集合知と集合愚
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- 作成日 2019年6月24日(月曜)17:29
- 作者: 松田卓也
集合知とは簡単に言えば「三人寄れば文殊の知恵」といわれる現象のことで、一人で考えるよりは多くの人が考えた方がより良い解答が得られる場合があるということである。一方、これとは逆に「集合愚」とは、たくさんの人が集まるとかえってバカになる現象を指す言葉である。これは新造語である。昨今の世相、政治世論などを見ると日本でも世界でも集合愚現象が多く見られる。例えば英国のEU離脱(ブレグジット、Brexit)とか、アメリカでトランプ大統領が選ばれたという現象とかがそれだ。今回は集合愚が発生する機構について考える。
もっとも集合愚という言葉は一般的ではない。一般的な言葉としては衆愚がある。例えば衆愚政治とか。衆愚政治とはもともと愚かな大衆(衆愚)が集まって政治の実権を握ることをいう。それにたいして集合愚とは衆愚とは異なり個人としては賢くても、多くが集まるとバカになる現象をいう。なぜ集合愚現象が生じるのか? そのメカニズムはなにか?
集合愚を語る前にまず集合知について語ろう。そもそも「集合知」とはなにか? それは多くの人による大量の情報の寄せ集めにより、よりよい解答が得られる現象である。集合知を利用したサービスの代表的な例にウイキペディア(Wikipedia)などがある。専門家の作る辞典より良い場合がある。
動物における集合知現象
集合知と似た現象として群知能(Collective Intelligence)という言葉もある。ちょっと質は違うが、興味ある現象だ。具体的には鳥や魚、アリやハチの集団行動で見られる知性のことである。鳥や魚の群れの統一した一貫した行動は、中央に統率者がいるわけではない。個々の鳥や魚はとなりを見てそれに同調することにより、全体としては一貫した行動を実現する。つまり個々には賢くなくとも、全体としては賢く見える行動をとることがある。
ハチやアリの場合も集合知がある。ミツバチが蜜を集める方法が知られている。良い餌のある場所や餌場を見つけたハチは、巣に戻って尻振りダンスでそれを他のハチに知らせる。尻振りダンスの回数や時間は餌場の良さに比例する。2箇所に分かれて、質の高い良い餌場と、そうでない餌場があるとき、ハチは良い餌場に集中せずに良くない餌場にも、それなりの数がいく。それは長期的に見ると良いことだ。なぜなら良い餌場が枯渇するなどしても、変化に対応できるからだ。
なぜ良い餌場にだけ集中しないのか。その理由は、巣にいるハチはすべての尻振りダンスを見るわけではなく、たまたま見かけたハチの尻振りダンスにつられるからだ。良い餌場から戻ったハチの尻振りダンスの時間は長く回数も多い。つまり餌場の良さに比例して尻振りダンスが行われるので、それを見るハチの数も多くなる。だから餌場の良さに比例して、そこにいくハチの数が決まる。この方式の良い点は、先にも述べたようにハチが良い餌場に集中しないことにより、餌場の質が変化した時に対応できることだ。つまり個々のハチは決して賢くない。たまたま見た尻振りダンスに釣られるだけである。しかし全体としてみれば賢い行動をとっていることになる。全体として賢い理由は、ひとつに集中しないこと、つまり適当な分散があることだ。分散があると、環境が変化した時に対応しやすいのだ。
政治的な意見や世論の例でいえば、意見が一つに集中しないこと、適当な分散、多様性があることが健全である。はたして日本や世界の政治の現実はそうなっているであろうか?
