宮田先生
性の進化を考えておられるとのこと、興味津々です。と云うのは、私は、一時交通流理論でダイナミカルモデルを作って、自然渋滞を説明するのに成功したことがあって、これがとても有名になりました。交通流研究は1950年代、いわゆるモータリゼーションの時代を迎えて始まった割りと、新しい学問領域であったことと、物理屋さんがかなり活躍していました。そして、前車の速度を感知して後続車が反応するという「追従モデル」が伝統的に使われてきました。しかし、これでは自然渋滞を導くことができませんでした。自然渋滞というのは、事故など何も原因がないのに、渋滞領域ができることなのですが、この原因を、ダイナミカルに説明したモデルと作ったのです。このエッセンシャルな構造は、そもそも、自分の前を走っている車との車間距離に応じた速度を保とうとするように運転者は反応するというものでした。近づきすぎると衝突する危険があルので速度を落としますし、遠すぎるともっと早く走りたくなります。もちろん速度制限がありますので、いくら車間距離が大きくても最高速度以上には走らないと考えます。つまり、車間距離に従って、それに対応する「最適速度」というものが決定されていることになります。この最適速度になるように、現在の速度との差を感知して、運転者は加速したり減速したりします。つまり、車が1列に並んでいるとして
という方程式を立てたのです。これで高速道路を走っている車の列をシミュレーションすると、ちょっとした車の揺らぎが拡大して渋滞領域を形成することがわかるのです。
この「最適速度模型」、もちろん最初は「伝統のある追従モデルを否定するとは何事だ」「追従モデルでも補正項を入れたら渋滞は出せる」といった反発がありました。しかし、ある時、ドイツのベンツなどの自動車会社が作っているボッシュ研究所のかたがたが「これは面白いので、実験してみたら結構後続車の動きがお前たちの言うようなモデルでよく説明できる」というデータをつけて送ってきました。そして、「簡単だがなかなかいいモデルだ」というわけで、いろいろなところで応用をしてくれるようになって、大変有名になりました。私もこの経験があったから、今回の私達のモデル〔WAMモデル〕、私達の仕事がすぐに受け入れられなくてもそのうちに実験結果をよく再現することが分かってくると、いろいろなところで重宝されるのではと思っています。
それはさておき、性の分化についてのメイナード・スミスの考え方を読んだときに、自然渋滞の数理モデルと似た方程式を、接合子を作る「資源」のシステムに応用することを思いつきました。ある資源をいくつに分割すると、接合子の増殖活動が一番活発になるかということがモデル化できます。分割しすぎると1つの配偶子の栄養が足りなくなり「生き残り率」が減少します。1つの配偶子の大きさを大きくしようとすると、数が少なくなり「遭遇率」が減少します。この2つ、つまり「生き残り率」と「遭遇率」を掛け合わせたものが「増殖率」ということになります。この増殖率を最高にする配偶子の「最適の大きさ」は、ほぼその中間にあると考えられます。これを「接合子の大きさの最適の大きさ」とよぶことにします。本来なら接合子の分割はこの大きさになるはずです。ところが、この中間の値というのは、実は「不安定」で、揺らぎが少し大きくなるとますます大きくなる方向へずれていきます。逆に、少し小さくなるとますます小さくなる方向へ行きます。こういう場合、実は一部は大きくなって最大になり、一部は小さくなって最小の大きさになります。つまり、この極端に離れた大きさが安定点になるのです。ここがアトラクターです。この場合、数は少ないが大きな方向へいったものが卵子、逆に小さな接合子がたくさんできたのが精子となるというイメージです。ちょうど車の流れで言うと、渋滞領域と自由走行領域とが高速道路で発生するのと似ているわけです。もちろん、これは原理的には正しいのですが、ダイナミカルなモデルをリアリスチックに求めるには、精子の大きさはどれくらいか卵子の大きさは
どれくらいか、それはどういう種類の生物ではどのように決まっているか、生き残るには最低どれくらいの栄養をためておく必要があるか、精子の和と卵子の数はどれくらい、どのように分布しているか、などいろいろな知識が必要で、当時そういうことをいろいろ調べてみたり、人に聞いたりしたのですが、正直言うと生物の人は数量的なことにはあまり興味がなく、ほとんど知見を得ることはできませんでした。そして、この仕事はこの段階でとまってしまっています。尤も、それは本業が忙しくなったこととも関係しており、その頃、素粒子の統一モデルに対して重要な意味をもつニュートリノの理論、すなわち質量がゼロとして構築されていた標準理論を越える現象が見つかった頃でした。しかもこの日本で・・・。こうして当分、私はニュートリノにのめりこむ生活が続いて定年となりました。
