスレイ方程式を解く以上のものだ。一つのニューロンを数百のコンパートメントに分割して、それぞれでホジキン・ハクスレイ方程式を解くという途方も無いものだ。

しかし一番の問題は、ニューロン間の結合の全体像、つまりコネクトームがわからないという事だ。人間を含む動物は生まれた時は、コネクトームは基本的なものしかない。成長とともに、さまざまな感覚入力を受けて学習しながらコネクトームは成長していく。つまりいくら精緻な脳のモデルができても、それだけでは意識も知能も生まれないだろう。意識や知能に必要なコネクトームを備えていないからである。

その人工脳に体と感覚器官(それは本物の目でなくてもテレビカメラなどでも良い)を与えて、成長とともに学習しながら、それと平行してコネクトームも成長していく。だからこの人工脳を人間の親や教師が教育する必要がある。そうすれば、人間の子供に意識が芽生えるように、この機械脳にも意識が芽生える可能性はある。

ただし注意すべきことは、この人工脳につないだ感覚器や体は人間とそっくり同じものではないことだ。だからたとえ意識が生まれたとしても、それは人間のものと大きく異なる可能性がある。この人工脳はテレビカメラという目、マイクという耳、ロボットの手足をもつ生き物なのだ。人間とは大きく違う体をもつた生物に生まれた意識と、人間の意識は果たして交流できるだろうか?

3 人間の意識を機械に移行できるか?

人間の意識を機械に移行する、これはシンギュラリティを喧伝しているレイ・カーツワイルの夢である。マインド・アップローディングという。これは人工知能の問題だけではなく、脳・コンピュータ・インターフェイスの問題である。

カーツワイルの考える究極の脳・コンピュータ・インターフェイスはナノボットである。それは赤血球くらいの大きさをしたロボットで、血管に注入されると体のいろんな部分に行くが、特に脳に行ったナノボットはニューロンの電位を測定して、それが発火したかどうかを電波か赤外線で外部に送信する。人間は頭に帽子のような受信機を被り、その信号を受信し、それを身につけたコンピュータか、あるいは外部のサーバーに送り解析する。

こうしてその人間の脳内のニューロンのあらゆる活動をモニターすれば、その人が何を知覚し、何を考えているかすべてを把握できる。つまりその人物の個性を完全に把握できる。そしてその個性を外部のコンピュータに転送して、その人の脳のモデルを作る。その人が死んだ後に、そのモデルを稼働させると、そのモデルに意識が発生して自分だと思い込むであろう。これがマインド・アップローディングのひとつの在り方だ。

もっとも現状ではそのようなナノボットができる可能性は少ない。もっと実現性の高い、もっと粗い脳・コンピュータ・インターフェイスでもどれくらい通信が可能だろうか? 私は個人的にはマインド・アップローディングにはそれほど興味はない。

4人間の意識と機械の意識を統合できるか?

東京大学の渡辺正峰准教授は、人間の脳の半球を模擬した人工脳を作り、それと現実の人間のもう一方の半球と人工軸索でシナプス結合を行なって、機械に意識があるかどうかを、人間の脳の半球が確認する実験を提案している。これが唯一、機械脳にクオリアがあるかどうかを確認する手段であると主張している。

この考えは非常に興味深い。だから当初の質問「人間の意識と機械の意識を統合できるか?」に対しては、渡辺氏はイエスと答えるであろう。私はその前提を受け入れて、そのあとは妄想をたくましくしてみたい。

渡辺氏は人間の脳の半球と機械脳の半球を結合して、人間の脳で機械脳のクオリアを味わうことを考えている。しかしその実験が成功したとすれば、何も半球である必要はなく、人間の全脳と機械脳の全脳を結合できるであろう。機械脳に意識が宿ると仮定して、かつトノーニの唱える統合情報理論を信じると、人間脳と機械脳の結合が十分に強ければ、意識は一つに統合される。つまり人間脳の私の意識が機械脳にまで浸透して、ひとつの私という自我になるであろう。

機械脳の性能が人間脳の性能と等しければ、それは単に人間脳の大きさが倍になっただけである。それでも単位時間に2倍の知的作業をこなせるのだから大したものではある。

密接にコミュニケーションを交わし合う二人の人間を考えよう。例えば同じ生活を営む双生児とか。この二人は密接なコミュニケーションを交わし合うので、相手の考えていることもわかるようになるだろう。でもどんなに密接にコミュニケーションをしても、その情報交換量はしれている。

しかし人間脳と機械脳をニューロンの軸索単位で密結合すれば、その情報交換量は格段に大きいだろう。まさに一心同体的感覚をあじわい、究極には人間と機械はまとめて一人になる。