集合愚
次に集合愚について考えたい。そもそも集合愚とはなにか? 集合愚の反対は集合知であるが、集合知は、例えば上に述べたように個々のハチや人が賢くなくても、全体としては賢い行動をとることである。集合知の原因は意見や行動の分散性、多様性によることは述べた。
集合愚とは、集合知とは逆に個々は賢くても、集まるとバカになる現象のことである。集合愚現象の発生する原因は意見や行動に多様性がないことだ。多くの人が同一の意見や行動をとることが集合愚現象の原因だ。多様性の欠如の欠点は、環境が変化した時に、最適なものが変わるが、それに追随できないことである。集合愚的行動をとる種族は、変化する環境に適応できずに滅びるのである。
中心極限定理・正規分布・偏差値
数学に中心極限定理という定理がある。いまある現象を記述する確率変数があるとする。確率変数としては例えば人々の身長とか成績とかなんでもよい。その確率変数が独立だと、多数回の試行で全体の確率分布は正規分布とよばれる釣鐘型の分布(ベルカーブともよばれる)になることが知られている。これを中心極限定理という。正規分布はガウス分布ともよばれる。
例えば受験生の成績を偏差値で表すのは、成績の分布が正規分布(ガウス分布)をするからだ。成績は平均的な成績をとるものが最も多く、成績の良いあるいは悪い方法に行くと、人数がどんどん減って行く。
本題とは離れるが、ここで(学力)偏差値のことを少し説明しておく。日本では受験生の偏差値は平均が50で標準偏差を10としている。標準偏差が10であるとは、偏差値が50プラスマイナス10、つまり偏差値が40から60の間に全体の68%が含まれることである。だから偏差値が60以上(あるいは40以下)の受験生はそれぞれ全体の16%しかいない。偏差値が70以上だと全体の2.3%、80以上だと0.13%しかいない。つまり偏差値が80以上の人は、単純に言って1000人に一人しかいないのだ。
受験生の集団からある受験生を選ぶと、その人の偏差値はある値をとる。別の受験生を選ぶと、また別の偏差値をとる。この二人の受験生の成績に関係がない場合、個々人の偏差値は独立であるという。正規分布では確率変数は平均値のあたりに多く分布して、極端な部分は少ない。正規分布になるための重要なポイントは個々の確率変数の独立性である。
世論の分布
話を戻して、世論で例えると、世論が正規分布すると仮定すると、中庸な意見が大部分を占めて、左右の極端な意見は存在するが少ない。それが健全な社会である。世論が正規分布をするためには、個々人の意見が独立であることが必要だ。つまり個々人がマスメディアやネットの意見に流されないこと、つまり自分で独立して考えることである。個々人の意見はいろいろあろうが、互いに独立だと全体としては健全な正規分布になる。
逆に健全でない意見分布とは、例えば山が二つあるような二極分化した意見分布である。例としては米国の共和党と民主党とか、英国のEU離脱の賛成派と反対派がある。日本だとネトウヨとパヨクとよばれる人々が二こぶの山を持つ分布をするとすれば、それは正規分布ではない。
現代社会の世論に見る多様性の欠如の原因は、テレビや新聞、週刊誌などのマスメディアとか、ネットによる一方的な意見の拡散である。またそれを無批判に受け取る読者、視聴者の存在が意見の多様性を妨げる。つまり人々が自分の頭で批判的に考えないことが原因である。昔、大宅壮一という評論家がいて「テレビによる一億総白痴化」という言葉を広めた。これは国民の多くがテレビ漬けになり、自分の頭で考えなくなり、バカになる現象を憂えた言葉だ。国民全員が同じテレビを見て、同じ評論家の意見を聞いてそれに同調すると、国民の意見は同じになる。あるいは二人の評論家の違う意見を聞いても、そのどちらかに同調すると二こぶ山の分布になる。
集合愚のひとつの具体例として英国の国民投票によるEUからの離脱(ブレクジット、Brexit)決定がある。知識人は警告していたが、多くの国民はポピュリストのウソの宣伝に騙された。ブレクジットの主導者の一人の愛国党党首のファラージ自身が国民投票直後にウソを認めている。例えば英国がEUに支払う金を止めれば、国民健康保険にもっとまわせるとかいうのはウソである。ブレクジットが過半数の国民に受けたのは、移民の排斥の訴えである。これは理性よりは感情である。ブレグジット派は英国に主権を取り戻せといった愛国的な国民感情に訴えた。