ですので、必ずしも、生物屋さんが数量的なセンスを持ち合わせていないからだけではないのですが、時々は「もっと数量的な知見を大事にしてほしいな」と思うことはよくあります。せめて、オーダーぐらい気にしてほしいです。
この事情は今回も全く同様で、突然変異率について、ショウジョウバエとマウス(ラッセルのメガマウスデータ)などを出して統一的に理解する方向を打ち出しただけでなく、植物も検討の対象にして、同じメカニズムで放射線の影響を理解できることを示しました。なんといっても、動物も植物も同じ細胞からできていますし、それに放射線があたるときの物理的変化は、どれもあまり変わるとは思えないからです。むしろ種や臓器によってどこが変わるかといえば、それはその後の修復機能の違いなど生物的影響だろうと思われます。こうして、「stimulus-response」反応を定式化して、放射線の影響によるmutationのデータを説明する数理モデルを作ったのです。対象にした最初のデータは、ミュラーのショウジョウバエの劣勢致死率でした。この変異率はおよそですが、100分の1のオーダーで、それに対応するかのように、人工放射線を当てない場合の変異率(バックグランド)も大体このオーダーでした。ところが、ラッセルのメガマウスのデータでの7つの遺伝子座の突然変異率の実験データでは、1遺伝子座あたりの変異率はおよそ100000分の1のオーダーでした。「何でこんなにオーダーがちがうのか」「どうしてハエは総線量に比例して直線的に増加するのに、メガマウスのデータでは、総線量率が同じでも、線量率によって変異率が違っているのか」と生物の人に聞いても、「ハエの実験は精子に当てているので修復機能がない」とか、「マウスのほうが哺乳類で放射線感受性が小さいのだ」とかいった定性的な返事が多く、なかなか満足できなかったのです。そして、どの人も同じグラフを見せてはくれるのですが、それ以上突っ込んで、定量的に議論することができませんでした。生物屋さんの興味はそういうことには向いていなくて、むしろ、「マウスでも他の系列のマウスならどうなるか」といった多様性のほうが気になっていたのだと思います。まして、私達のように植物まで統一的に同じメカニズムで説明するなどという非常識な分析は「生物は多様だ、そんな簡単に分かるはずがない」というような反応が主でした。
ところがです! 進化分子生物学だけは違いました。「ショウジョウバエの劣性致死遺伝子は、約500あるので1遺伝子あたりに換算すれば、今ある劣勢致死率のおよそ500分の1」と木村資生の「生物進化を考える」には、ちゃんと説明してあるではありませんか! 私は初めて数量的考察をしている生物学を発見して感動しました。それも、日本の中にそういうことを手がけた方々がおられたのです。私は昔の「湯川朝永の学問の系譜」という研究会に、進化生物学の宮田先生に来ていただいた意味を、今回ほど噛みしめたことはありません。
林忠四郎先生が、ミクロな素過程と星の進化を結びつけたその同じ時代に、ミクロな素過程での知見、分子生物学の知見と生物の進化を結びつけた木村資生先生をはじめとする先駆者たちがいたということは、偶然とは思えないのです。
科学の発展は、思いもかけないところから偶然起こるとしても、この、ミクロとマクロをつなぐ切り口こそ、科学の冥利であろうと思います。そしてそういう領域が今や科学の新しい分野横断型の領域に踏み込んで、その壮大な全体像を私達に与えてくれることの喜びを噛みしめています。
宇宙はどうして生まれたのか、生きているとはどういうことか、物とは何か、こうした根本的な問いが、今やミクロの世界とマクロな世界をつなぐ進取の取り組みの中で、その神秘の扉を開きつつあることに、わくわくしています。
そんなときに、宮田先生を思い出し、太田朋子さんと交流が持てる喜びは、これに勝るものはないな、生きていてよかったな、と思うこのごろです。
坂東昌子
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