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アインシュタインと女性

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そもそもなぜ今回アインシュタインを取り上げるか? 実は私はアインシュタインの伝記を翻訳したことがあり、それによりアインシュタインと女性というテーマに興味を持ったからだ。実はこの翻訳を巡ってドタバタ劇があったのだが、それは別の機会に述べよう。

そもそも私がなぜアインシュタインに興味を持っているか。私は本来、宇宙物理学者であり、1965年に京都大学大学院修士課程で天体核物理学つまり宇宙物理学の研究室に入った時に、もっとも興味を持ったテーマは宇宙論であった。宇宙論といえばアインシュタインの一般相対性理論である。私は1967年に博士課程に進学した時に選んだテーマは、ブラックホールと一般相対性理論であった。相対性理論といえばアインシュタインである。その意味で私は研究生活の最初からアインシュタインにどっぷりとはまっていたのだ。

私が翻訳に関係した本は「アインシュタイン、その生涯と宇宙」というタイトルの本だ。まずアインシュタインと女性ということでは、最初のガールフレンドのことが軽く触れられている。その女性はアインシュタインが高校時代に下宿していた家の娘でマリー・ヴィンテラーという。彼女はアインシュタインに夢中になったが、彼の方は冷淡であった。彼女に郵便で大量の洗濯物を送りつけながら、手紙さえ添えないことがあった。彼らの知的レベルが違いすぎたから、たとえ結婚してもうまくいかなかっただろう。

一番重要なのはアインシュタインの最初の妻ミレーヴァ・マリッチである。彼女はセルビア人の農民の娘であった。マリッチはとても頭が良くクラスのトップであった。彼女はギムナジウム(高校)で数学と物理学で優秀な成績を収めて21歳でアインシュタインのいるチューリヒ工科大学に入学した。物理学科で唯一の女子学生であった。当時は女性が大学に入ること、特に物理学科に入ることは珍しかった。しかもスイスから見れば外国人である。

彼女はアインシュタインより3歳年上で、先天性股関節脱臼のため足を引きずって歩き、かつ病弱で、お世辞にも美人とはいえなかった。 彼らは親密になった。彼らが大学を卒業する前にマリッチは妊娠した。当時は私生児を産むことはそれほど例外的なことではなかった。生まれた女の子の運命は謎に包まれている。マリッチの友人の里子になったとも、幼くして病死したとも。ともかくその女の子の記録は丁寧に抹消されていて、アインシュタインの伝記の研究者の間でも意見が分かれている。

アインシュタインは大学をそれほど良くない成績、5人中4番で卒業した。マリッチは2度も留年した。アインシュタインは教授の先生に敬意を示さなかったので、卒業しても助手の地位を得られなかった。他の人はみんなその地位を得たのに。教授たちはアインシュタインの能力を過小評価していた。

アインシュタインは友人の父の力でスイスの特許局の役人になった。そこで彼は1905年に特殊相対論をはじめとする偉大な5編の論文を書いた。奇跡の年と言われている。

アインシュタインの両親はマリッチとの結婚に反対した。しかしアインシュタインとマリッチは結婚して、二人の男の子が生まれた。

しかし二人の間はだんだんと疎遠になっていった。一つにはマリッチは鬱の傾向があったこと、一つにはアインシュタインの成功に対する妬みもあったと思われる。自分も物理学をやりたいし、その能力もあると思うのに、夫だけが名声を得て、自分は一介の家庭の主婦であることに納得できなかった。

アインシュタインとマリッチの関係が冷却化したときに現れたのが従姉妹のエルザ・アインシュタインである。エルザもアインシュタインより3歳年上であった。エルザはマリッチとは違い家庭的な女性であった。エルザは離婚しており、すでに大きな娘を二人も抱えていた。二人は不倫関係になった。

アインシュタインは相対論の成功で名声を得た。ドイツの物理学の巨頭のプランクがアインシュタインを訪問して驚くべき提案をした。高給付きのプロシァ科学アカデミーの会員になること、アインシュタインのために作った研究所の所長になること、しかし事務的仕事はしなくて良いこと、ベルリン大学教授になること、しかし講義はしなくて良いこと。非常な好条件でありアインシュタインはそれを受けた。

その理由はひとつにはベルリンにいるエルザの近くに行けることである。マリッチはエルザの存在に気づいていて、ベルリン行きを嫌がった。エルザ自身も不倫をした。

アインシュタインの友人たちが中に入り、マリッチはベルリンに行ったが、アインシュタインとの関係は冷え切っていた。

その時にアインシュタインがマリッチに出した驚くべき条件がある。

1. あなたは次の条件を確認すること 私の衣服と洗濯物はきちんと整理されていること。 私は三食を定期的に自室で取ること。 私の寝室と書斎は綺麗にして置くとこ、わたしの机は私専用であること。

2. あなたは社会的条件からどうしても必要な場合を除いて私との個人的関係を断念すること。特に以下のことは控えること。 自宅で同席すること。 ともに外出や旅行をすること。

3. あなたは私との関係で次の条件に従うこと。 あなたは私に親愛の情を期待してはならないし、私を非難してはいけない。 私が要求した時は話を中止すること。 私が要求した時は抗議をしないで私の寝室なり書斎から即座に退去すること。 あなたは子供の前で私を言葉であれ行為であれ、私をけなしてはならない。

このような驚くべき条件をつけるほどに二人の関係は悪化していた。それでもアインシュタインは離婚するつもりはなかったのだが、エルザは離婚を求めた。結局、アインシュタインは将来ノーベル賞をもらったら、その賞金をマリッチに与えるという条件を出し、マリッチは離婚に同意した。

アインシュタインとエルザは結婚したのだが、エルザは母親のように振る舞い、アインシュタインもそれを期待した。

エルザの長女イルゼとの関係も興味深い。アインシュタインはエルザとその二人の娘と同居した。長女のイルゼは21歳であり、アインシュタインの研究所で秘書の仕事についた。イルゼの恋人のニコライという男は女たらしであり、ロシアを訪問した時に16人もの女性と関係を持った。そのうちには母と娘もいた。

イルゼがニコライに宛てた手紙が残っている。それにはニコライがイルゼにアインシュタインと結婚したらどうかと示唆したという。それに関してイルゼが、アインシュタインを愛しているし、また愛されているが、アインシュタインとの肉体的関係は考えられないと書いている。それにそんなことをしたら母親のエルザが悲しむであろうとも。この手紙の内容は真実ではないだろうと研究者は考えている。

アインシュタインはそのほか、複数の女性との浮気話もあったとされている。

まとめ

「英雄、色を好む」とか言われているが、実際の研究でも知能の高い人は男性も女性も性欲が強く性生活も活発であることが知られている。要するに活力がある人は、いろんな面で活力があるのだ。アインシュタインも普通の人間の側面があり、親しみがわく。それはともかくアインシュタインはニュートンに次ぐ天才である。ちなみにニュートンは独身を貫いたし、性格的には非常に変人であったとされている。

   
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