2022年10月05日

続・湯川博士の贈り物!(ブログ その170)

湯川博士のお誕生日にあたる1月23日、on-line cafe “続・湯川博士の贈り物”の第1回が行われました。

永田和宏先生という歌をたしなむ方にフアンの多い先生ですが、直前に行われた宮中での歌会始の選者で、お忙しい中お話していただきました。

歌の心得がない私を助けて、ちょうど事務所のお向かいの、うたをたしなまれる山田喜代さんに助けていただきました。予習の会をもって喜代さんにいろいろ教えていただきました。当日は50人を上回る参加者がそれぞれ思いを込めて永田先生のお話に聞き入りました。本来なら対面でこころの共鳴も交えたお話が聞けたら素晴らしいのですが、このコロナ万円の中、そうはいきません。それでもみなさんの感激が伝わってくるようなお話でした。

そして喜代さんは、重厚な報告書を書いてくださいました。拝見してびっくりしました。永田先生が紹介された1つ1つの歌を、ていねいにふりかえり、感激を込めて書いてくださった資料は、なんと、歌1つ1つ出どころがわかるように注がついています。うたに接するとはこういうことか、私たちは論文を書くとき必ず引用文献で出所を明記しますが、うたは、その1つ1つの出所に意味があるのですね。私が歌集「置行堀」(あ、これ、おいてけぼり、と読みます。実は参加者の方から電話で「これなんて読むのですか」ときかれたので・・・)の歌の順序も気にしないで、パッと目に入った心に響く一首について誤った解釈をしたのも、まあ、順序も何も気にしないでいたからですね。

詳しく記述いただいた喜代さん(実はご夫婦で合作だそうです!)の報告、ちょっと長いですが、せっかくですので、この労作をご紹介したいと思います。湯川歌集「深山木」と永田歌集「置行堀」の中から心に残ったうたの細かい紹介もしてくださったので、我があいんしゅたいんとしては、異例の文学の香り漂う資料も掲載いたします。

 報告 続・湯川博士の贈り物 湯川博士が短歌で語りたかったもの 2022年1月24日 山田喜代

日時 場所:22年1月23日(日)15 ~17時 (ZOOM参加)司会:坂東昌子、山田喜代 
講   師:永田和宏 歌人 細胞生物学者 1947年生 京都大学物理学科卒 JT生命誌研究館館長

1では、ご自分のご紹介をかねて 永田和宏・河野裕子さんお二人の歌を紹介。
2では 湯川博士の歌とその心を紹介。
3の終章では 永田先生の科学への思いとご自分のご本の紹介(第五回へつなぐ導入部)。

の3つにわけて 取り上げられた歌に説明をつけてご紹介します。

1.はじめに ご自分のご紹介と永田 河野お二人の歌を紹介  

(1)①「 京大物理学科に68年入学 」: 永田先生は高校の時に湯川先生の話を聞き転機になる。入学したが物理の落ちこぼれだった。短歌に 河野裕子との出会い(恋人に)塔に入会する 。70年学園紛争で週3~4回デモに参加した。という三重苦であった。

たとえば君 ガサッと落ち葉すくうように私をさらって行ってくれぬか」(河野裕子)

反則の歌であり裕子をさらった( 恋愛が男2人と同時進行中)。

君に逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり」(永田和宏)

自分探しの旅へ。

あの胸が岬のように遠かった 畜生! いつまでおれの少年」(同) 裕子の胸。

京大を卒業し森永乳業に就職。 研究は面白かった。 29歳秋に退職(子3・1歳)し京大に戻るが無給。数年後助手になる。娘紅さんは京大農学部で研究中。

注)永田先生の物語はNHKで3~4月に放映予定(あの胸が岬のように遠かった)。

② 湯川先生が卒業時に色紙をかいてくださった!:

潮さゐのわたつみの底はかりかねまたあまたたび 吐息するかも」(湯川秀樹)

わたつみは海。先生の色紙が教室の机の中にあつたが大学のどこかで無くなっている。うたをたしなんでいた私が貰っとけばよかったと後悔している。

 (2) 大嘗祭20 19年10首詠む:(永田和宏)

