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手書き文字と脳

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今回は手で字を書くことは脳に良いという話である。なぜこのテーマを取り上げるのか。私は後期高齢者である。私の恐れることはアルツハイマーなどの認知症になることだ。最近もSNSで知人の元大学教授が、大きなポカをしたという話を書いていた。自転車で出かけて一時預かりに置いたのに、それを忘れてバスで帰ってきたとか、友人と食事の約束をしたのにそれを忘れてすっぽかしたとか。

知の巨人といわれた有名な評論家の話である。何かをするために家を出たが、なにをするために出たか忘れてしまい、仕方ないから家を一周して戻ってきたとか、書庫に本を取り出すために行ったが、どの本を探しているのか忘れたとか。

森山良子の「あれあれあれ」という歌がある。歌詞を少し紹介しよう。

「ああ、あの時のあの あのあのあの あの人の名前が出てこない ほらあのとき会った あの人なの もう分かっているのに思い出せない

ほらあの時食べた あのあのあの あの店の名前もでてこない あなたと行った いえあなたじゃなかった じゃあだれ それはだれ

ああ 私の好きな あのあのあの あのハリウッドスターの名前が出てこない ジョニー トニー ダニー ハリー リリリリ リチャード こんなに夢中に 恋い焦がれているのに

ああ 今日も忘れた あれを忘れた 取りに戻れば ドアの鍵がない あれ確かここに いえ違うこっちだわ 探す間に 忘れたものを忘れたわ」

これらは明らかに認知症の始まりである。

「アルツハイマー病の終焉」という本を書いたデール・ブレデセンによれば、アルツハイマー病は三段階に分けられる。主観的認知障害、軽度認知障害、アルツハイマー病である。主観的認知障害とは、言葉が出てこないなど、自分でなにかおかしいなと気づく段階だ。軽度認知障害はそれがひどくなり、外からもわかる段階だ。

知っている言葉がでてこないというような経験は、程度の差こそあれ、多くの人が持っているのではなかろうか。ブレデセンによれば、アルツハイマーはすでに若い時から、例えば40台から始まっているという。それが何十年もかけてじわじわと進行する。だからアルツハイマーになるのを防止する方法があるのなら、早くから始めるのが良いだろう。

認知症になるのを防ぐにはどうしたら良いか。デール・ブレデセンの「アルツハイマー病の終焉」では基本的に食事に注意することとあった。ブレデセンの推奨する食事は、緩やかなビジタリアン、つまり肉は食べても良いがほどほどにというものであった。私はすでにそれは実行している。

食事の他に重要なことは、適度な運動、ヨガや座禅などの瞑想、それに脳テストなどもある。脳テストとは実際に脳を使って鍛えるという方法だ。脳テストの有効性にはいろんな意見がある。やっても意味がないという説もあるし有効という説もある。

アメリカの修道女に関する長年の研究がある。死後に解剖して脳を調べると、大きく萎縮していて明らかにアルツハイマー病であるはずなのに、生前は外部からはその兆候が見えなかったという例がある。そのような人たちの若い時に書いた日記を調べると、文章の書き方から、どれくらい頭を使っていたかが分かる。若い時に頭を使っていた人ほど、たとえアルツハイマー病になっていても症状が出にくいそうだ。つまり頭を使うことは認知症予防には良いことなのだ。これを認知的蓄えという。

アルツハイマー病を防ぐには、あるいはなっても症状を軽減するには、ふだんから頭を使っていることが重要だ。頭を使うといえば、脳トレなどがあるが、私は文字の手書きが良いのではないかと考えた。つまりペンや鉛筆で字を書くことのである。字を書くのは手と指であるが、それを動かすのは脳である。つまり字は脳が書いているのだ。だから字を書く練習は脳の訓練になるのではないだろうか。

最近のアメリカの研究である。大学生が講義でノートを取る場合に、PCでタイプする場合と、手書きする場合を比較してみると、手書きの方が成績は良いことがわかった。タイピングすると写す速度は速いのだが、先生が話したことを一字一句写すことができるので、実は頭はあまり使っていない。一方、手書きの場合は早く書けないので、先生の言葉を一度頭の中で咀嚼して、それをまとめてノートに書かねばならない。だからよく理解でき、よく記憶できるのである。手書きは頭全体を使うのだ。

子供の発達を研究した例では、字を覚えるのに、字を見る、話を聞く、なぞり書きをする、筆記するという場合を比較すると、筆記するのが一番良いことがわかった。なぞり書きでもダメなのである。たとえ下手でも、自分で書くのが一番よく字を覚えられるのだ。

英語で字を書く場合、字体として印刷体と筆記体を比較すると、筆記体の方が良いという研究結果が出ている。筆記体は連続してペンや鉛筆を走らせなければならないから、印刷体でかくより難しいのである。日本語でいえば、印刷体は楷書に相当して、筆記体は行書や草書に匹敵するだろう。アメリカのある州では、筆記体の練習を中止するところも出てきた。PCが発達したので、もはや手書きは必要ないだろうという議員の感覚から出た措置である。しかし違うのだ。手書きの訓練こそ、子供達の頭の発達に重要なのである。

字を手書きするというのは、結構複雑な脳の活動を必要とする。まず字を書こうとする意思や行動の計画をするのは脳の額の部分にある前頭葉である。また文字を含む言語を司るのは、左脳にあるブローカ野とウエルニッケ野である。ペンを動かす指令を出すのは右利きの場合は、左脳の運動野である。左利きの場合は、右脳の運動野である。言語野は右利きでも左利きでも左脳であるので、左利きの人は情報を左脳から右脳に移さねばならない。字を書いている人の脳をMRIで観察すると、脳の各部分が協調して働いている。

つまり私の仮説は、字を手書きすることは脳を激しく使うのだから、習字は脳トレの代わりになるのではないかというものだ。それでペン習字を再開した。私は子供の頃は習字を習っていた。しかし中学でやめてしまい、それ以降やっていなかったので字が下手になった。50台になり、それではいけないと思って、ペン習字の練習を始めた。それもそのうちに辞めてしまったので、最近それを再開したというわけだ。

私の家には昔買ったペン習字の本がたくさんある。それを持ち出して、万年筆で書いている。筆記用具としてよく使われるのはボールペンであろう。しかし習字に向いているのは万年筆と鉛筆である。というのは、漢字を書く場合、線の太い細いが重要になる。墨の筆は当然のこととして、万年筆や鉛筆でも太さを調節できる。しかしボールペンではできない。だから習字の練習には万年筆や鉛筆が良いのだ。

またボールペンは強く押して書くことができるので、筆圧が高くなってしまい、疲れる。鉛筆とくにBや2Bの柔らかい鉛筆や万年筆は、強く押し付けることができないので、筆圧が上がらない。知人の子供の大学受験生が、字を書きすぎて頸腕症になって字が書けなくなってしまった。そこで万年筆を買うことを勧めた。

まとめとして、アルツハイマーなどの認知症の予防の一つに、ふだんから頭を使うことがある。その一つとして、字を手で書くこと、つまり手書きが良いのではないだろうかというのが私の仮説である。そこで昔取った杵柄で、ペン習字を再開したという話である。ちなみに英語の筆記体の練習もしている。

   
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