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シンギュラリティは来るのか?来ないのか?

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まず、シンギュラリティ(技術的特異点)とは何かからおさらいしよう。シンギュラリティという概念は、人工知能の権威であるレイ・カーツワイル博士により提唱された「未来予測の概念」である。

カーツワイルの唱えるシンギュラリティは、生物工学、遺伝工学、ロボット工学などの発展により、未来のある時点で人類社会に大きな不連続的な変化が訪れる時点があるというものだ。具体的には2045年としている。その根拠は技術の指数関数的発展である。

バーナード・ビンジの唱えるシンギュラリティは、未来のある時点で歴史の不連続的な変化点があり、その向こうは予測不能というものだ。

私は人工知能、ロボット技術の発達により人類社会がこれまでにない大きな変化を経験する時点と定義する。人類社会はいままで農業革命、産業革命と大きな変化を経験してきた。そのつぎがシンギュラリティ革命であるというのが私の考えだ。

歴史は連続的に変化してきたが、ときどき大きく不連続的に変化する時点がある。道具の使用、火の発見、言語の使用、農業の開始、文字の発明、産業革命などである。その大きな変化が目前に迫っている、それがシンギュラリティであるというのが私の考えだ。私のような定義をしたとすれば、シンギュラリティが近い将来、来ないと主張することは、当面大きな変化はないという主張と同義になる。

しかし昨今の人工知能、コンピュータ、ロボットなどの技術の圧倒的な進歩を目の前にして、これが漸進的な連続的な変化だとは私には思えない。

2015年に専門家を相手にしてアンケートがなされた。囲碁で人工知能が世界チャンピオンに勝てるようになるのはいつかという質問であった。平均は12年後、最も長い人は30年後と答え、最も短い予想をした人は5年後と答えた。現実は1年後であった。

2018年にチェコで行われた汎用人工知能のコンテストでは、汎用人工知能が近い将来できると信じる人が多数を占めた。それが出来ない、つまりシンギュラリティは来ない派はごく少数であった。

シンギュラリティは来ないと主張する一群の人たちがいるが、それはひとつにはシンギュラリティの定義の問題がある。これらの人たちは、ハリウッド映画に見られるような人間を超越した機械、例えば映画「マトリックス」や「ターミネーター」に代表されるような機械生物に象徴されるようなものを想像して、そんなことは起きないと言っている場合が多い。

また機械が人間を超えることはないと主張する人もいる。これは超えるという概念の定義の問題だ。肉体的能力に関しては、人間はある側面では機械に完全に越えられている。例えば走る能力では車にかなわない。飛ぶ能力は人間にはないが飛行機にはある。泳ぐ能力でも船や潜水艦にかなわない。筋肉の力でも人間はクレーンや重機にかなわない。ようするに部分的に見れば、人間は機械に完全に越えられている。

問題は知的能力で人間が機械、具体的にはコンピュータに超えられるかどうかだ。計算能力では完全に越えられている。記憶能力でも越えられている。クイズでも負けたし、囲碁や将棋でも完全に越えられている。音楽や絵画なども徐々に越えられつつある。文章作成でもそうだ。ようするに時間の問題なのだ。

シンギュラリティは来ないと主張する人たちの基本的な世界観は人間中心主義世界観である。

人間にはあり、機械にはない能力として意識、感情、共感などがある。これらは人間が動物として生存競争に生き抜くために獲得してきた能力と考えられる。つまり生きるための必要な機能だ。機械は生きる必要はないので、それらは必ずしも必要ではない。

意識や感情をもつには体が必要と思われる。また生物のように自律的に生きることが必要と思われる。コンピュータをあくまで機械として捉えれば、生きるための装置としての体は必要ないので、意識や感情は必要ない。だからその意味で機械は人間を超えられないというなら、それはそうかもしれない。

しかし意識や感情は機械に必要なのだろうか。機械を自律した生物のように作るなら必要だろう。私はそうする必要はないし、そうすべきでないと考えている。

私の考えはあくまで機械は機械であり、人間の活動を補助する道具として利用すべきというものだ。そのための具体的な手段として、肉体的には人間の体力を今まで以上に増強する外部骨格とかパワードスーツの利用、知的には人間とコンピュータのドッキングによる人間の超知能化を考えている。つまり人間を超人類、ハラリの言うホモ・デウスに転換する技術ができて、それにより社会は大きく変わる。その時点がシンギュラリティだ。

ただし、このような変化が起きた時、従来の意味での人間は、もはや万物の霊長でもなく、世界の頂点にいるのでもなく、食物連鎖のトップにいるのでもなく、二流の生物になるかもしれない。世界のトップに立つのはホモ・デウスであり超人類である。私はそうなりたい。なぜか?

私は世界の全てを知りたい。宇宙の神秘を知りたい。しかし現在の人間の知的能力には限界がある。その限界を突破して宇宙の真理に到達したい。そのための手法として、宇宙自体を研究するのではなく、人間の知能を研究して、それを凌駕する機械を作り、その装置の力を借りて人間の知能を強化して宇宙を研究したい。この考えはディープマインド社の創始者のデミス・ハッサビスもニューメンタ社の創始者のジェフ・ホーキンスも同じ考えだ。

   
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