神経新生と自然
詳細- 詳細
- 作成日 2022年5月12日(木曜)14:13
- 作者: 松田卓也
神経新生の話の続きである。今回は自然に触れることの重要性について述べる。人間は動物であり何億年の進化の過程で自然の中で生きてきた。人類の祖先も数百万年も自然の中で生きてきた。だから人間の脳も自然に適応しているのである。都市やその風景、家やオフィスなどの人工的な環境、交通機関、人工的な光などは動物としての人間には不自然なのだ。現在のように多くの人が人工物に囲まれて生活するようになったのはたかだか、ここ百年程度のことだ。つまり人間は人工的な環境には適応していないのである。
実際、都市などの人工物でできた風景は直線を主体としてできている。しかし自然界には完全な直線は殆どない。完全な円も殆どない。はっきりとした輪郭もない。自然の光景は複雑なのだ。動物としての人間は複雑な光景を見ることで脳が刺激を受けるらしい。音も同じである。自然の音は1/fノイズという特徴的な周波数分布をしている。これが心が落ち着く要因のようだ。
研究によれば自然環境は人工的な環境よりは神経新生を促進する。ネズミや猿を自然な環境の中で飼育すると神経新生が促進される。逆にネズミや猿をかごや檻に閉じ込めると、周りの景色が単調であり刺激に乏しいので、動物園の動物は神経新生が限定される。また気分も鬱になりやすい。自然の環境の複雑さが脳を刺激して、神経新生を促進するからだ。
人間も同じことだ。人間を自然環境中に置くとストレスが減り、不安やうつが軽減される。ADDやADHDが軽減する。都市の道路ではなく自然の中を散歩するとストレスホルモンが減少して、若返りホルモンと呼ばれるDHEAが多く分泌される。
自然の景色は人工的な景色より複雑であり、刺激に富んでいる。逆にビルの中で、かつ窓際でない建物の内部で働いているオフィスワーカーにはうつやストレイが多い。つまり窓際族はその意味ではラッキーなのだ。窓の外がビル街では自然が望めないが、それでも室内よりは窓の近くのほうが良い。学校でも窓際に座る生徒のほうが、成績が良いという調査もある。
病院でも外の自然が見える窓際のベッドのほうが、部屋の奥にあるベッドよりも治りが早いし苦痛も少ないという研究もある。実は私自身、過去に何度も長期に入院した経験があり、部屋の廊下側にあるベッドよりは窓際のベッドのほうが気分が良いことは経験している。
オフィスでどうしても部屋の内部に座る場合は、植木鉢などを置くのが良い。家庭でも家の中に植木などをおいて自然を取り入れるのは良いことだ。道路でも街路樹がある方が運転者のストレスを軽減して交通事故が減る。その意味で最悪なのは刑務所であろう。壁の景色が単調だからだ。米国の刑務所では自然の景色を一定時間壁に映す実験がなされている。
私は夜になるとYouTube動画で自然の景色を、プロジェクターで壁一面に写して流している。調べてみるとわかるが、膨大な数の自然動画がアップされている。川のせせらぎ、木々の葉の擦れる音、鳥のさえずり、海岸に打ち寄せる波の音、キャンプファイアーのチロチロ燃える音などは心を癒やされる。現実の自然のほうが良いことは当然だが、偽の自然でも何らかの効果はあるかもしれないと期待している。
自然に触れることは海馬の神経新生以上の意味がある。子供が育つときにその住居の近くの、植物が生い茂る緑地つまりグリーンスペースに距離的に近いことと、子供の脳の発達が関係するという研究がある。スペインのバルセロナにある国際保健研究所の研究では、7-9歳の学童253人を対象として、生まれてから生涯どれくらい緑に触れたかを測定して、それと脳の白質と灰白質の領域の体積との関係を調べた。その結果は子供が触れた緑の量が多いほど、脳の体積も大きいという結果が得られた。その結果、認知機能も優れている、つまり頭が良いことがわかった。
米国のイリノイ大学の景観・健康研究所の研究がある。大規模な公団団地の女性の住人にインタビュー調査をした。あるグループは殺風景な建物や駐車場という風景しか見えない住居に住んでいた。別のグループは木々や草木、花壇が見える住宅に住んでいた。その2つのグループに対して注意力テストや人生の問題に対する対処法などを調べた結果、植物が見える住宅に住む住民の方があらゆる項目で評価が高かった。自然を見ることで注意力が高まり、また元気になるのだろう。
ミシガン大学の学生たちにGPSをもたせて歩き回らせた研究がある。植物園を散歩する学生もいれば、繁華街を歩き回る学生もいた。その後で心理テストをした結果、自然の中を歩いた学生のほうが機嫌がよく、注意力テストの成績もよく、記憶テストの成績も良かった。また自然の写真を見るほうが町中の写真を見るよりも、測定できるほどの好成績をとった。
クイーンズランド大学の研究では緑のある公園でも、植物の多様性と脳に与える影響には密接な関係があることがわかった。多様な樹木のある公園で過ごした被験者のほうが幸福度は高かった。
自然に触れることは単に頭にとって良いだけではなく、体にもよいのだ。実際、自然に囲まれた生活をしていると都会生活よりはコルチゾールというストレスホルモンのレベルが低くなる。コルチゾールレベルが低下するためには、単に自然に浸るだけではなく、散歩などの適度な運動をすることも重要だ。
以前にも触れたのだが、森林浴という概念がある。日本人の提案した概念だ。日本の研究では森の中を歩くとコルチゾールのレベルが低下し、血圧、心拍数、ストレスに対する過剰な神経反応が低下した。また免疫力も強化された。その理由は森や林の木々が放つフィトンチッドという香りの成分にある。これは免疫力を増強するのだ。つまり森林浴をすることは神経新生にとって役立つだけでなく、免疫力を増強してコロナに打ち勝つ力を高めるのだ。森林浴のために山に行ければ良いが、それは簡単なことではない。山でなくても森や林、公園、神社、お寺に行くのも良い。
個人的な話をすると、私は京都という比較的大都市ではあるが、自然にあふれた街に住んでいる。家の近くの高野川や鴨川を散策すると、たくさんの水鳥を見る。サギとカモが主体である。サギにはシラサギ、アオサギ、ゴイサギがいる。シラサギには大サギ、中サギ、コサギいう種類がある。カモも多くの種類がいる。最近は鵜もよく見かける。鳥だけではない。先日など、河原を鹿が上流に向かってかけて行くのに出会った。人間の背丈ほどもあるダムを軽々と超えて、水を蹴散らしてかけて行った。歩いて行けるところに松ヶ崎山があり、鹿はそこに住んでいるのだ。松ヶ崎山の麓に京都府警察の平安騎馬隊の厩舎がある。ある時、馬の世話係が馬に乗って道路を歩いていた。その道路の下の河原に鹿がいた。上には馬、下には鹿、つまり馬鹿である。なーんちゃって。
自然の景色を見たり、自然の音を聞いたりすることは海馬の神経新生に良い影響を与える。自然に触れることは海馬の神経新生にとどまらず、子供の脳の発達や、主婦、学生の認知力や幸福感にまで影響を及ぼす。自然に親しむことは、ストレスを軽減して免疫力を強化する。自然に親しむ最も良い方法は、植物の豊かな山や森林に行くことであるが、公園や神社、お寺を散歩することもよい。家庭やオフィスや病室でも自然の見える窓際がよい。自然が見えなくても、部屋の奥よりは窓際が良い。自然が見えない場合は、室内に樹木を置くことや、自然の景色を映写したり、写真を置いたりするのも次善の策だ。