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アクティブラーニング

詳細

新しい教育法と新しい学習法について述べる。ここで教育と学習という言葉の違いを考えよう。教育とは教育を与える先生の視点であり、さらに大きく言えば国家社会の視点である。いっぽう学習とは生徒、学生、そしてわれわれの立場である。2045年にシンギュラリティが到来して社会は大きく急速に変化する。それに我々がついていくには絶えざる学習が必要である。その観点から私は効果的な教育法と学習法に関心がある。今回のテーマは「アクティブラーニング・能動的学習」である。

教育の目的:国家社会的な立場

そもそもなぜ教育が必要なのか? 現在のような学校教育が行われるようになったのは、近代国家になってからである。例えば日本では明治維新以降のことである。それまでは武士などの支配階級には藩校のような制度的な教育システムはあった。しかし武士以外の町人、農民は寺子屋に自発的にいくしか方法はなかった。西欧でも、中世には教会や大学が一部のエリートに教育を施した。農民などの庶民には教育は施されなかった。

近代国家でなぜ国家的な組織的な教育が行われているか。近代国家は優秀な労働者と兵士を必要とするからである。そのために国民を教育する必要がある。ドイツの鉄血宰相とよばれたビスマルクがいまのような近代国家のシステムを作り上げた。教育だけではなく、軍隊、福祉など現在の主要システムである。ドイツの伝統に従ってナチスドイツですら、近代国家に必要なシステムを整備した。

国民を大量に系統的に教育するために、現在のような学校システムと教育法が整備された。教育とは労働者と兵士の大量生産システムなのである。現代の我々はそのことをはっきりとは意識していない。教育を受けるのは自分の権利、自分の幸福のためであると思っている。しかし国家の立場からすれば、国民をより良く教育することが、国力をつける重要な要素なのである。そのことは認識した上で、我々は自分自身の幸福のためにより良い教育をうける必要性がある。

教育の目的:私的な立場

国家が国民を教育するのは、近代国家としての必須の条件だ。しかし我々国民としては、そんなことは関係ない。我々が学習する真の目的は、社会にでてよりよい社会生活を営む基礎的能力をつけることである。教育というより学習の目的は一言で言えば、自分が幸せになるためである。学校で学ぶのは、幸せになるためである。そのために我々は良い教育を受ける権利を持っている。もっとも、短期的な学習の目的は試験に良い成績をとること、入学試験に成功することであろう。

学習

学習とは何か? それは新しい知識の獲得とそれを応用する能力をえることである。学習の重要な要素として理解、記憶、応用がある。それではよい理解法とはどんなものか? 良い記憶法とは何か? 得た知識を応用する応用力を鍛えるにはどうすればよいか? そのためにはどのような学習法があるか

受動的学習

従来の学習方法は、講義に代表される受動学習(パッシブラーニング)である。小中高では40-50人の生徒を対象に、先生が生徒の能力とは関係なく、一律に講義する。大学でも大講義室で、場合によっては数百人を対象に講義する。生徒、学生はひたすら黒板に板書されたものを筆記する。いわば生徒はコピー機である。なぜそのような講義法が取られたか? それは多数の学生・生徒を一斉に教育できて効率的だからだ。

しかし受動学習は中間層を対象にするので、必然的に落ちこぼれと不満足層をうむ。落ちこぼれを生まない教育法はないのか? そのひとつがアクティブラーニングである。

「アクティブラーニング」とはなにか?

アクティブラーニングとは能動学習ともよばれ、生徒や学生などの学習者が主体的に、つまり能動的、アクティブに学習する学習法である。能動学習の逆は受動学習、つまりパッシブラーニングであり、生徒が受け身となって学習することである。従来からの学校における学習法は基本的に受動学習であった。 アクティブラーニングは最近、教育界で騒がれている概念である。具体的な手法としては、教師による一方的な指導ではなく、生徒による体験学習や教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワークを中心とするような授業のことを指す。なぜアクティブラーニングが良いのか? 研究によると、本・教科書をただ読むだけの勉強法では、ほとんど記憶に残らないからだ。

効率的な勉強法を述べよう。1)聞くほうが、読むだけよりも少し効率が良い。2)読んで聞くともっと効率が良い。3)しかしもっと効率が良いのは、生徒がディスカッション、ディベート、グループ・ワークに能動的に参加することである。4)最も良い方法は、教えることである。教えることができるためには、まず自分が理解していなければならないからだ。

まとめ

日本および世界のこれまでの教育法は大量生産時代に合わせて、優秀な労働者を効率的に生産する方法であった。それは標準化された教育法であった。しかしその教育法は最前ではない。必然的に落ちこぼれを生む。落ちこぼれを生まない、さらにもっと効率的な教育法が求められている。それは一律化された教育法ではなく、多様化された自由度の高い教育である。その一つがアクティブラーニングである。アクティブラーニングとは生徒・学生自身が学習に積極的に参加する手法である。

   
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