2013-10-12
遺伝子音楽、DNA音楽
先日のサロン・ド・科学の散歩道で中島啓夫先生が遺伝子音楽、DNA音楽の話をされた。日本人の遺伝子学者の大野乾が1986年に発明したという。YouTubeでサンプルを探してみた。これが一つの例そだ。タンパク質音楽というのだそうだ。
ここにはガン遺伝子の音楽がある。結構いい音楽になっているのがすごい。
風立ちぬ
昨晩は借りてきたDVDの「アイアンマン2」を家内と見た。実につまらないアメリカのマンガだと思った。しかしこんなマンガでもアメリカ的価値観がぷんぷんしている。だから嫌なのだ。しかし家内は1よりは良いという。それはアイアンマンが最後には秘書と結ばれるというラブストーリーの部分が良いのだろう。なぜ見たかというと男子学生にぜひ見てほしいと言われたからだ。
先月の20日に私はやはり家内と「風立ちぬ」を新京極のMovixシアターで見た。後でネットで評判を見たが、賛否両論だ。宮崎駿監督の従来のファンタージ路線ではなく、零戦を設計した堀越次郎の伝記的要素と、堀辰雄の小説「風立ちぬ」のロマンチックな恋物語を一緒にしたものだ。堀辰雄の小説「風立ちぬ」に感動したこともあり、結構楽しめた。
私は京大の航空工学科で長年助教授をしていたこともあり、航空オタク的な要素もあるし、軍事オタクでもあり、宮崎監督と共通点がある。年齢的には彼が私の2歳年長である。やはり昔を知らない若い人には分からないだろうなというのが、第一印象であった。
家内と共通した印象は、昔の日本の生活にたいするある種のノスタルジーであった。「あっ、あれもあった、これもあった」と。蒸気機関車には私は何度も乗った。現在の若い人たちには共感できないというか、分からない部分も多いだろう。昔の貧しい生活の描写は、自分の子供の頃を思い出させる。しかし軽井沢のホテルの描写とかは、当時の高所得層のリッチな生活であるが、豊かな現代では、我々もその気になればあの程度の贅沢はできる。主人公と妻のロマンスは美しくもあり悲しくもある。荒井由美の主題歌「飛行機雲」もマッチしている。
主人公が飛行機の設計で使っていた計算尺だが、ネットで若い人が「あれは何?」と聞いていた。私は中学生の時に、中学校が計算尺競技会に参加することになり、先生が急遽、数学の出来る生徒を集めて計算尺クラブをでっち上げて、私はそのひとりに選ばれた。親に計算尺を買ってもらい、特訓に参加した。計算尺の滑りを良くするため様々な工夫をした。ロウを塗るためロウ石でこするとか。ロウ石というのは、地面やコンクリートに字や線を書くためのものだ。しかし滑りすぎても困る。尺が行き過ぎるからだ。計算尺は当時の科学・技術者にとっては必須のものであった。例えば私の大学院時代の恩師の林忠四郎先生は計算尺で星の進化の計算をした。
製図のシーンが出てきたが、私は理学部の出身で製図はやらなかった。図学という単位があったのだが、とらなかったのだ。航空工学科では学生にとって、製図は必須科目であった。主人公の製図の中にNACA0012翼型がちらっと出てきたと思う。当時の日本の航空技術は例えばドイツと比べて20年遅れていると言っていたが、現在もそんなものだろう。零戦も空力設計は良いが、エンジンが非力だったのが限界だ。私が昔、話を聞いた国鉄の技術者のトップの人から、戦時中にロ号潜水艦の電池をやっていて、液漏れが多く、ドイツのU-Boatの技術にはかなわなかったという話を聞いた。こういった要素技術の遅れが、日本の欠点だったのだろう。あの戦争は所詮勝てるはずの無いものであった。宮崎監督は軍事オタクで反戦派というから、私と同じだ。
主人公がタバコを吸いすぎるという批判もあったそうだが、昔の男性はあれが当たり前であったのだろう。ちなみに私は吸わないが、父はゴールデンバットという安物のタバコとか、タバコと紙を別に買って巻いてすっていた。現在の観点で批判しても意味ない。主人公は東大卒のインテリである。主人公の声がエバンゲリオンの庵野監督であるのは、声が高く、当時のインテリの雰囲気を醸し出しているからだと言う。当時のインテリは寡黙であったのだそうだ。
知り合いの女子大学生は「風立ちぬ」に共感したという。私は映画などの芸術を理解するかどうかは、しょせん鑑賞者の知識、経験、思想背景によって決まると思う。この映画はとても深い。宮崎監督の深い思想、思いを素人がパッと見て分かるはずも無い。要するに分かる人は分かる、分からない人は分からないのである。何度も見なければ分からない、見ても分からないであろう。分かりすぎる映画「アイアンマン」と対称的だ。
飛行機雲の歌詞
「高いあの窓で あの子は死ぬ前も 空を見ていたの 今は分からない 他の人には分からない あまりにも若すぎたと ただ思うだけ けれどしあわせ」
ところで主人公の妻、菜穂子さんは結核で死んだ。それは小説「風立ちぬ」でもそうだ。私の好きな小説家梶井基次郎も結核で死んだ。抗生物質が普及するまでの日本は、多くの人が結核で亡くなった。昨今の知識人の中で、科学技術の進歩はよくないとか「文明災」などとしたり顔で言う人がいる。しかし自分は医学の進歩で長生きしながら、よく言うよと思う。
またFaceBookの議論の中で若い人が、貧しくなってもかまわないといったことがある。私はそれは昔の貧しさを実感していない、観念上の貧しさに対する感想だと思う。軽井沢のホテルに行かなくてもいい、家で子供たちと楽しく遊んでいればいい。しかし、極貧のなかで食べるものも無く、結核で死んで行くのが良いとは思わないだろう。私がこれを思うのは、今後の日本、いや人類社会がだんだんと、あるいは急に貧しくなって行くだろうという予感があるからだ。今が人類文明のピークだという感じがしてならない。
あっそれから飛行機オタク的見地から言うと、映画の中に出てきたドイツの天才的飛行機設計者ユンカース博士が反ナチだとは知らなかった。彼の設計したユンカース・シュトーカJU87急降下爆撃機は有名で、あのサイレンの音を聞いただけで敵は恐れたという。