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コロナは客観的に見れば怖くない

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新型コロナ感染症は客観的、合理的、大局的にみれば怖くない、しかし主観的、情緒的、個人的にみれば怖いという話である。

まず客観的、合理的、大局的に見て、新型コロナは怖くないという話をする。コロナを大局的に見てみよう。つまりコロナを長い時間的スパンで見る、また広い空間的視野で見るということだ。

長い時間的スパンで見るために、具体的には新型コロナ感染症をほぼ百年前の1918年から1919年に流行したスペイン風邪と比較しよう。スペイン風邪はスペインの名前が付いているが、起源はアメリカであろうと言われている。当時は第一次世界大戦のさなかであり、参戦国であった米英仏独などはスペイン風邪の被害を隠した。中立国であったスペインは、報道管制をしなかったので、その被害が広く知られて、スペイン風邪という名前が付いたというのが、名前の経緯だ。

スペイン風邪の死者数に関しては様々な説があるが世界で4000万-5000万人程度であるとされている。1億人という説すらある。当時の世界人口は18億-20億人である。そこで計算の簡単のために、死者数を5000万人、世界人口を20億人とすると、2.5%の人がスペイン風邪で亡くなったことになる。

日本ではどうだろうか。日本での死者数には諸説あるが39万人という説がある。当時の日本の人口は5500万人であったので、スペイン風邪で日本の人口の0.7%が亡くなったことになる。スペイン風邪は世界では2.5%、日本では0.7%亡くなったということは、日本では世界と比較して、被害は少なかったということだ。つまり現在の新型コロナと同じ傾向が、100年前にもあったのだ。

新型コロナの場合はどうだろうか。新型コロナはまだ収束していないので、今後も死者数は増えるだろうが、2021年3月での世界の死者数の総数は270万人の程度である。一方世界人口は77億人であるので、0.035%の程度だ。日本の死者数は9000人の程度で、総人口を1.26億人とすると0.007%である。

スペイン風邪と比較した新型コロナの怖さを、死者数で計算してみる。新型コロナは世界レベルでみれば、スペイン風邪の1.4%の怖さと表現できるだろう。日本で見ると、新型コロナの怖さはスペイン風邪の1%の怖さである。つまり世界レベルで見ても日本レベルで見ても、新型コロナはスペイン風邪に比べてほぼ1%の怖さなのだ。もっとも新型コロナはまだ収束していないので、死者は今後も増えるであろうが、たとえ現在の10倍になったとしても、新型コロナの怖さはスペイン風邪の10%なのである。こんなに少ししか死なない病気が怖いといえるだろうか。

次に新型コロナの空間的比較をみよう。具体的には欧米主要国と日本を含む東アジア、東南アジア主要国の人口百万人あたりの死者数で比較しよう。ジョン・ホプキンス大学のワールドメーターというサイトに出ているデータを用いる。欧米主要国の数値は2021年3月の時点で米国1675、英国1853、フランス1421、ドイツ902、イタリア1753、スペイン1577である。

それに対しては日本70である。日本の単位人口あたりの死者数は比較する国により異なるが、例えば米国の4%である。つまり怖さも、欧米先進国と比べて一桁以上低いのである。

結論として言えば、新型コロナ感染症は死者数で見る限り、スペイン風邪と比較して、1%程度と圧倒的に怖くない。また新型コロナの死者数の国際比較で見ても、日本では欧米と比べて4%程度と圧倒的に怖くないのである。それなのになぜ人々は、特に日本の人々は新型コロナをこれほど恐れるのであろうか?

