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知的職業の技術的失業

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人工知能(AI)とロボットの発達によって、今後10年程度でおよそ半数の仕事がなくなるといわれている。オックスフォード大学の研究者が失われる仕事を調べた結果、そういう結論になった。それでは今後、10-20年で技術的失業は激化するのか? それには賛否両論がある。反対意見としては、確かになくなる仕事はあるが、新しく生まれる仕事もあるから、失業問題は生じないだろうという。そうだとしても従来の職業の一部は無くなるのはほぼ確実で、それに従事していた人は失業する。どのような人が失業するのか? 工場労働者や一般事務員か? 医者、弁護士など高度に知的な職業は安泰か? ここでは高度に知的、創造的な職業も決して安泰でないという話をする。

そもそも技術的失業とは?

新しい機械の発明により、ある仕事がなくなり、その仕事に従事していた労働者が失業することを技術的失業という。経済学者ケインズの発明した言葉である。例えば産業革命以降、自動車が発明されたので、馬車の御者は失業した。紡績機械が発明されたので、手動の機織り機を操作していた人たちは失業した。

しかし過去のこれらの技術的失業は、新しい職業が生まれることで解消された。例えば馬車の御者の代わりに、タクシーの運転手になるとか。問題は御者が運転手になれるかだが、過去の例では変化はゆっくりしたものであり、労働者は十分に対応する時間があった。つまり産業革命により失われた仕事は多いが、社会全体は豊かになり、多くの新しい仕事が生まれて、たとえば農民たちは都市の工場労働者になり、失業は回避された。

80年代以降、工場がオートメーション化されることにより工場労働者の数は少なくなった。しかしそのぶんオフィス労働やサービス産業の労働の需要が増えたのでそれに従事する労働者がふえた。機械により奪われる仕事はそのほとんどは単純作業に限られていた。つまり、単純作業は機械に任せて、人間はより複雑で人間にしかできない仕事に多く時間を使う事ができた。現在までの技術的失業がそれほど大きな問題にならなかったのは、変化が比較的緩やかであり、労働者は他の仕事に自分を適応させる時間的余裕があったからだ。しかし今後の進歩は加速度的に速くなっていく。それがカーツワイルの言う加速度的変化である。それに労働者は適応することができるだろうか?

仕事の三分類

一般事務とか軽度な知的労働は、人工知能の進歩で失われていくといわれるが、もっと知的で創造的な仕事はどうだろうか。ここで労働を3つに分類してみよう。

1)  高スキルを要し、従って高報酬の仕事。例えば経営者、スター的芸能人・スポーツ選手・芸術家、医師、弁護士、会計士などの士業。

2)  中スキルで中報酬の軽度知的労働者。例えば事務に従事するオフィス労働者で、いわゆるサラリーマンの大部分がこれに相当する。

3)  低スキルで低報酬の肉体労働、感情労働。例えば工場労働者、建設労働者、運転手、セールスマン、接客業など。

もっとも高スキルを要する大学教員などの研究者などは高報酬とは言えないので、上の三分類はあくまで典型的なものである。

失われる仕事と失われない仕事

失われる仕事の典型例は、工場での簡単な肉体労働である。これらの仕事は工場にロボットを導入することで代替される。例えばアップルのiPhoneは台湾の企業が中国の工場で生産している。その会社は100万人もの労働者を雇用している。しかしその会社の経営者は100万台のロボットの導入を計画している。それが実現したら、多くの労働者は失業するだろう。

今後10年で自動運転の技術は完成するだろう。そのときに失われる仕事としては、トラック、タクシー、バスの運転手がある。現在アマゾンなどは、運送業者と提携して物品の配達をしているが、労働条件の悪さなどで運転手不足である。バスの運転手も不足している。その対策として経営者は真っ先に自動運転自動車を導入しようと計画するだろう。