英国がEUに止まることの利点は多い。英国の産業はすでにヨーロッパ諸国と一体化している。英国がEUを離脱するとEUとの貿易の関税が高くなり、英国にある多くの工場や産業はヨーロッパに移転して、長期的には英国は衰退するだろう。実際、日本の日産やホンダの工場は英国離脱を模索している。英国がEUに所属するメリットは他にも多い。例えばEU所属国の国民はどこにでも住めるし、どこの大学にも行ける。私の家内の友人の英国人女性は、退職後、フランスに住んだりドイツに住んだりしている。我々日本人から見ると考えられない自由を享受している。だからブレグジットは集合愚の一つの現れだと思う。集合愚の問題点は中庸な意見がすくなく、政治的意見の極端な二極化によるのだ。
米国でも同じ現象がある。共和党対民主党がそれだ。最近はさらにトランプ現象が意見の二極分化に輪をかけている。トランプ大統領は選挙で貧しい白人に、例えばメキシコ国境に壁を作るなど極端な意見を訴えて、支持を集めた。現在も40%程度の支持を集めている。アメリカ・ファーストを訴えるが結果的には、長期的に見て米国の衰退化につながる政策推進をしているように思う。米国が衰退しても日本人の私にはどうでも良いが、米国人としては困るだろう。ただそれは歴史のみが判断を下せる。
日本でも政治世論は二極化している、あるいは一極集中しているように感じられる。私の感じではいろんなニュースをめぐる意見は一極集中していると感じられる。例えばタレントの不倫とか不祥事を国民が総バッシングするとかいった例がそれだ。それはマスメディアが煽るからである。メディアは人々の理性よりは感情に訴える手法をとる。これは実に効果的なのである。私は、人間はそんなに賢くない、基本的にはバカだと思っている。人間は理性よりは感情に流されやすいからだ。しかし例えそうであっても、ハチの例に見られるように、多様な意見に晒されて、人々が多様な意見を持っていたら、それは健全な意見分布である。
集合愚を防ぐ具体策としてはテレビを見ない、新聞を読まないことも考えられる。昨今の若者は新聞を読まないといわれている。それを新聞社は当然として、知識人の一部は批判して嘆いている。実際、若者が新聞を読まない、テレビを見ないことによる政治的潮流の変化がある。若者の保守化という現象である。一方、老人はテレビをよく見て新聞を読む。老人はいわゆる「リベラル・進歩」支持が多く、若者はいわゆる「保守」支持が多いのはそのせいではないか。昔とは全く逆である。でもリベラル・進歩といってもようするに一つのレッテルであり、それが本当に進歩的とは限らない。むしろ昔に戻れとか、現状維持の保守かもしれない。世界は変化しているので、ある時代に最適の政策は、環境が変化した時代に最適とは限らない。
新聞、テレビを見ないのが集合愚現象を防ぐといったが、それではネットによるニュース拡散はテレビや新聞より良いか? そうとも思えない。グーグルのお勧めのニュースを見ていると、私が関心あるニュースに集中している感じがする。つまりネットにより、むしろ意見の多様性が失われ、二極化の危機がある。つまりネットも一種のマスメディアである。
ただしテレビ、新聞はその製作者など一部の人間が製作しているので、一部の人間が国民の意見を操作できる。製作者が意識していなくてもそうなる。つまりマスメディアは中央集権的な集合愚発生システムである。それに対してネットは分散的である。でも、ここでも別の機構で集合愚現象が発生する。本当に分散的ならいいのだが。
まとめ
集合愚の具体的な社会的悪影響は、意見、世論の多様性の欠如である。多様性が欠如すると、環境が変化した時に対応できないで滅びる。個々のハチは賢くなくても、また全員の尻振りダンスを見なくても適切な行動がとれる。それは尻振りダンスの多様性により一極集中が防止されるためだ。集合愚を防ぐ個人的対策としてはテレビを見ない、新聞を読まない、ネットを見ないなどがあるがそれは不可能であろう。そこで次善の策としてニュースを鵜呑みにしないこと、まず疑ってかかることがある。集合愚発生の機構を知り、自分の頭で批判的に考える習慣をつけることが重要だ。