2024年10月05日

第45回:「卒業式シーズン」by 小無

もうすぐ卒業式のシーズンである。
式後のパーティは昔は「謝恩会」という名であったが、今は「謝恩」などという言葉は死語になって、「卒業パーティ」とよばれている。

我が大学では同窓会が主催する同窓会への入会歓迎パーティで、もはや卒業パーティでもない。卒業式が終わった瞬間に未来に向かって歩き出している、過去は綺麗さっぱり忘れようということらしい。
KnowHowよりKnowWhoという言葉を贈っているスピーチを聞くことがある。しかし謝恩を忘れた学生のWhoには教授は入っていないようである。我々の話はもう聞きたくもないので「遮音会」なんだろう。
「恩」とか「恩返し」を若者は忘れているのだ、やれやれ・・・
鶴でも恩返しするのに・・と思って嘆いていたら。

昔々、ある所に老夫婦が住んでいた。ある冬の雪の日、夫婦が街に(株)を売りに出かけた帰りに、放漫経営という罠にかかった鶴を見つけました。
可哀想に思った彼らは、鶴が罠から逃がれるために、(株)を売ったお金を鶴に援助しました。
夫婦は鶴がいつの日にか元気に飛び立てることを祈ってずっと援助し続けました。
鶴は仲間達と励まし合って一年に何度か夫婦を半額で鶴の仲間に乗せてくれました。でも鶴たちは苦しそうに飛んでいました。すーっと空をというように気持ちよくは決して飛んではいませんでした。
そのけなげな飛び方で夫婦は又鶴たちに援助をしました。
こんなに苦しそうに飛んでいるのに、夫婦は鶴たちがどのように過しているか話を聞かせて欲しいと頼みました。でも鶴たちは「飛び上がる前の姿は決してみないで下さい」と夫婦に言いました。
老夫婦は「そうか、昔々に鶴の恩返しというお話があった、飛ぶ前の姿は決してみてはいけないのだ。きっと何か恥ずかしいのだ。わしらは恩返しをしてもらいたいのじゃないから鶴たちの毎日の姿は見ないでおこう」と決めました。援助をしたときに有り難うの証書をもらっているからそれで十分だ。夫婦は鶴たちが毎日どのように過しているか見ないまま時を過しました。夫婦はしばらくは鶴に乗せてもらうこともなくなっていました。
平成22年のある冬の日、夫婦が鶴からもらった有り難うの証書をタンスの中にしまってあったのを思い出して、思い出を覗こうとしたらその証書は普通の紙に変わっていました。鶴は真っ赤に塗りつぶされていました。

若者だけではなかったと気がつきました。