第40回:「気候ゲート事件」by 松田
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2010年1月09日(土曜)13:00に公開
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作者: 松田卓也
皆さんは最近英国で起きた興味深い事件「気候ゲート事件」を御存じたろうか。奇妙なことに日本のマスメディアはほとんど報道されていない。欧米では報道されているが、押さえた表現がなされている。実はこの事件はコペーンハーゲンで開かれたCOP15の直前に明らかになり、これが大々的に報道されると欧米の政治家達にとって、とても具合が悪いことになったからであろう。日本のメディアも鳩山首相に遠慮して報道しなかったのではないだろうか。
事件は地球温暖化を巡るものである。地球温暖化の原因に関して、政治的、マスメディア的にはすでに決着がついていて、それは人類活動に由来する二酸化炭素などの温暖化ガスのせいである。実際、米国元副大統領アル・ゴアと、国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の事務局長パチャウリはこの件でノーベル平和賞を受賞している。この二酸化炭素原因説に対して、地球温暖化の原因は自然要因、とくに太陽の活動に由来するのではないかとする根強い懐疑説が存在する。この立場を私は懐疑派と呼び、二酸化炭素原因説を採る人々を正統派とよぶことにする。正統派は地球温暖化の科学的な解明は済んだので後は行動だと主張している。それがCOP15の基本的な立場である。しかし懐疑派は、地球温暖化の原因は全く別なところにあるので、見当違いの政策に数十兆円もの資金を投じるのはナンセンスであると主張している。私の立場は、地球温暖化の原因はまだ明らかになっていないというものである。日本でも天文学者、地球物理学者を中心として、その立場が広まりつつある。
さて気候ゲート事件のあらましは次のようなものだ。正統派の牙城である英国のイースト・アングリア大学の気候研究ユニット(CRU)のサーバーが何者かによりハックされ、そこに蓄えられていた1000通以上のe-メールや3000もの文章、コンピュータプログラムが盗み出されて公開されてしまったのだ。そのe-メールの中には正統派の大物である研究所所長と、IPCCレポートを書いた大物の米国人学者との間の、極めて私的な驚くべきメールが含まれていたのだ。
例えば所長のPhil Jonesから米国のMichael Mannにあてた1999年11月16日づけのメール
「私はマイケルのNatureの論文のトリックを用いて、過去20年間(1981年以降)とキースの1961年からの気温の実際のデータを加工して、温度の降下を隠すことに成功した」
マイケル・マンといえば、過去2千年間の気温を年輪などから再現して、過去の気温はずっと一定であったが、20世紀になり急上昇したとする、有名な(悪名高い)ホッケー・ステック図を作った張本人である。彼はこの論文でIPCCに気に入られてレポートを書き、今は斯界の大物に出世した人物である。マンの図では、それ以前のIPCCレポートでは入っていた中世温暖期や小氷期がなくなっている。このことが地球温暖化を喧伝したいIPCCに気に入られた原因であろう。
Mannの2003年3月11日のメール
「我々はClimate researchを正統なピアーレビュー雑誌と考えることは止めるべきだと思う。気候研究コミュニティーの同僚達に言って、あの雑誌に投稿したり引用したりするのは止めよう」
マンがそう書いた理由は、この雑誌が懐疑派の論文を受理したからである。マンの暗躍で編集長を含む編集部員の多くが辞任した。
Jonesの2004年7月8日のメール
「MMの他の論文はクズだ。・・・これらの論文はIPCCの次のレポートには載らないだろう。ケビンと私は彼らを干してやる。ピアーレビュー雑誌というものの定義を変えてもだ」
パチャウチがIPCCでは、そんなことは起こりえないと保証しているにもかかわらずである。
Jonesの2005年2月2日のメール
「人々をFTPサイトの周りでうろうろさせてはならない。情報をカギ回っている奴がいるかもしれんからな。二人のMMは長年にわたってCRUのデータを要求している。もし彼らが英国にも情報公開法があることを知ったら、奴らにデータを渡すよりは破棄してやるよ。米国でも情報請求があったら20日以内に公開しなければならないとする法律があるかい?英国ではあるのだよ。英国では先例主義なんだ。だから始めの請求が問題なんだ。我々にはデータ保護法というのもある。こっちも知らせないがね」
Kevin Trenberth(NCAR)の2009年10月12日のメール