醍醐寺に桜愛でむととこなめの絶ゆることなき人波続く

天皇が平成→令和に代替わり時。

ゆったりと湯川秀樹の歩みゐし頃と変はらず糺の森は

風俗舞歌他(舞い)万葉仮名で10首作る。大嘗祭の歌に個人名が入っているのは初めての事と一人悦に入っている。

2. 湯川博士の歌とその心の紹介

(1)「移りすむ古京の秋の山なみの目にさやけくもかへる思ひ出」S18年下鴨神殿町

雨の日の糺の森のわびしさよ青葉若葉はぬれて光れど」S22年 散歩

京大教授 文化勲章を貰っているが寂廖感にあふれている。

東山つばらに見ゆる窓とざし絶えなんとする脈をさがすも

S18年11月生母の死。素直に表現している。

潮さゐのわたつみの底はかりかねまたあまたたび吐息するかも」 S4年

学問の前にため息をつく。 理が勝ちすぎる歌。

    「雪近き比叡さゆる日々寂寥のきはみにありてわが道つきず」★S20年暮

学問の道を行くぞ。尽きるのとの尽きない道。不安定でも目指す方向が見えてきた。

湯川先生が一番好きな歌。

深山木の暗きにあれど指す方は遠ほの白しこれやわが道」   S23年春

わかれさす光かそけき深山木の道ふみわけし人し偲ばゆ」S45年頭 退官の年

自然詠のよい歌が多い。 踏みわけし人は先人。 ノーベル賞受賞   S23年。 

(2)「思ひきや東の国にわれ生(あ)れてうつつに今日の日にあはんとは S24年12月

ストックホルムでのノーベル賞受賞式。 現実にあうのは夢のようだ。

忘れめや海の彼方の同胞(はらから)はあすのたつきに今日もわずらふ

日本の同胞は生活をどうしていいのか今日こころを煩わしている人がいっぱいいるのに。

永田先生はこの歌が3首の中では一番いいと思うといわれた。

百年の平和たもちしこの国の人の営みともしろきかも 」  

スエーデンの100年間も平和はうらやましいこと。 平和の大切さ尊さを。

この星に人絶えはてし後の世の永夜清(せい)宵(しょう)所為ぞや ★ S20年 原子雲

原爆 → 人絶えて → 何が残るのか 何のためにあるのか?

上田秋成の雨月物語の中にある。「江月照松風吹 永夜清宵何の所為ぞや」

法師が稚児狂いした。稚児が死んだので死人を食い鬼になり、

1年間悟れず解脱出来なかった。法師をたたくと骨になった。

   「雨降れば雨に放射能雪積めば雪にもありといふ世をいかに」S29年ビキニの灰

   「まがつびよふたたびここにくるなかれ平和いのる人のみぞここは」★

広島平和記念公園 若葉の像の台座に。まがつび(災い霊 原爆) 考えるべき歌

⇒ 湯川先生の世界連邦政府構想 ⇒ 地球国家の樹立への思い

「私たち地球上の生物は大宇宙の法則によって生かされている。私たちは人間の英知によりこの地球に必ず平和の春が来ることを信じ世界連邦運動の原点に返り忍耐強く運動を進める。

アインシュタイン:全体的破滅を避けるという目標は 他のあらゆる目標に優位せねばならぬ

アインシュタインが湯川夫妻に託された願い➡「病気がちの私にかわって妻が・・」

➡湯川スミ 世界連邦全国婦人協議会(WFM)名誉会長    (補足) 

(3)「春あさみ藪かげの路おほかたは透きとほりつつ消え残る雪 」★  S31召人の歌

歌会始の召人に谷崎潤一郎始め昔は多くの人がいた。教養として時に歌を詠む。

ロイヤルフアミリー全員が詠み、国民と共有する。昨今、科学者の詠み人が少なくなった!のは残念なことだ。

(4) 湯川先生の和歌ついて

うたは、自分の主観性を活かせる。感性 感覚 情緒を表せる⇔知性 理性と別の側面の研究も大事だが、全人格を発揮する歌と相補的ではなかろうか。湯川博士は、文化人との交友があった。現在は研究者が研究費を取ってくる等、制約時間が多く、汲々とせざるを得ないのが現状。専門に閉じこもった視野でしか見れなくなる危機感が大きい。

「物理学者である私が和歌などを作って皆さんに和歌の話をするのはおかしいと皆さんお思いになるかもしれません。しかしおかしいと思われるようなものを持っているから私は当たり前の人間なんです。そういうことが一つもなかったら私は非常に不思議な人間です 」。都は湯川博士の言葉。

3.永田先生の科学への思いとご自分のご本の紹介( 第五回へつなぐ導入部 )

(1)「 永田先生の新刊書」「 知の体力 」(新潮新書)「 未来の科学者」(大隅良展との対話)

ノーベル賞の友人との共著 (角川書店)。  どこが面白いか? 科学には重要。

「役に立つ役に立たない科学対談 」:池上彰さんと共著。

4.質疑応答:

(1) 主要Q&Å

・ Kさん(ウイルス学者):昭和天皇の歌に「 雨にけふる神島(かしま)を見て紀伊の國の生みし南方熊楠思ふ 」 S37年。氏名がフルに入っている歌。 割と多いが 大嘗祭の歌では永田先生が初めて氏名を入れた由。  湯川先生は西行が好きだった。

「 原子雲 」の歌:戦争を始めた人たち → 人類悪 →  何故原爆を落としたのか 

→やってはいけないこと。核兵器廃絶を出来ない業。悪い事。持つことは意味がない。

 抑止力云々と言うが。何が正解か? 雨月物語の法師の話。

・ Uさん(塔の会員):「 深くかつ遠くきはめん天地の中の小さき星に生まれて」の評価は?

