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人間は基本的にバカである

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人間は基本的にバカである

どういうことか?人間は自分が思うほど合理的でも論理的でも理性的でもないということである。合理的、論理的、理性的に物事を考える人を賢いというとしよう。だって非合理、非論理的な考えをする人を賢いとはいえないだろう。でもさまざまな証拠から大部分の人間の考えは合理的でも論理的でもないことが分かっている。だから人間は基本的にバカだということだ。それは私もそうだし、皆さんもそうだ。重要なことは、自分は基本的にバカであるということを認識することだ。これが本稿の結論だ。

速い思考と遅い思考

 2002年にノーベル経済学賞を受賞した心理学者のダニエル・カーネマンという人がいる。彼は「ファスト&スロー」という本を書いている。心理学者がなぜノーベル経済学賞を受賞したかといえば、彼の理論が元になって行動経済学という分野ができたからだ。それまでの経済学は人間の経済行動が合理的である、つまり人間は基本的に賢いという前提で組み立てられていた。つまり自分の利益を最大に、損失を最小にするように賢く合理的に行動すると考えられていた。例えば同じ性能や質の商品が2つあったとする。両者の値段が違えば、人間は安いほうを選ぶだろうということだ。それが合理的な行動だ。でも実験の結果は必ずしもそうでないのである。高いほうを買う場合も多いのだ。例えばネーミングが違うとか、宣伝の量とかによるのだ。

人間が物事を考えるときに2種類のモードがある。つまり考えるやり方には2種類ある。モード1の思考とモード2の思考である。あるいは速い思考と遅い思考ともいう。これがカーネマンの本のタイトル「ファスト&スロー」のゆえんである。もっと単純に言えばモード1の思考、つまり速い思考は直感的、感情的な考え方である。モード2の思考、つまり遅い思考は合理的、理性的な思考である。

速い思考は直感的、無意識的であり楽である。一方、遅い思考の典型例は数学の試験問題を考えるときだ。このときには感情ではなく理性を働かせてじっくりと合理的、論理的に考えなければならない。しかしそれは大変疲れることだ。数学の問題を考えるのが好きだという人は少ないだろう。人は速い思考を好み、遅い思考は嫌がるのである。

人は常になにか意思決定をしなければならない。例えば買い物でどちらの商品を買うか決めなければならない。その場合、損をしないためにはじっくりと理性的に考えねばならないが、多くの人は衝動的に買うのではないだろうか。

アップルウオッチ 

一例を挙げよう。私はアップルウオッチを持っている。これを買ったときのことを思い出す。現在の商品ではなく初代のものである。この商品の値段には最も安いもの、それよりも高いもの、そしてとてつもなく高いものの3種類があった。安いものは値段が4万円台、次は8万円台であるが、高いものはなんと100万円以上したのである。最高は218万円であった。このときに私を含む多くの人々はどれを買うであろうか?たぶん真ん中のものを買うであろう。100万円以上もする時計を買う人はまずいないだろう。しかも機械としての性能は同じなのであるから。だから人々は下の2商品を比べて、真ん中のものが最も安いものよりかなり割高であっても。一番高いものよりは圧倒的に安いので、割安に見えてしまうのだ。経済合理性でいえば一番安いものを買うのが正しくてもである。もっとも高い商品は、アップルは売る気はなく釣りなのであろうと思う。それで多くの人間は4万円台の安いものでなく、その倍もする8万円台のものを選んでしまう。私もそうした。アップルの術中にはまったのである。

バカが多いのには理由がある

橘玲(たちばな あきら)という作家の書いた「バカが多いのには理由がある」という本がある。橘氏は速い思考しかしない、あるいはできない人をバカと定義して、日本人のほとんどはバカであると決め付ける。世の中のニュースや世論を見ても、とても賢明なものとは思えないようなものがまかり通っている。具体的な例を出すと差しさわりがあるので言わないが、私もそれには同感である。

しかしこれは日本人に限った話ではなく世界共通なのである。例えば米国でトランプ大統領が選出されたのも、英国でブレグジットが決まったのも、合理的、理性的な選択というよりは多くの人たちの皮膚感覚とか感情といったもので決まったのであろう。つまり速い思考で政治が動いているのだ。

バカであることは生物的には合理的

ところで人間はなぜ速い思考を好むのだろうか?そこには実は生物学的な合理性があるのだ。米国の疑似科学批判家のマイケル・シャーマーという人が面白い例を出している。昔アフリカに原始人がいたとしよう。サバンナの草原を歩いているときに茂みでなんか音がした。ライオンかもしれないし、風かもしれない。もしライオンなら逃げないと食われてしまうし、風なら逃げるとくたびれるだけだ。原始人のAは怖がりで音を聞いただけで、直感的に危ないと思ってすぐに逃げた。しかし原始人のBは理性的であった。まずライオンかどうか調べるために石を投げてみた。結局どうなったか?風かもしれないし、ライオンかもしれない。だからBが食われたかどうかは半々だ。でもライオンであった場合、Bは食われてしまう。つまりBのように理性的なやつは食われて子孫を残さず、Aのように恐怖感いっぱいの直感的なやつだけが生き残ったのだ。つまりこの場合は速い思考が遅い思考より合理的なのである。その意味でバカのほうが生き延びやすいのだ。つまりバカが進化的に適合しているのだ。

現代社会はアフリカのサバンナではない

ところが現代社会はアフリカのサバンナではない。非常に複雑な社会だ。危険性もライオンのようなものではなく、例えば詐欺に会うといった高度な危険性だ。この場合は遅い思考に優れた理性的人間が有利である。先に述べた買い物の例でも、バカは損をする。

あなたが自分の属する会社の商品を売りたいマーケッターであるとしよう。その場合、どうしたらあなたの会社の商品を買わせることができるか?宣伝を打つことを考えよう。ある会社のばあい、その商品の性能がいかに優れているかのデータをしめし、購買者の理性、つまり遅い思考に訴える。もう一方の会社は、その商品のデザインがいかに優れているかを強調して購買者の感性、つまり速い思考に訴える。結果的には感性に訴えたほうが勝つのだ。例えば前者はDELLで後者はアップルだ。私は宣伝に釣られてアップルを買うのだ。つまり自分はバカなのである。マーケッターは、顧客は基本的にバカであるということを認識すれば、商品を売りつけることができる。

政治家もそうだ。理性派の政治家は、自分の政策の正しさを諄々と理屈で説いて国民の理性に訴える。感性派の政治家は国民の理性ではなく感性や肌感覚に訴える。国民の怒りや恨みに訴えるのである。例えばアメリカファーストとか、お隣の国の反日キャンペーンなどである。

結局、商品の購買者でも国民でも、速い思考ばかりにとらわれると、結局は損をするのである。逆にあなたが経営者や政治家である場合は、購買者や国民のバカさを利用しない手はないのだ。

まとめ

思考には速い思考と遅い思考がある。速い思考は直感的な感情的な思考である。遅い思考は理性的、論理的な思考である。人々はほとんどのことを速い思考で済ませている。速い思考しかできない人をバカと橘氏はよんだ。しかし人間が速い思考を好むのは進化論的な理由がある。昔はそのほうが有利だったのだ。しかし複雑な現代の社会では事情が異なっている。バカは経済的にも政治的にも損をするのである。しかし人間が基本的にバカであることは避けられない。だから大事なことは、自分も人間だから、基本的にはバカなのだということを自覚することだ。そうすれば損をせずにすむかもしれない。

   
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