「あいんしゅたいん」でがんばろう 4
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2008年12月30日(火曜)08:03に公開
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作者: 佐藤文隆
年内にもう一本と思っていて、ここまで押し迫った。いろいろあったが人前でしゃべったのは12月21日の「量子情報の講演会」と23日の愛知大での「教員免許更新講習」。21日の大阪大学中ノ島センターであった物理学会大阪支部公開講座「量子力学と技術の接点」でしゃべったことは、2月発行の拙著「アインシュタインの反逆と量子コンピューテイング」(京大学術出版会)のさわり。厳しい感じの「教員免許更新講習」を大学・研究者と教員との間の交流を深めるきっかけにしようという坂東さんの発想はその通りだと思う。このNPOの種火の一つでもあるので実地に参加したが、一日に一時間半の講義を4回続けてやるのは、聴く方もしゃべる方も大変だった。現職の教員相手の講義だとこうなる面もありわけだが、工夫がいるようだ。
今回のテーマは、先日、文科省が発表した「学習指導要領改訂」。「英語での英語」ということだけがマスコミの話題になったが理数でも大きく変わった。高校に目を向けると、「近年の新しい科学知見に対応」の例には「遺伝情報とタンパク質の合成、膨張する宇宙像」とある。数学では統計が必修となり、「数学活用」と使う数学重視。理科の科目編成は大きく変わって総合科目は「科学と人間生活」に一本化し、あとは物化生地四科目の伝統型に戻った。特に物理学の導入は久しぶりに「運動」から始まることとなったのは、多分、十数年ぶりの復古革命だろう。
こう言ってもチンプンカンプンの物理学者が多いと思うが、高校物理の導入が「エネルギー」から始まる時代がしばらく続いていたのである。物理学といえば「ニュートンの運動法則から入って云々」という力学から始まるというのが長年の慣わしであったろう。ところがこの惰性を打ち破る試みがしばらく先から指導要領で試みられていたのである。善意に解釈すれば、多分、この「革命」の意図は「数式の入る力学から始めると、時間をくって、エネルギー問題などと絡む現実の題材まで達しない」ということであったのだろう。今後もそうだが標語的には物理は「エネルギー」、化学は「物質」と棲み分けている。今後も物理の目標は「エネルギー」なのであるが、これを教える手法に二通りあり得る。一つは現代社会でのエネルギーという言葉の実態に沿って「様ざまなエネルギー」を列挙して見せて共通のイメージを植えつけ様とする試みである。ここでは「運動エネルギー」は様ざまなエネルギーのone of themに過ぎない。また自動車衝突事故でも例に出さないと運動エネルギーは社会で明らかではない。二つ目の教え方は「運動とエネルギー」という従来路線である。イメージが明確な運動からその測度としてエネルギーを導入し、そこから熱や電気まで続けようとする。
「二つ目」の難点は「運動」と熱や電気とのつなぎ方だが、運動という”生もの”を数式という”ドライなもの”に映し替える物理学の「ものの見方」の学習になっている。熱や電気で数式が前面に出る学習は高校では不可能であり、この「ものの見方」の訓練は力と運動でやるのがせいぜいである。それに対して「一つ目」の改善論者の意図は、民主主義社会での市民のリテラシーとして、エネルギーを巡る現実の理科的知識を知って貰わねばならないという逸る気持ちの表れなのだろう。こう見ると問われているのは「ものの見方」か「知識」という対抗軸である。リテラシーや知識という場合、我々はとかく人間は出来上がっている、一人前の人間だ、という状態を前提に「必要なもの」を入れると発想しやすい。そこには知識が人間を変えていくと発想がすり抜けやすい。私は物理学は、「知識」だけでなく、「ものの見方」の学問として、人間を鍛える学問として、の威力をもっと発揮すべきと念じている。「物理帝国主義者」の数少ない残党の一人として、寒風に向かって叫ぶ以外なさそうであるが・・・・・・・・。
12月21日のポスター。http://www.phys.sci.osaka-u.ac.jp/jps-osk/にそのうちに当日のPPtが公開されると思う。