研究所紹介  

   

活動  

   

情報発信  

   

あいんしゅたいんページ  

   

新型コロナとバチャ充の世界

詳細

「バチャ充」とはバーチャルな生活が充実していることで、リアルな生活が充実した「リア充」と対比したことばだ。神戸大学の塚本昌彦教授の造語だ。

さきに新型コロナは客観的、合理的、大局的にみれば怖くないと話した。百万人あたりの死者数を、ほぼ100年前に流行したスペイン風邪と比較すると、それが言える。

しかし人々、とくに日本の人々は新型コロナを恐れて大騒ぎをしている。その理由は、人間の思考は合理的なものではなく、感情に支配されることが第一の原因だ。第二の理由はマスメディア、とくにテレビとそこに登場するいわゆる識者たちが大騒ぎして恐怖を煽るからである。それは日本も欧米も同じだ。数字を見れば明らかに怖くないのだが、メディアも識者も恐怖をあおる。彼らは恐怖を煽ることが商売であり、それで食っているのだ。

新型コロナの恐怖は合理的なものではないと言ってみたところで、怖いものは怖いのだ。新型コロナの最大の問題点は、人々が怖がることにより、社会そのものが変質したことである。そのため多くの産業が被害を受けた。真っ先に被害を受けたのは、観光業とそれに付随した産業、つまり航空会社、鉄道などの旅客業、飛行機を作る航空機産業、土産物屋などだ。さらに外食産業、スポーツや芸術などもある。またビジネスも物理的、肉体的な作業を伴うもの、例えば工場や販売業などはリモート化できないので、あまり変わらないだろう。しかしリモート化が可能な事務作業などの知的労働は大きく変わった。オフィスが必要なくなるか、小規模で良いので、賃貸業などの不動産業が今後、影響を被るだろう。今後の都市計画も変わるだろう。要するに社会は大きく変容せざるを得ないのだ。

私は引退したとはいえ科学研究者であり、もとは大学教授であった。私の関心は講義や研究会、学会のリモート化である。具体的にいえば、講義や講演、学会、研究会がzoomなどで行われるようになった。私の研究所でも研究会はzoomになった。私が依頼される講演もzoomになった。つまりリアルな講義や研究会、学会が、リモートなバーチャルなものに変わったのである。

「リア充」という言葉がある。リアルな生活が充実しているという意味だ。リア充でない生活の一つの典型としては、「引きこもり」がある。ところがコロナのために、私を含む多くの人たちは、引きこもり生活を余儀なくされている。つまりリア充でない生活を余儀なくされている。

それならそれで、リモートな生活、バーチャルな生活を充実させれば良いのではないだろうか。神戸大学の塚本昌彦教授は、バーチャルな生活を充実させることを「バチャ充」と命名した。つまり今後はリア充の世界からバチャ充の世界に転換を余儀なくされるのである。塚本教授はウエアラブルの伝道師とも言える人で、いつもヘッドマウントディスプレーを装着して、腕にはアップルウオッチのようなスマートウオッチを何本も巻きつけている。それが研究テーマなのだ。もっとも塚本教授は私と違い、本来はリア充の生活が良いとしている。

リア充な生活とは、たとえば外を出歩き、友人や知人とリアルに対面して、大声で話し笑い、ともに飲食することなどだ。しかし、そのようなリア充な生活はコロナ感染の危険性がある。そこで私はバーチャルな生活を充実すべきだと考えている。それが「リア充」から「バチャ充」へということだ。

私の関心はzoomなどを使ったリモートな会議、講義、講演などをいかにうまくやるかである。まずリモート会議について述べる。私の研究所では、従来、週に三回、4-5時間、研究所に5-6人程度の研究員が集まって、密閉した部屋で、対面して、大声で話して議論していた。いわゆる三密状態である。

コロナ騒動の初期にリアルな会議はやめてzoom会議に移行した。多くのzoom会議では顔を表示していると思う。我々の場合、通信帯域の問題もあり、顔の表示はしていない。しかし「目は口ほどに物を言い」という言葉もあるように、意思を伝達するには顔は重要なのだ。