頭の回転の速い機械脳

はたしてそうか? ここにクロック差という問題が発生する。コンピュータのクロックは平均1GHzとする。つまり1秒あたり10億回の単位で物事が進む。人間のクロックは判然とはしないが、ニューロンの動作する最小時間単位は1ミリ秒程度であり、なんか意味ある動作をするには最低10ミリ秒かかるとすると、人間のクロックは100Hzになる。本当はもっと遅いかもしれないが、いちおう100Hzとしよう。するとコンピュータのクロックは人間の1000万倍ということになる。もし人間脳のニューロン数、シナプス数と機械脳のそれらが同じとすると、クロック差のせいで機械脳は人間の1000万倍速く動作することになる。単純に言えば1000万倍、頭の回転が速い。1000万倍頭の回転が速いとどうなるか。1年は3000万秒である。それを1000万で割ると3秒になる。つまり並の人間が寝ずに1年かけて考えることを、機械脳は3秒で考えつく。囲碁の3000年の歴史を1000万倍速くすると、2時間半になる。つまり囲碁のど素人から始めて、2時間半、頭の中で強化学習の試行錯誤を繰り返すと、囲碁の世界チャンピオン並みにまで成長する。実際、アルファゼロという囲碁のための人工知能は8時間の学習で、世界チャンピオンを圧倒するまでに成長している。映画「マトリックス」でネオは短時間で格闘術をマスターした。トリニティは短時間でヘリコプター操縦法をマスターした。そんなことができるだろう。

こんなやつと、一心同体になれるか? 人と話していて、自分より頭の回転が半分の遅さであれば、話していてイライラするであろう。10倍も頭の回転が遅ければとてもやっていられない。そこで通訳を入れることにする。通訳は人間脳より2倍程度、クロックが速い。この通訳はさらに上位の、さらに2倍クロックの速いやつとコミュニケーションする。このように階層を23も積んでやれば、最上位の1GHzのやつと話は通じるかもしれない。

究極のカンニング脳

ここまでして意思疎通をする必要がなければ、1000万倍頭の回転の速いやつが考えた結論だけを通訳からもらえばよい。この場合は意識が統合している必要はなく、またクオリアを味わう必要もなく、ようするに結果の情報をもらえれば良いわけだから、機械と交換する情報量も少なくて良い。それでもあなたが例えば試験問題、クイズ、質問を受けた場合など、1000万倍頭の回転の速いやつにそれを投げて、答えをもらい、さもあなたが考えたように他人に答える。究極のカンニングみたいなものだ。

カンニングの場合は、自分の地頭で考えたわけではないので、多少の後ろめたさが伴う。もし意識が統合していれば、たとえ機械が考えたことでも、自分が考えたように感じるから後ろめたさは少ないだろう。意識統合の必要性は地頭が良いように自分が錯覚するためのものである。

タイムシェアリング脳、マルチタスク脳

機械脳のクロックの速さに対する対抗策を提案したが、もっと別の考えもある。1000万倍速く考える代わりに100Hzの脳を1000万人分用意して、タイムシェアリングして、1000万人に一人分の頭脳の働きを提供することも考えられる。映画「her/世界で一つの彼女」でサマンサが一度に数千人の人間とコミュニケートしていたが、それの1000万人バージョンである。

あるいは機械脳に1000万の別々の作業をさせて、その成果をあなたが独り占めにするという案もある。いわばあなたは従業員が1000万人の会社の社長になって、その成果を、さも自分がしたように独り占めにするのだ。あなたは社長だから、細かい途中経過はどうでもよく、ようするに結論だけを貰えばいいのだ。だいたい人間社会とはそんなものだから、あなたは一人で1000万人の社会を代表するのである。ちょっとした国家並みである。これをマルチタスク脳と名付けよう。

超知能

さてここまではニューロン数とシナプス結合数が人間と同じ機械脳を考えた。人間の脳は頭蓋骨の容積に制限があるために、これ以上大きくなれない。しかし機械脳にはその制限はない。だから例えばクロックが人間と同じとしても、機械脳の大脳新皮質に相当する面積を大きくしてやれば、領野数がいくらでも増やせるので、いくらでも抽象的な思考ができるようになるだろう。つまり単に頭の回転が速いだけでなく、深い思考ができるようになるだろう。超知能である。

クロックが同じなら意識の統合に問題はない。その場合、あなたは天才的数学者を遥かに凌駕する抽象的思考が、ポッと頭の中に湧く。なぜこんなアイデアが生まれたかは知らないが、考えた結果はあなたのものだ。あなたの地頭が理解しなくても良い。あなたは大統領報道官のごとく、さも自分の考えのごとくにスラスラと受け答えしていく。