「最近、地球温暖化が起きていない事実を我々は説明できない。もし出来ないとしたら茶番だよ」
盗み出されたコンピュータ・コードにFortranとIDLで書かれた温度再現のプログラムがある。そこには温度低下を隠すトリックが書かれていた。また専門家の意見では、プログラムの質は商業レベルには達しないという。バグや論理エラーが多いからだ。だから大学当局はプログラムを公開したくないのだろうという。
さて、この事件は2009年11月17日に発生した。何者かが正統派のサイトであるRealClimateウエブサイトをハックして、CRUから盗み出したファイルを公開したのだ。サイト側は直ぐにそれに気づき、ファイルを消去するとともにCRUに事件を知らせた。そこでハッカーはロシアのサイトに問題のファイルをアップした。それが世界中に広まったのだ。英国の警察が調査を開始したが、どうも外部からハックされたのではなく、内部告発だろうと考えられている。というのも、公開されたメールは全部ではなく、選択されているからである。
この事件に対する反応は当然、正統派と懐疑派ではまったく異なる。East Anglia大学では、CRUにもメールには全く問題はないとした。しかし世間の圧力で所長を休職にした。CRUにデータを提供していた英国気象庁もCRUを擁護して、なにも問題はないとしている。マンは、メールは言葉のあやで、やましいことは何もない、懐疑派は事件を針小棒大に宣伝しているだけだとしている。一方米国の、懐疑派のある議員は事件を調査すると言っている。
私はこの事件の重要性は単に地球温暖化問題に留まらず、政治と係わった現代科学の問題であるとおもう。現代科学のあり方に対しても重大な疑問を呈する事件である。将来に科学史上の一事件として記録されるのではないかと思う。
科学に対立する二説があるとする。正統説つまり主流のパラダイムとそれに挑戦する異説があるとする。科学雑誌は正統派の論文で溢れている。正統派は異説がピアーレビューされた雑誌に出ていないから、検討に値しないと言う。しかし異説が論文誌に投稿されると正統派の編集者、レフェリーは難癖をつけて論文をリジェクトする。また仮に異説の論文が通ったとしたら、正統派は編集者に圧力をかけるか、辞めさせるか、その雑誌をボイコットする。これが正に気候ゲート事件で起きたこと、正統派がやろうとしたことだ。地球温暖化の太陽起源説をとなえたSvensmarkを扱ったデンマークのテレビ番組を見た。彼が学会で彼の説を公表したときの聴衆からの失礼極まりない攻撃、ロビーでの大家の慇懃無礼な批判は興味深いものだ。また同時にE. Parkerの温かい励ましも興味深いものだ。パーカー自身も太陽風の理論を提案したときには、同様な目にあったのだろう。
IPCCや正統派は正統説が科学者のコンセンサスを得ていると主張している。ここがまた科学史的には興味深いところだ。一体、科学はコンセンサスで進むのか。私も実はそう主張した時期がある。相対論は間違っているとする説は学界主流のコンセンサスを得ていない疑似科学であると私は排斥した。しかしこの論拠だけで通すと、正統派のパラダイムはコンセンサスを得ているので、いつまでたっても崩れないことになる。科学の進歩、パラダイムの転換は必ず異説として現れ、それはコンセンサスを得ていない。悩ましいところである。
次に政治、経済、実際生活と密接に係わった科学の危うさである。地球温暖化問題はもはや単なる学問上の問題ではなく、世界政治の問題、経済の問題と深くからまりあっている。そこでは科学者は純粋に学問的好奇心だけで研究を進めることは困難である。例えば米国では懐疑派の研究は石油業界から資金を得ていると批判されることがある。しかし米国でもブッシュ政権の方針とは関わりなく、正統派が力を得ていることは、実は学会内では正統派でないと研究資金が得られないという事情があるのだろう。日本で言えば科研費の配分など、やはり正統派が有利であろう。例えば地球シミュレーターの建設に数百億円が投じられたが、その建設の大義名分の一つが地球温暖化問題であった。
日本では地震予知研究もある意味で同様なものだろう。まず地震の危機、パニックをあおる。そしてそれを予知する研究をするための予算と人員を要求する。こうして膨大な予算と人員が投じられたが、今に至るまで地震予知には成功していない。阪神大震災も予知できなかった。現在では地震予知よりも防災が重要であるとされている。しかし地震業界は今までに受け取った資金を返還したり人員を削減したりしたという話は聞かない。要するにやり得なのである。
私のやっている宇宙物理学は幸か不幸か実際生活にあまり関係がない。だからこの種のトラブルに巻き込まれることもない代わりに、研究資金もないのである。