新型コロナ感染症は客観的に見れば怖くないと述べた。それでも人々は怖がっている。とくに日本人の怖がり方は、その死者数の少なさから見て、異常なまでの怖がり方である。なぜそこまで怖がるのか。理由を4つあげる。

第一に、多くの人間は客観的、合理的、大局的なものの見方ができないということだ。人間は物事を主観的、感情的、個人的に見がちなのだ。だから客観的には怖くなくても、主観的には怖いのだ。第二に、テレビをはじめとするマスメディアが恐怖を煽っていることがある。第三に専門家が恐怖を煽っている。第四の理由は、主として欧米での被害が大きいことだ。

それでは一つ一つ説明しよう。まず多くの人間は客観的、合理的なものの見方が難しいという話である。これはノーベル経済学賞を受賞して行動経済学を開拓したダニエル・カーネマンの唱える説で説明できる。カーネマンによれば人間の考え方には二つのモードがあるという。速い思考と遅い思考である。速い思考とは、直感的、感情的思考ともよばれる。物事をじっくり考えるのではなく、直感的にパッと決めるやり方だ。要するに物事を理屈ではなく、感情で判断するのである。早い思考では、物事を正しいか正しくないかではなく、好きか嫌いかで判断する。他方、遅い思考の典型は数学的思考だが、数学が得意な人間は極めて限られている。たとえ遅い思考が得意な数学者であっても、ほとんどの時間は速い思考で物事を決めている。

人間は未知なこと、わからないことを恐れる性質がある。「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」という川柳があった。現在の人にはピンとこないかもしれないが、夜道の灯りが乏しい昔の人は、前方に何やら怪しげなものが見えたときに、幽霊かもしれないと恐怖した。しかし、よく調べて見ると枯れ尾花、つまり枯れたススキであったという話だ。現代では幽霊は出ないが、代わりに新型コロナが出るのである。もっとも幽霊は仮想の存在で実害はないが、新型コロナには実害はある。しかしその実害を過大に評価しているのである。

この現象は新型コロナに限らない。過去に何度も起きたことである。例えば、一時マスメディアを騒がした狂牛病というのがある。韓国では米国産の牛肉輸入を巡って大々的な反米デモがあった。日本でもマスメディアは大騒ぎした。しかし、きちっと計算すると、狂牛病による死者数の割合は、さまざまな原因の中で30位程度に過ぎない。水より安全なのだ。水だって風呂で溺れて死ぬ人は一定数いるので、本当は怖いのだ。野球の野村監督がその例であるが。でも人々が水を怖がることはない。なぜなら水に慣れているからなのだ。

新型コロナが発生して一年以上になる。その間に膨大な研究がなされた。病気の性質もかなり分かってきたし、部分的な治療法も分かってきた。またどうすれば防ぐことができるかも分かってきた。ワクチンも広まっている。つまり新型コロナはだんだん未知ではなくなってきた。だからだんだんと怖く無くなる。コロナは完全に収束することはないだろうと言われている。それでも数年先には、風邪やインフルエンザと同じ程度にありふれた病気になり、人々はだんだんと気に留めなくなるだろう。エンデミック状態という。その時が新型コロナ騒動の終焉である。

第二にマスメディアが怖がらせていると述べた。マスメディアは騒いで、人々を怖がらせることが商売なのである。それで金を儲けているわけだ。だからマスメディア、特にテレビには踊らされないようにしよう。

第三に専門家、たとえば感染疫学の専門家が人々を怖がらせている側面はある。現在、彼らは良い意味でも悪い意味でも世間の注目を集めている。いわばひのき舞台に立っている。そんな彼らにとって、新型コロナは大したことがないということは自殺行為なのだ。

第四に新型コロナの被害が欧米で大きいことがある。以前、エポラやSARS、MERSが流行した時に、専門家はともかく、欧米のメディアも大衆も問題にしなかった。しかし今回の新型コロナはまさに欧米を直撃した。現代世界の中心は欧米であることは認めざるを得ない。世界は欧米を中心として回っている。欧米人にとっては欧米が正義なのだ。だから欧米人が関心を示さないことは、重要でない。欧米人が怖がることは怖いのだ。日本人までそれに同調する必要はないと思う。

新型コロナは客観的、合理的、大局的に見れば怖くないことを、スペイン風邪との比較で示した。また日本は欧米諸国と比較して、新型コロナは圧倒的に怖くないことも数値で示した。それでも人々が怖がるのは、人間の考え方は客観的でも合理的でもないからだ。数値で示しても無意味なのだ。しかしそれには、人間の生物としての深い理由がある。

   
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