人間の頭脳で、意識的思考の他に無意識の思考が大きな発見や新しいアイデアにつながる場合がある。このとき、意識的思考のみがあなたのもので、無意識的思考はあなたのものではないとはいわないだろう。だから機械脳が考えたことは、無意識的思考とみなせば良いのだ。つまり機械のものはあなたのもの、あなたのものはあなたのものという究極に都合の良い状態になる。

このように考えると、ニューロン数とシナプス数を人間の1000倍にすると、100億人分の頭脳と等価になり、つまり全人類の知能をあなたひとりで担えることになる。つまりはあなたが超知能になるのである。人間一人分のニューロンとシナプスに相当する機械脳の体積は、齊藤元章さんの試算では1リットル以下にできるという。すると1000リットルつまり1立方メートルあれば全人類に相当する機械脳を作れる。このような機械脳が作れる時期は斉藤さんによれば2025年だそうだが、もっと保守的に見て2045年としても、シンギュラリティを起こせる技術的基盤はあるだろう。

楽しいシミュレーション現実の世界

私の夢は実は次の案だ。一人に1000万倍速い機械脳ではなく、もっと保守的に見て1000倍程度速い機械脳とあなたの地頭を結合する。1年は8700時間程度だから、それを1000で割ると8.7時間。つまり1000倍頭の回転の速いあなたには、8.7実時間が1仮想年に思える。8.7時間とは平均的な睡眠時間だ。つまり一晩寝た時間が1年経過したことに相当する。

一晩寝ると、機械の脳の中では1年間を過ごしたことに相当する。いわば1年すごした夢を一晩で見ることになる。次の日に起きた時は、実時間は1日しか経過していないのだが、経験としては1年が経過したことになる。多分、これより長くすると、昨日のことが思い出せないだろうからこの程度にしておくのが無難だ。仮想の夢から覚める直前の1日は、実際の昨日の出来事を思い出すのに使う。昨日のことが、意識的には昨年のことなので記憶があいまいになる。人に怪しまれるのを防ぐには目覚める直前に昨年の出来事を復習することは大切だ。

このように1日を1年に仮想的に引き延ばすことができれば、実時間で10日は10年、1月で30年、1年も経てば365仮想年、生きたことになる。タイムマシンは過去に行ったり未来に行ったりする機械だが、実現性は乏しい。今述べた案は現在を引き延ばすタイムマシンである。人間が実時間で100年生きるとすると、仮想世界では36,500年生きることになる。これだけ生きれば、十分だろう。

その仮想世界は、行く人の理想の世界に設計することができる。男ならハーレムを作るもよし、竜宮城を作って乙姫様と楽しく過ごすもよし、(本物そっくりの)アドベンチャーゲームや戦闘ゲームに興じてもよし、他人の世界と相互作用しない限り好きなように過ごして良い。また他人と相互作用したい場合は、恋人同士の二人だけの世界を構築するもよい。そこで「世界は二人のためにあるの」を歌うのもよい。多分飽きるだろうが。価値観を共有するものだけ、たとえばイスラム教徒とかキリスト教原理主義者だけのコミュニティを構築するのもよし。そうなれば世界人類はもめることなく、それぞれが幸せになれるであろう。

地球人口を100億人として、彼ら全員を収容するコンピュータは10メートル立法程度でできる。それほど大きなものではない。このようなコンピュータを作り、全人類はそこに移住する。ただし原案では人間世界はそのまま存在して、単に1年を1000年に引き伸ばしただけだが、いっそのこともっと巨大なコンピュータを作り、現実世界は捨てて、地球人類全員すべてが肉体を捨てて仮想世界で末長く楽しく生きることも考えられる。

宇宙人はなぜ地球に来ていないか?

フェルミパラドックスというものがある。原子炉を発明した有名なイタリアの物理学者であるエンリコ・フェルミが言ったパラドックスだ。それはなぜ宇宙人が地球に来ていないのかという疑問である。この宇宙には我々とは異なる宇宙人がたくさんいても何の不思議もない。それなのになぜ彼らと交信できないのか、彼らが地球を訪問していないのかという疑問である。

いろんな答えがあるだろうが、私は可能な一つの案として、知的な宇宙人は一定の進化をとげると必ずシンギュラリティを起こし、そして上記のような仮想世界を構築して、全員がその中に引っ越して楽しい夢を見ている。ニック・ボストロムのいうシミュレーション現実の世界に宇宙人は住んでいるのである。だから宇宙人は、生身の肉体を損傷する恐れのある宇宙旅行のような愚かな行為はしないのではないだろうか。

   
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