こんな小さな星の小さな島国に生まれて・リアリティーある歌。湯川先生は解り易い歌を作っている。わかりにくい歌を作らないと後世に残らないと(自嘲)。

・Bさん(理論物理)湯川先生は理想があるがなかなか行き着かない悩みの歌が多いなあ

・Sさん(理論物理)ビキニ水爆事件後、久保山愛吉さんが亡くなった時に、大勢の新聞記者が湯川邸に殺到した。 社会と学問の関係は50~60年たった今でもある。

・Kさん:ルネッサンス時代はダビンチ ミケランジェロなど多才だった。専門性だけではなく広い視野、人間性が必要なのではないか。自分は理化学研究所にいた当時、野依理事長は研究だけではだめだといって、文系理系の講演会を年2回開かれた。

社会と繋がっている広い視野が科学者には必要だということだった。。

永田先生のコメントと議論

 湯川先生の和歌はささやかな趣味(安息所)。(湯川秀樹「 歌文集 」講談社補足)永田先生は研究も歌 文学も捨てられない。日本の伝統はこの道一筋の美学が存在(芭蕉他)。

どちらも捨てられずに何十年もやってきて、50歳の半ばを過ぎてから歌をやっていてよかった、(許せると)いう気持ちになった。 二足の草鞋は後ろめたい。 だから、和歌の話は研究室のゼミでは一切していない。 でも、今は、大谷の二刀流ではないが、雰囲気が変わった。

全人格的なものを求める気風が出てきたように思う。 一つのことだけでは面白くない。

処方箋はないが、人間的に面白さをトータルで出せるか?という方向が理想だと思う。

産業革命以後は、効率重視になった。どういう風に他人が興味をもたせられるのか。

社会を変えていくには人に様々なことに興味を持たせることがまず大切ではないか。

もちろん、細分化した科学の営みには、専門家が大事なので、両方やりたいという学生には、つい、お前バカかと、いいたくもなる。そんな簡単なものではないから。

たしかに、一つの道を極めた人は偉いと思う。しかし。最近では、 若いアスリートは、「楽しんできます」というようになった。 30年前なら、非難ごうごうだっただろう。

➡これに対しては、「女性アスリートは、昔から楽しんできますといっていたのでは?」という声もあった。また、20世紀を個別科学の進化の時代だとすれば21世紀は「分野横断的な課題を解決する時代ではないのだろうか」という意見も出た。

・KYさん:若者は消去で選ぶ。文系か理系かも、数学が出来るか否かでえらぶ。

➡そもそも、理系か文系かを分けてしまうのは、全く意味がない。寺田虎彦はエッセィを

たくさん書いている。永田先生は生命生物学の研究には計算式を忘れても、何故という問いを発することから始まるということが大事で、どこに興味を持つか?が重要だ、だから、研究室でも質問がでないと、がっかりする。プログレスレポートに質問がないと、ついがっかりして、起こりたくなる。不思議だと思うことが大事。 

・Bさん:あいんしゅたいんの親子理科実験教室では「なんで?」のの使い方を練習した。

そうすると、子供は愉しくなるという様子を見てきた。例えば「なぜ夜は暗いの?」➡「太陽が沈むから」➡「なぜ太陽は沈むの?」➡・・・

と繰り返していると、ほんとにわからない問題に突き当たり、質問の楽しさを知る。

3回何故と聞いたらどんな専門家でも答えに窮する(吉田東工大教授の名言)

本質に迫ることが大事。1回の質問では諦めない。

・Uさん(生物系学者):2011年3.11以降 異分野との連携が大事なことを実地に学んだ。

それまで、村松恩師からは余分なことに興味を持ちすぎると言われていたが、放射線の生体影響という深刻な社会問題に友関わる問題に向き合って、本気で異分野の溝を埋める議論を徹底的に行った。こういうことができないと、市民も科学者もどちらの社会でも議論がかみ合わず、一方的な議論に陥ることが、

このSNSの時代の情報発信の分析で分かった。

・SKさん:湯川先生は河合隼雄等と勉強会をしていたと聞いている。全人格で生きる。
「専門性を突き詰めると他の自分を殺すことになる。それに気づく50年中年の危機という心理学の定説が知られている。しかし、今や、例えば、情報科学は文系 理系の枠が外れてきたことにみられるように、学問の世界でも、様相が変わりつつある。

