2024年04月20日

中山医師の生き方アドバイス・・・LDMの話題から(ブログ その88)

低線量放射線検討会(LDM)の新しいサイトができて、この活動が可視化され、その様子が皆さんの目に少しとまるようになりました。
今回は、6月9日の中山昌彦さんの話題提供によるセミナーのこぼれ話です。

1.中山昌彦さん大いに語る・・生き方アドバイス

現場のお医者さんのお話を聞けたのは、とてもよかったですね。中山昌彦先生は、長らく京都第一赤十字病院呼吸器科で肺癌をはじめとして、呼吸器疾患の患者治療にあたってこられました。今回は、医療の現場で診断や治療に使われている放射線についてご紹介していただいたのですが、そのあとに続く生き方の話が心に残りました。

● 治療に関する「最後の選択」は

・全身状態がPS2(日中の50%以上起床)まで
・年齢75歳までに考える
・癌の免疫療法は腫瘍が見えないくらい小さいときに考える

● 感染予防:栄養

・美味しく楽しく食べる、よく噛むこと
・ 口内ケア、手洗い、できる範囲で動く
・笑うこと、感激すること、話し友達、異性の友人、旅行など適度の刺激
・自然睡眠
・今という時間をおろそかにしない
・「する」か「しない」か迷う時は「する」
・ 今できること、今しかできないことをできる時にしておくこと
・病気の有無や程度にかかわらず毎日1日ずつ寿命が縮んでいることは万人共 通
・病院の外では病気のことを考えない
・趣味、読書、絵画、音楽、日記、パソコンなどを気楽に気ままに続ける
・新しいこと、やったことのないことを始める

● 「感謝して生きてきた人は、感謝して死ぬ。恨み多い人生の人は、恨んで死ぬ。じたばたして生きてきた人は、じたばたして死ぬ。最期まであきらめきれない。潔く生きてきた人は、潔く死ぬ。どのように死んだとしても、それなりに尊い。」(ホスピス薬師山セミナー藤本早和子Ns. 京都府立医科大学付属病院がん性疼痛認定看護師の講演から)

宇野さんのお話にも、免疫を上げる効果が書いてありましたが、お医者さんが語る「生き方」にはもっと重みがありますし、実体験が散りばめられていますね。宇野さんのとはまたちょっとニュアンスがちがった印象でした。

2.複雑系の虜になった中山さん

ここで、中山さんが話されなかった最後の方の話も紹介します。実は、「これは話さなかったのですが、PPTの最後の方に、 複雑系の話が出てきますので、また見ておいてください」と言われました。あとで見させていただきました。

私は今まで、「複雑系とは、原因がまだはっきりしていないことをまとめているだけで、カオスも相転移も、わかってくると複雑系から抜け出して科学のテーマとなる。だから、複雑系などというのは、わからないといっているだけだ」と、今までずっと主張してきました。

ところが、中山さんの話された複雑系の意味はちょっとちがっていました。つまり、「現世の現象は全て原因と結果のフィードバックの繰り返しで現出する現象と理解されています。その特徴は、予測不可能性だということです。」と主張されたのです。低線量放射線の影響について、「確率的」と言われる所以を中山さんなりに理解されたといっていいでしょう。これを、「複雑系」とおっしゃっているのですね。私の理解では、カオティックな現象とは、「普通のニュートン力学の世界では、はじめの状態がホンの少しちがっていた時には、終状態もほんのちょっと異なるだけ」という世界ですが、カオスは「ほんのちょっとはじめの状態がちがったら、行く先(終状態は全然違うのだ」ということです。

今日あなたが事故に遭って死んでしまう、あるいは低線量放射線をホンの少し浴びただけなのに、それが運悪くがんを誘発することも、宝くじより低い確率だけどありうる。でも、そのほかにがんになる確率はこの世にたくさんあるので、たしかに放射線の影響だなどと特定するのは難しい。そんなことの連続で人間は生きているのだ、ということなのです。だから、そんなことにくよくよしないで、今を一生懸命生きるのだ。「今を一生懸命生きようよ」というメッセージに使っておられるのです。

このことを、出席できなかったLDM研究仲間にメールで送ったら、その中の1人のメンバーが次のようなメールをくださいました。

「中山さんの生き方の話には、とても共感します。

・今という時間をおろそかにしない。
・「する」か「しない」か、迷う時は「する」。
・ 今できること、今しかできないことをできる時にしておくこと。

というあたり、10数年ほど前に研究会のさなか、発表を終えた直後に友人が突然死してから、同様に考えて生きています。」

今を生きることの意味、それが伝わってきます。とはいえ、人は、自分のまわりで、そのひょっとしたらというようなことが実際に起こると、生き方や感じ方が変わるのかもしれません。自分だけに降りかかった不運は、自ら背負って生きてゆかねばならない、そういうことを考えると、なんとか、その原因をはっきりさせ、リスクを少なくする方向をむいていかねばならないと思います。

「天気予報は当たるようになったけど地震はまだ無理」という話にもつながりますが、予測可能と思われたことも、いつか、だんだん、危険を予知できるようになります。偶然に思えた不幸をできるだけ予防するようになってきたのが歴史ではないでしょうか。そのために、科学はそのメカニズムを探り、道筋を明らかにしてきたのだと思っています。

でも、人間の命のように複雑な対象を取り扱っていると、地震の研究者がそうであるように、やはり、「予測すること」は、個性のある多様な生き物を相手にしている限り、まだまだ「未知」なのだ、ということですね。色々と考えさせられたセミナーでした。

この日の報告は、また、大学2年生の真裏くんが別途、セミナー報告6月9日分として報告してくれるそうです。LDMページの中の「活動報告」をご覧ください。

3.みなさまもどうぞ立ち寄ってください!

私は旧姓が中山昌子なので、中山雅彦さんは、偶然一字違いのお名前でした!
ついでに、もう亡くなられた牧二郎先生(前基研所長)が、ある時、「坂田昌一は田に上と下をくっつけて東、一に縦をくっつけて子、だね」と私にいわれて、そうや、坂田さんにもっとたくさん付け加えたのが私なのだ、なんて喜んだことがありました!余談ですが・・・

ところで、中山さんとどうして知り合ったかというと、実は、大阪の大手前高校の同窓会である金蘭会が企画している金蘭会セミナーで、お話を頼まれたときのことでした。この会に来ておられた中山さんが、その後の交流会で、「今ぐらいの量の放射線で、大騒ぎしているのはどうも納得いかないのです」と話に来られました。穏やかそうな方で、いろいろと話し込みました。その後、メールでのやり取りをして、私たちの研究会LDMセミナーにお誘いしたらさっそく来てくださったのです。来られて分かったことは、すでに、宇野さんのお知り合いだったこと、そして、ルイパツトゥール全所長藤田先生の講義も受けておられたことでした。いろいろなところでつながっているのだなと、面白くなりました。

このように、近頃、いろいろな方が、このNPOのいる可視化実験室を訪問くださいます。そしていろいろな情報を届けてくださいます。もちろん、私たちも、「京都のおいでの時はぜひともわが研究室をお尋ねくださり、議論の機会を持ちましょう」とお誘いしているのです。いつぞやは、江川詔子さんがご訪問くださり、低線量放射線の影響についてもっと詳しく知りたいとご希望され、宇野さんに来ていただき(すぐ近くのルイパスツールセンターにおられます)ご一緒にお話しあいもしましたよ。そのほか、民間事故調の委員長、北澤宏一氏にもここでお話を聞かせていただきました

みなさまも、何か議論したいことがあればどうぞお越しください。