2024年10月10日

「あいんしゅたいん」でがんばろう 33

理科とSTEM 第1回

昨年暮れ12月19日のこのコラム(「あいんしゅたいん」でがんばろう 25)に「理科とSTEMは同じか?」という文章を書いた。
日本の学校教育でのサイエンスにあたる科目名が「理科」であるが、この理念がいわゆる西洋起源のサイエンスの理念と違うのではないかという問いかけである。「この疑念は、ある会社の高校教科書の編者をやるなど指導要領や理科教員団体の書きものに十数年ほど接してきて、私のなかに芽生えてきたものである。
拙著「職業としての科学」(岩波新書)でも簡単にふれたが、その後、藤島弘純「日本人はなぜ「科学」でなく「理科」を選んだのか」(築地書館、2003)という本に出会い、「ああ、やっぱりそうか!」と合点がいった。」

この藤島氏の本を注意深く読んでもう一度この課題に帰ろうかと思っている辺りで、「震災・原発」に世の中も私の思考がとんでしまい、このコラムにもいくつかそういったテーマで文章も書いた。この現実が突きつけた壮大な課題は現在進行形である。
しかし、関係者でない人間が「報道」というフィルターを通じて見せられる仮想現実に突き動かれてこれに並走することの空しさを感じるようになった。
そこでこのコラムのテーマを日本の学校教育の理科の理念を巡るテーマに復帰して数回連続して考察してみようと思う。


サイエンスを表す言葉

まず何故なじみのないSTEMという言葉を登場させているか?について、繰り返しておく。
「STEMとは、現在、科学教育強化のために、アメリカで取り組まれているscience-technology-engineering-mathematicsが一体になった学校教育の教科のくくりである。サイエンスも入ってはいるが、ここの主題はイノベーションである。イノベーションとは社会システム革新であり、STEMがその“源泉の一つ”であるという位置づけである。科学内部の結び付きは意外なものがあるから、イノベーションのための科学と云ってもクオークも人類学も排除はされないが、ベクトルは自然とは別方向を向いている。」

日本で流通してサイエンス関係を表すものには多くの言葉がある:理科、科学、自然科学、科学技術、理系、技術、・・・。さらに、サイエンス、テクノロジー、エンジニアー、ST・・、といったカタカナ語も混在して使われる。
その一方、行政的には学術、理学、科学技術がよく使われるが科学は余り使われない。これを巡る歴史的な事情は拙著「職業としての科学」(岩波新書)に書いたが、「科学」には科学的精神、科学的手法、科学的労務管理、科学者魂、「空想から科学へ」「科学的共産主義」「科学と価値」などというように、学問論における党派性を帯びた主張や専門家の倫理性といったものを含むものと見なされて時代があったからである。決して、対象を指し示す言葉ではなく、「科学」にはいろんな理念がこもったイメージがあったのである。
「科学者にあるまじき行為」などというときは、この意味が加味されている。また。戦後に高等教育に何気なく登場した、人文科学、社会科学、自然科学という分類法にも、近年は「人文」や「社会」に「自然」と同じように「科学」をつけるのはおかしいとする意見も多数ある。

昨年8月、日本学術会議は行政用語で定着しつつある「科学技術」(科学技術基本法、総合科学技術、科学技術など)を「科学・技術」に改めるべしという勧告を政府に提出した。ここでも、「言葉」を巡る問題が始動している。「言葉なんか、どうでもいいじゃない」ではないのである。学校教育の「理科」や、世間で広く普及している「文系理系」という言葉にもこだわってみる必要がある。

なぜSTEMと比較

それにしても理科と比較してみる対象になぜ米国のSTEMを持ってきたかである。
もちろんこれが初等中等の学校教育を表す言葉だから、同じく日本の学校教育を表す理科と比べるのがいい、という発想である。ここには、ひろく社会・産業・行政などでのサイエンス関係の営みと学校教育の教科の理念は別物だという前提に立っている。
学校教育のサイエンス系教科の理念がサイエンス界への人材供給という目的に極限されているのか?、そうであってはならないのか?、という問題意識を懐胎している。サイエンス界の理念に解消できない、独自の理念が学校教育には求められているのではないか、という問題意識である。
これまで理科教育というとすぐに「サイエンス関係の営み」を参照系にして論じられることが多かった。これだと、研究者が理科教育の理念をよく心得ているような錯覚を与える。欧米でも理科教育の参照系は科学界であるという観念が強かった。

STEMという括りは米国でも古くからあるものでない。十年ほど前に、日本などに比べて、米国での生徒の科学関係の習熟度が劣化していることに危機感をもって、学校教育のテコ入れを議論する中で登場した学校教育業界の用語である。

この言葉が登場する議論はおいおい説明していく。science,technology、engineering,mathematics という四つの語順には気をとらわれないで欲しい。この並びは英語的な発音上の都合らしい。
しかし、この四つが対等の様な資格で登場させていること自体には意味がある。だから、STEMと聞いて抱く違和感や驚きは、この言葉が何か自明でない理念を提起していることを伺わせる。米国教育界の話とはいえ、これを先ず見てみようとするわけである。

次回に続く