軽度知的労働の代表としては、オフィスの普通の事務作業が挙げられる。これらは人工知能(AI)の導入により、多くがなくなるだろう。実際、多くの主要銀行が大規模な人員削減を計画している。その原因はともかくとして、経営者がそれらの仕事は機械に任せられるし、任せた方が安いと判断しているのだ。もしこれらの軽度な事務労働が仮に機械化されないとしたら、それは人を雇う方が安いと経営者が判断したわけであり、何れにせよ労働者の報酬は安くなる。

一方、失われない仕事としては人工知能やロボットができない仕事、ロボットにやって欲しくない仕事、ロボットより人を雇った方が安い仕事がある。

ロボット、人工知能ができない(とおもわれている)仕事としては、創造的な仕事(芸術家)、高度に知的な仕事(医師、弁護士、会計士などの士業、科学者)、管理的仕事(経営者、政治家)、高度に人間相手の仕事(芸能人、スポーツ選手)などが考えられる。

ロボットができないことはないが、サービスを受ける人間がそれを好まないような職業もなくならないだろう。例えば理髪、美容、マッサージなどはそれにあたるのではないか。飲食業も高級店はなくならないだろう。回転寿司は安くてうまいが、それでも高級寿司店はなくならない。高所得者は一般人と差別化を計りたがるので、それをターゲットとした仕事は無くならない。たとえ回転寿司が完全にロボット化されてもである。高級店の店員のように、高度な対人コミュニケーション能力を必要とする仕事も残る。小売店、飲食店、ホテルなどのサービス産業は高級店とそれ以外に二極分化して、高級店は人間がサービスを行うが、それ以外はロボット化される。

高度に知的、創造的な職業は安泰か?

さて本論の主題は、上で失われないであろうとした仕事は本当に安泰か? ということだ。例えばX線写真やfMRIの読影を行う医療検査技師を考える。読影に関しては人工知能の能力が人間に匹敵したか、追い越しつつある。しかしまだ現状ではそのような読影人工知能の導入は高くつくので、当面はその仕事は安泰だろう。しかし多分、今後10年で危なくなる。医療検査技師になるには多額の教育投資をしたはずで、大変なことだ。

医師はどうだろうか。IBMのワトソンは現在、医療診断への応用が盛んに研究されている。これも今後10年程度で、技術は完成するだろう。そうすると医師の仕事はなくなるか? 私はそうは思わない。患者はロボットよりは人間の医者に診てもらいたいと思うだろうからだ。しかし現在でも多くいるロボットのような無愛想な医者は、将来は人気がなくなり、患者に求められなくなるだろう。

従来、医師になるには高度な教育を受け、膨大な事実を記憶しなければならなかった。医師は一番儲かる仕事と世間で思われて、大学の医学部の偏差値は異常に高かった。しかし、医療診断が自動化されると、医師に求められる資質は頭の良さよりはむしろ人の良さになるであろう。いかに頭の良い医者でも、日日生まれる膨大な医療情報を学ぶ時間はない。しかしワトソンに代表される人工知能にはその問題はない。

また手術もダ・ヴィンチのようなロボットの方が、下手な医者よりは上手になるだろう。現状ではワトソンもダ・ヴィンチも導入が高価なので、人間の医者を雇った方が安い。しかしいずれ、これらの装置も安くなるであろう。その時には医師はなくならないとしても、収入は低下するであろう。現在でも歯科医師は過剰であると言われている。弁護士もそうだ。従来の常識で、高度に知的・技術的で高給取りと思われていた職業も、今後はそうではなくなる。その結果、大学医学部の偏差値は低下すると思う。

弁護士も米国ではすでにパラ・リーガルと呼ばれる弁護士の助手の仕事が減りつつある。今後の弁護士に求められる資質としては、法律に関する知識よりはむしろ対人技術になるであろう。