・ Bさん:湯川先生は文化人との交流が多い。今、湯川邸に残された遺品を整理中だが、多くの文化人と書簡をたくさん交わされている。

そもそも、湯川さんは21世紀型の科学者だった。朝永振一郎先生もうそうだが、お二人とも、「愚問の会」とか「混沌会」とかを組織されて、なんでも質問して考えることをとても大事にされていた。「専門外の馬鹿な質問」などとは、決して言われなかった。このようにして広い視野をますます広げられたと思う。

・Iさん(河野裕子さんと同じ学校で教育実習をしていた): 感銘深い話だった。
役に立たない科学役に立つ科学。科学が役に立つか役に立たないか? 難しい問題。

➡例を挙げまると、ひとの 細胞が60兆個とずっと教科書にも書いてあった。
ところが、2013年イタリア オーストリア で画期的論文がでた。実は37兆個だというのだった。200年間の論文を調べて37兆個だということを実証したのだった。なんとなく60兆個というあやふやさを認識してきたのだった。これ、誰の役に立つのか? 誰も得しない?

でも、真実を知りたいのが人間の要求興味を持って知りたいのがサイエンス

これも、もちろん、どこかで役に立つ!

永田先生も湯川先生の講義を1年間受けられた。「中味は全く忘れたが1つ覚えている。『今役立つことは30年後には役にたたない』ということばである由。

津波 防疫防災予算は役に立たなくてよかった(コンセンサス)のだというべき。

大災害では、民衆が被害を受けるからそれに備えるのだが減らされる一方だ。

防衛費だって、本当は何か起こったら困るのだが、起こらなくても増加している。

災費削減してでも、保健所半分にしていいのか。バランスが大事では・・・。

役にたたない研究へも寛容になって欲しい。

こうして、話はどんどん、今の科学の在り方に突入してきりがありませんでした。

尚 最後に 岡田知弘 市民の会代表が湯川邸の現状を話されました。

建物は京大が保存。 安藤忠雄さんが再生。貴重な資料が多く発見されている。

S15年の物理学ノートの横に短歌が書いてあったり、自選和歌集があったり。

遺族の生活圏のなかにも、写真・書簡・スミさんの物・和歌など多くの遺品がある。

テレビ出演のビデオ等もある。文化人等の交流を示す、「 想像の世界(小学館)」

中谷宇吉郎(絵)・湯川秀樹(歌)。西田幾多郎との交流など。保存整理すべきと、市民の会が京大と協力して整理中である。市民の会: 年会費千円 加入を。

終了後になって以下の紹介がありました。

Nさん: 滋賀の小学校で河野裕子先生に習った。その追悼週に収められたなかには、「一人(いちにん)の多き不在か俳壇に歌壇に河野裕子を偲ぶ(上皇后美智子様御歌 亡き人)もある。花桐会「歌人河野裕子さんを偲ぶ記録集」より

 山田の所感: 20世紀の科学の広がり 湯川先生の短歌の話に奥深いものがありました。

次回も楽しみにしています。なお、付録として、湯川、永田両氏のうたの中からいくつか別途紹介します。

以上

喜代さんは、「和歌は自然な気持ちをそのままのべればいいのです。季語もいらないし、おつくりになったら」と言われました。さあ、そんなこと、私にできるかな?いろいろ思いはあるけど素直に出せといわれても・・・できるかな???

そういえば、私たちは論文中で、式に思いを込めるのです。いつだったか、アインシュタインの一般相対論方程式を書いて、「『左辺は汚くて、右辺は美しい』」と南部先生がおっしゃった」と紹介したら、「なんでここの式が美しいのですか?」と聞かれてしまいましたね。こんなの、なかなかロマンを感じてもらえないですね。

喜代さんに教えられることが多かった新しい経験をさせてもらいました。

なお、「河野裕子との出逢いのころのことを書いた永田先生の青春記が新潮社より出るそうです。その連載中にNHKのディレクターがドラマにしたいということで、3月にドラマになるそうです。また、それとは別に2月25日(金)の夜8時からNHK BS1でそれと少し関係した永田先生のドキュメンタリーを1時間放映されるそうです。

PS  山田さんから「美しい式ってどんなのですか」と聞かれました。美しい歌、ってのはあるのでしょうが、美しい式?? 何でしょうね。これはまた別途ブログに書きますね。近くに科学者がいたら聞いてみてくださいね。また、「アスリートが協議を楽しむことがなかったが、最近そうなってきた」とおっしゃったのですが、これに対しての話とか、科学一途でないといけないという話など、ちょっと言いたいこともありますが、またの機会に・・・。