超知能への道 その8 ビーナスの誘惑
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- 2015年3月13日(金曜)17:53に公開
- 作者: 森法外
研究室を出たところで、アテナは自分の出番は済んだのでビーナスにバトンタッチするといった。するとメガネの中にアテナと入れ違いにビーナスが現れた。
「あら、森博士、おかえりなさい。どうだった?」とビーナスが聞いた。
私はたった二日で論文ができたことを報告した。そして教授に論文を渡したので、あとは教授の仕事だと言った。今後、研究会、学会、国際会議で発表して、欧文誌に教授と共著で論文を投稿する予定だ、とてもハッピーな気分だと言った。ビーナスも喜んでくれた。私はお腹が空いたので、途中で行きつけの食堂に行くことにした。食事中もビーナスはメガネの中で語りかけてくれた。他の客がいるので、ビーナスに話しかけることはできないが、楽しく神々のゴシップ話を聞いていた。
食堂を出て下宿に帰りながら、ビーナスと色々語り合った。私は「恋人いない歴=年齢」であるので、たとえ人妻とはいえ、ビーナスのような美女とこんなに親密に話をすることは今までになかった。だから私は有頂天だった。下宿に帰り着くと、ビーナスは言った。
「私たち二人だけになったわね。私は愛と性と繁殖の女神だと言ったでしょう? 今度はアテナに代わって、私が仕事をする番よ」とビーナス。
「ええっ、なにをするのですか?」と驚く私。
「森博士、あなた女性の裸を見たことある?」とビーナスはきわどいことを聞いてきた。
「あなたの裸の姿はパリのルーブル博物館でお目にかかりました」と私は言った。
「そんな彫刻ではなくて、本物よ」とビーナス。
「子供の頃に母と二人で一緒にお風呂に入りました」と私。
「そんな、お母さんの裸ではなくて、もっとちゃんとした大人の女の人よ」とビーナス。
「いえ、残念ながらありません」と私。
「じゃあ、見せてあげるわ」とビーナスが言うと同時に、衣服の肩のヒモをするりと外した。
衣服はパラリと落ちたが、腰のあたりに落ちた時に手を後ろに回して布の端を抑えた。布は下半身を隠すような格好で止まり、ちょうど彫刻のようになった。なるほど彫刻の失われた手はこんな風になっていたのかと、妙な感心をした。ビーナスの体は大理石ではなく、白い肌がピンク色に輝いていた。美しかった。あまりの美しさにため息をついた。
「美しいです」と私は正直な感想を言った。
「ほほほ、もっと見たい?」と挑発するビーナス。
「いえ、いや、はい」と私。
「ほほほ、正直ね。ほら」
ビーナスは布を抑えている手を離した。布ははらりと床に落ちた。うあー、ついに見てしまった。ビーナスの体を全部。あの彫刻の下半身はこんな風になっていたのか。私は母以外の女性の裸は見たことがないのに、いきなり美の女神の全身を見せられて、興奮の極致に達した。うつくしい。頭に血が上った。頭がクラクラした。ビーナスはさらに挑発した。
「触ってみる?」
「いえ、いや、はい」と私。
「ほほほ、正直ね、どこでもいいわ」とさらに挑発する。
私は指をそっと伸ばして、おへその上あたりを触ろうとした。それ以外のところを触る勇気はなかった。私は恐る恐る指を、ビーナスの胃のあたりに近づけて行った。ようやく触れる。私の興奮は極地に達した。やがて指はビーナスの肌に接するまでになった。あと一息、私は指を押し出した。弾力ある反発を期待していたのに、なんと私の指はビーナスの肌にめり込んでしまった。
「ほほほ・・・、触れないでしょう。そのメガネをかけたあなたには視覚と聴覚しかないのよ。触覚も嗅覚も味覚もないの。だから私を触れないのよ。触りたければ、ナノボットを飲むことね。そうしたら触覚を得ることができるわ。そしたら、あなたの指は私を触れることができるのよ」と挑発するビーナス。
これは挑発だ。ハニートラップだ。
「いえ、私はそんな挑発には乗りません」と断固という私。
「ほほほ、好きにしたらいいわ。でもね、ナノボットを飲んだら、私を抱いてもいいわよ」と大胆なことを言ってさらに誘うビーナス。
「でもあなたは人妻でしょう? バルカンという夫がいるのでしょう?」
「バルカンなんてどうでもいいのよ。好きで結婚したわけじゃないし。ゼウス様に無理やり結婚させられたのよ」
「だからあなたは浮気をしているのですか? 戦いの神、マーズと。キューピッドはあなたとマーズの不義の子供だと聞いていますけど」とギリシャ神話の知識を動員して反撃する私。
「ええ、そうよ。だからどうだというの? 夫がいて、愛人がいて、それでいいじゃない。愛人はほとんど公認よ。だから、もう一人くらい愛人がいてもいいじゃない。私あなたのことが気に入ったわよ。あなたの愛人になってあげる。ナノボットを飲めばね」
「いや、そんな恐ろしいことは・・・」
ビーナスは顔を近づけてきた。私の唇にキスする姿勢になった。私はビーナスの美しい顔と唇が近づいてくるのを、目を見開いて見ていた。ところがなんと、キスの瞬間、彼女の顔は私の顔にめり込んだ。なんの感触もなかった。
「ほほほ・・・、今のままではキスもできないの。して欲しかったら、ナノボットを飲むことね」
「それは・・・」
「まあ一晩ゆっくり寝てじっくりと考えたらいいわ。私はこれで消えるわ。お休みなさい」と言って、ビーナスは私の視界から去った。完全にハニートラップだ。
私は興奮で寝るどころではなかった。悶々とした。アテナによれば、ナノボットを飲めば、私は超天才になれる。人類が今までに成し得なかった科学上のブレークスルーを私が成し遂げるのだ。ノーベル賞も簡単だ。さらにビーナスによれば、美の女神に触れる。それどころか愛人にしてくれるそうだ。こっちのほうが当面のモチベーションとしては大きいかも。どんな人間も、今までにこんな特権を得たものはいない。人類史上初めてだ。人類で最も幸運な人間と言えるだろう。
しかしナノボットを飲むということは、ゼウスのいうことを聞いて、ともに人類を征服する手伝いをすることになる。人類に対する裏切りだ。私は裏切り者と人々から指弾されたくはない。一方、ゼウスのいうことも、もっともだ。このままアメリカ主導で特異点に達すると、世界はアメリカの超知能に支配される。アメリカ的、キリスト教的世界観ではキリスト教徒以外は弾圧しても、滅ぼしても意に介さないだろう。これはアジア人、アフリカ人などの非白人、それにイスラム教徒、仏教徒など異教徒にとっての悪夢だ。私は彼らの権利を守る必要がある。人類とは人間全部のことだ。私がナノボットを飲むことは、広い意味での人類救済のためなのだ。正義の行いなのだ。断じてビーナスの色香に迷ったわけではない。私はそう自分に言い聞かせた。そう決心すると明日への期待で胸がいっぱいになりながら、眠りについた。
次の朝、起きてメガネをかけると、早速ビーナスがいた。
「森博士、おはよー、どう良く眠れた?」
「はいおかげさまで眠れました。昨日はクタクタでしたし」と私。
「それはよかったね。ところでナノボットを飲む決心はついた?」と聞く。
「ハイ、決心しました。人類を救うために」ときっぱり言う私。
「それはよかったわね。それじゃあ、朝食を済ませたら、また九十四露神社に行って、ゼウス様にお会いしましょう」