株売買人に至っては、かつては数百人を雇用していた証券会社が現在では数人だという。株取引を人工知能が行うようになったからだ。

芸術家はどうか。たとえば作曲を例にあげよう。最近、人工知能による作曲システムが発達して、例えば映画音楽、ゲーム音楽などのエンターテイメント系の作曲を上手にこなすようになってきた。人工知能による作曲の話題になると、それに反発する人はよく、人工知能の作曲した曲を機械的な音楽だ、心がこもっていない、人間的でないとか言い出す。しかし高級なワインと同様で、ブラインドテストをすると当てることはできない。ようするに思い込みなのである。

また機械的ではないとしても発想が陳腐だとかいいだす。たしかに人工知能の作曲した曲がモーツアルト、ベートーベンのような大作曲家の曲と比べれば陳腐かもしれない。しかしそんな大作曲家は人間にだってほとんどいないのだ。比べる対象が間違っている。現在の資本主義社会で需要のある音楽とは、映画音楽、コマーシャル音楽、ゲーム音楽など、要するに商業、エンターテイメント、業務に使用する音楽だ。圧倒的多くの作曲家が行なっている作曲はそのようなものだろう。それは近い将来、ほとんどAI化されるであろうと予想する。ここでも働くのはどちらの方が安いかという経済原則だ。言えることは、一般的な並みの作曲家は今後10年くらいのタイムスパンでAIとの競争に破れていくだろう。残るのはスター作曲家だけである。

人工知能Aivaが作曲したゲーム音楽

アビニオン交響楽団の演奏するAiva作曲"I am A.I."

 

ルクセンブルク大公誕生記念 "Let's make it happen"

絵画やイラストも音楽よりは難しいが、AI化は不可能でない。ここでも求められているのは、チラシやパンフレットのようなものが多いだろう。美術館に飾るような高度な美術作品の需要は少ない。要するにマスはAI化され、高級品だけが残るのは、回転寿司と高級寿司店の例と同じことだ。

文章作成も新聞や雑誌などの定型的な記事、例えばスポーツニュース、経済ニュースなどは現在でもAI化が進行している。まだ大勢になっていないが、これも時間の問題だ。残るのは非定型な文章だ。小説などはその典型だろう。小説をAIで作る試みはなされているが、なかなか難しいのではないだろうか。ただし官能小説のような定型的な文章は可能かもしれない。

教師はどうか。教師は本来極めて対人技術の要求される仕事で、AI化されにくかった。しかし教室での一斉講義といった形態は、AIとはいわず単なるビデオ講義で置き換えられていく。試験を作ったり採点したりする作業はなかなか大変だが、ここはAIの入っていく余地がある。実際、中国では大々的に教育のAI化を進めようとしている。記事の見出し的に言えば「中国では無能な1200万人の教師を人工知能で置き換える」である。そこまではいかないとは思うが、AIが今後の学校教育に入ってくることは確かだろう。少なくとも中国ではそうだ。日本はどう対応するのだろうか。

科学研究の人工知能化

私は科学研究者であるので、科学研究がAI化されるかどうかに一番関心がある。AIによる科学研究を人工知能駆動科学とよぶ。いままでの科学研究の方法論は次のような進化を遂げてきた。1)実験・観測・調査、2)理論、3)シミュレーション科学、4)データ駆動科学、そして5)人工知能駆動科学(AI driven science)である。人工知能駆動科学とは人間の研究者が人工知能、ロボットを使って研究する方法、あるいは人工知能自体が自律的に研究する方法論を指す。

具体的には実験のロボット化が考えられる。現在の科学実験、生物実験は実験者がたくさんのケースをいちいち行わなければならない。結構非人間的な作業である。これをオートメーション化、ロボット化すれば研究者はより創造的な仕事ができる・・・はずであるが、現実は失業するであろう。科学者、研究者のポジションは限られているからだ。

究極の人工知能科学は人工知能自身が仮説を立てて、自分で検討していくような、自動研究マシンである。これができたらスター研究者でない、普通の研究者は失業するであろう。

まとめれば、どんな職業にしろ、スター的人物は生き残るが、普通の人は人工知能、ロボットに仕事を奪われて、技術的失業を味わうであろう。

 

   
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