コロナ後の世界
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- 作成日 2020年8月03日(月曜)14:31
- 作者: 松田卓也
新型コロナ感染症COVID-19はどれくらい深刻な病気なのであろうか。ふたつの違う意見がある。新型コロナは質の悪い風邪またはインフルエンザのようなものだという立場がある。それにたいして、とんでもない、それは新型コロナを軽く見すぎている、新型コロナははるかに恐ろしい病気だという立場がある。
大したことはないという立場の根拠は何か。新型コロナに感染しても実はかなり多くの人は感染していることすらわからずに治ってしまうのだ。また若い人では、感染して発症しても、比較的軽くすんでしまう。感染して死亡する割合を感染致命割合(IFR)というが、それは0.25%程度であるというドイツの研究がある。それほど高くない。だから新型コロナはそれほど恐るべき病気でないという立場の根拠だ。
しかし新型コロナに感染すると、特に70歳以上の老人では死ぬ割合、つまりt感染致命率割合は高い。また糖尿病、高血圧、心臓病、呼吸器疾患などの基礎疾患を持っている人の致命割合も高い。死ぬ割合でみるとインフルエンザより圧倒的に高いのだ。つまりこれが新型コロナは恐ろしい病気であるという根拠だ。
しかしたとえ、新型コロナがたいしたことがない病気であるとしても、それが現代社会に及ぼした影響は甚大なものである。ほぼ100年前の1918-19年に流行したスペイン風邪に匹敵するパンデミックである。いや社会に対する影響力では、新型コロナはスペイン風邪を圧倒している。
新型コロナが大きな話題になった事件として、ダイアモンドプリンセス号事件がある。豪華クルーズ船のダイアモンドプリンセス号で新型コロナ感染症が発生して、多くの人が感染した結果、長い間、乗客も乗員も下船できなかった。その後も、世界中でクルーズ船の中で新型コロナ感染症が流行して、そのために感染した乗客は適切な治療も受けられずに、ばたばたと死んでいった例がある。そのため各国がクルーズ船の寄港を拒否するということが相次いだ。乗客を降ろしたあともクルーズ船は保守のために乗員を乗せたまま、フィリピンのマニラ湾などに停泊している。
クルーズ船とは本来は贅沢の極みであり、庶民にとっては手の届かない憧れの的であった。実際、私自身も以前、ロシアで1泊2日という極めて小さな川のクルーズ旅行をしたことがあり、その楽しさが忘れられず、死ぬまでに一度は豪華クルーズ船に乗りたいと願っていた。しかし今では、クルーズ船に乗るなど、とんでもない。高い金を払って死にたくはない。私の印象では、クルーズ船産業はもうおしまいではないだろうか。
また観光業も大きな打撃を受けた。私の住む京都は観光地として有名で、たくさんの中国からの観光客を受け入れていた。京都の経済は彼らでもっていたようなものだ。それが今では観光地は閑古鳥がないている。観光立国ということではイタリア、フランス、スペインなどもそうだ。新型コロナが過ぎ去ったあと、果たしてこれらの国に観光客は戻ってくるのか。
私は昔、インドネシアのバリ島で行われた国際会議に参加して、バリ島の豪華ホテルに泊まった感激が忘れられない。でも、いまやもう一度行く気にはなれない。バリ島の別荘地の地価が激減しているという。
インド洋にうかぶモルディブという小さな島国がある。ここには豪華な水上ヴィラがある。私はYouTubeで一泊250万円もする豪華ヴィラを眺めるのが楽しみであった。ところが数百人の観光客が、飛行機が飛ばないためにモルディブに閉じ込められるという事件がおきた。これなどモルディブの観光の宣伝にとっては致命的ではないか。だって夢の島に行って、戻れなくなる可能性があるのだから。またマチュピチュがあるペルーに行った観光客が帰れなくなる事件もあった。こうなると観光旅行も命がけである。こんな危険を冒して観光旅行しようとは思わない。コロナ後は、観光産業は大きく縮小するのではないか。
国際観光旅行の観光客は主として航空機を利用する。新型コロナが猖獗を極めているときは、一部の航空機を除いてほとんどの航空機が地上に駐機を余儀なくされていた。そのため航空機会社の中には今後、倒産するところも多数出るだろう。航空機のパイロットと客室乗務員は憧れの職種であったが、いまでは解雇の嵐であろう。
航空機自体に関しても、今後は大型機の需要はなくなるだろう。それにともない、航空機を作る会社も需要が少なくなるだろう。とくにボーイングとエアバスは、世界の二大航空機メーカーだが、不況は免れない。エンジンを作るロールスロイスなどもダメだろう。ようするに既存の産業が徹底的に解体、再編されるのである。
身近なところではレストランや居酒屋などの外食産業が大きな被害を被るだろう。三密を避けるためにテーブル間隔を開けるとか、外にテーブルを置くとなると、経済効率は大きく低下する。ようするに儲からなくなる。zoom飲み会などがはやっているらしいが、もしそれで十分なら、外に飲みに行く必要はない。私なども、自分自身が自宅で料理して食べることになれたので、あえて感染の危険を冒して外食したいとは思わなくなった。
Zoomを使ったリモートワークがはやっている。私はコロナ以前、自分の主宰する研究所の狭い部屋で勉強会を行っていた。これなど典型的な三密状態である。狭い締めきった部屋で多人数が口角泡を飛ばして議論していたのだ。しかし今はzoom勉強会に移行した。多少の不便があることは確かだが、遠くの参加者はわざわざ電車に乗ってこなくてもよくなったので、時間とお金の節約になる。時間の制限が外れたので、より長時間議論できるようになった。私だけが研究所にきている。誰もいないので三密ではない。私は従来バスで通っていたが、今は歩いている。そのほうが健康にもよいのだ。というわけで、今後は公共交通機関の利用客は減るだろう。
また会社などでリモートワークが進むと、そもそもオフィスが必要なくなる。さすがにまったくオフィスをなくするというのは特殊例だろうが、会議室は必要ないし、社員の机も少数で済む。つまり小さなオフィスに転居することができるようになる。するとオフィスを貸している大家さんは困るだろう。
私はシンギュラリティサロンという公開講演会を主宰している。これは東京と大阪の会議室を借り切って行っていた。今後、これをzoomで行うようになれば、高い借り賃を払う必要はなくなる。また講師を大阪に呼ぶ必要がなくなるので、運賃が要らなくなる。主催者としては安上がりになるのだが、会議室を貸している会社やJRは損害を被る。このようなイベント会場は今後成り立つのだろうか。新幹線の乗客も減るだろう。
リモートワークができるのはサラリーマンの3割程度らしいが、それでも3割の通勤客がなくなれば、ラッシュの混雑も緩和されるだろう。また会社の近くに住む必要がなくなるので、人々は高い金を出して都心部に住む必要がなくなる。人々はむしろ安い郊外に住むようになるだろう。その結果、都心部のタワーマンションなどの価値が下落する。
教育も大きく変わる。大学はリモート授業になった。私は以前から、YouTubeを使って欧米の大学の講義を聞いていた。このリモート講義は、大講義室の講義よりははるかに効率的である。私はこれが普及すればよいと思っていたが、コロナのために急速に普及する結果になった。こうなると大学は高い土地代の都心部にたくさんの講義室を設ける必要が少なくなる。大学も今後、大きく変わるだろう。
まとめ
私はシンギュラリティとは2045年ころに世界が大きく変わる現象と定義していた。ところが新型コロナのために2020年の今、世界は大きく変わろうとしているのである。これこそまさにシンギュラリティではないのだろうか。