会社などのzoom会議では、偉い人の顔を画面の上に置くとか、会議終了後は下っ端は最後に抜けるとかいう、馬鹿げたルールが発生していると聞くが、我々はそんなことはしていない。また世間ではzoom飲み会なるものもあるそうだが、私は基本的に酒を飲まないので、それはやらない。Zoomコーヒー飲み会なら良いのかもしれない。

ただし会議では本来の用件だけに限定して、無駄話をしないということはしていない。まず会議の初めに、各人に近況報告やその他の話をしてもらう。その目的は二つある。まず創造的なアイデアは無駄話から生まれることが多いことがある。もう一つは、人間は本来的に社会的生物であり、人と人とのコミュニケーションは、精神衛生上必須であるからだ。物理的に閉じこもった生活、人との対面のコミュニケーションを避けた、引きこもり生活をしているので、リモートな生活では、できるだけコミュニケーションを取りたいと思う。それが私の思う「バチャ充」な生活だ。

研究会でアイデアを交換するためには、画面に字を書くことが有効だ。Zoomには白板機能があり、ここに字や絵を書いてアイデアを伝えることができる。ただしその問題点は、PCの場合、マウスで字を書くことが困難なことがある。私はiPadとApple Pencilを使って、字や絵を描いている。ただしそのためには、それなりの投資をしなければならない。バチャ充の生活を送るには必要経費であろう。

私は研究会では顔の表示はしていないが、講演会ではしている。その場合、視線の問題がある。対面でコミュニケーションする場合、相手の目を見て話すことをアイコンタクトとよぶ。アイコンタクトは、こちらの意図を相手に伝えるためには有効である。ところが現状のzoom会議ではアイコンタクトが取りにくい。それは例えばPCの場合、PCのカメラはスクリーンの上部にあるからだ。ウェブカメラでも同じことだ。話す人が画面を眺めると、カメラを見ないので、相手とアイコンタクトを取ることができない。いわゆるカメラ目線でカメラを眺めると、アイコンタクトは取れるが、画面に映る相手の顔とか資料が見えない。この問題は技術的に解決することはできるが、それほど簡単ではない。研究中だ。将来のPCはカメラを画面の中心に置けば良いのだが。

リモート講義の問題点について話す。私は日本や外国の講義や講演をYouTubeでたくさん聞いている。それぞれの講師のやり方はまちまちだ。従来の大学の講義をそのままビデオ動画に撮ったものは、一番工夫がない。黒板に書いた字は、普通は見にくいので、多くの講師がPowerPointなどのスライドを使う。ところがPowerPointスライドは講演者の立場からすれば、たくさんの情報を一度に伝えられるので効率的だが、受講者の立場からは、あたりたくさんの情報を一度に表示されてもついていけない。

講演者によっては、紙に書いた字をカメラで写す場合もある。この場合、字の数を減らせば、理解はしやすいが、講演者の顔が見えない。印刷した字の代わりに、手で字を書いていく講義がある。これは理解の速度の点では、適している。その場合、講演者の顔を表示できればさらに良い。

私が今まで見た内で、最も工夫されていたものは、大きな透明のガラスかアクリル板に講演者が字を書いて、それをガラスの裏側からカメラで写すものがあった。この場合、字は鏡に映った場合と同様、反転文字になる。しかしカメラの前に鏡を置いたり、あるいはソフトを使ったりして像を反転させることにより、視聴者には正しい文字として見えるようにできる。この手法だと講演者の顔が大きく写り、かつ資料がよく見える。リモート時代に適した優れた講義法だと思った。

さらに大きな透明のガラス板かアクリル板に、コンピュ-タの画面をプロジェクターで表示して、講師がその背後に立つという手法がある。この方法を使うとPowerPointのスライドを表示して、説明している場所を手でさし示すことができる。またコンピュータ画面上のコンピュータ・プログラムを表示することもできる。実に優れた講義法だと思っている。各大学は遠隔講義のためのこのようなスタジオを作るべきだと思う。技術的にも費用的にもそんなに大変なことではない。

コロナ後の時代には、リア充な生活は危険が大きいので、バチャ充な生活に移行せざるを得ない。そのための創意工夫が必要な時代である。

   
© NPO法人 知的人材ネットワーク・あいんしゅたいん (JEin). All Rights Reserved