「We love ふくしま プロジェクト」2014 レポート 3
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2014年9月25日(木曜)21:04に公開
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作者: 鳥居寛之
チームあいんしゅたいん 福島企画 '14/08 報告書
鳥居寛之 2014/9/17
私にとっては、福島県の住民と現地で直接対話する初めての機会となった。また、5月にも東電福島第一原発を視察しているが、その折には自由に見学できなかった避難指示区域を自分たちで巡る体験もできた。
大人数への講義形式の講演会とは違って、膝を突き合わせた対話型の集会では、相手の心の中の不安や知りたいと求めていることがらを知った上で直接的に話ができるので、皆さんよく納得してもらえるし、そのことをこちらも手応えとして感じることができることが実感として体験できた。
お母さん方や保育士の方々が、ここに住むと決めたからには大丈夫だと自分に言い聞かせているというものの、本当のところでは不安を心の奥に抱えていたことを知って、胸が痛んだ。放射線のリスクをじっくり解説することによって、安堵の顔を浮かべながら納得してもらえたことは私としても嬉しいことだった。
対話の導入としてのマッサージは女性相手にはとても有効だった。宇野先生の講義と坂東先生のツッコミは絶妙で、角山先生の実践的な演示が説得力を持っていた。学生さんたちの科学実験も子どもたちに大好評で、お母さん方が安心して講演会に集中する環境を提供できていた。
何万人という市民のなかで、たまたま出会えた、また興味をもってわざわざ聞きに来てくれたわずか数十人の人々だけが相手だったとはいえ、意義深い集会ができたという達成感を感じている。彼らを核にして、口コミでその納得感を周囲の人々にも伝えていってもらえることを期待したい。
そもそも皆さんは、リスクを感じつつも、そこで生活することを決めたからには、ある程度のリスクを受け入れることを覚悟の上で住んでおられるわけで、遠く離れた人が理想論的にリスクゼロを求めるのとは違うリアリティーがあった。南相馬である一人のお母さんが、いわき市に住む自分の母親のところに通うのに、現在のように迂回ルートで行くのは時間がかかるから、早く常磐道が通れるようになってほしいと発言したのはちょっとした驚きであった。(ただし、子どもを連れてドライブしたいかどうかは別かもしれない。)リスクを気にしつつも、生活上の不便さとバランスしながら生きて行く必要があるのだろう。この方は、既にかなりの知識をもっていたように思われた。講演会には知識を求めに来たのではなく、放射線のリスクは十分低いと知りつつも、専門家に直接相談することで、自分自身が納得して安心できるよう、太鼓判を押してもらうことを求めていたのだと思えた。
現地では市役所、商工会議所、保育所・小学校関係者の皆さんにいろいろお世話になり、現地の状況を聞いたりいろいろ議論したりといい機会になった。伊達の桃と南相馬の手料理の夕食はうまかった(現地の豊かな山菜や海の幸が使えないのも環境汚染の罪深さ)。福島でいろいろ活動されている人同士が知り合いとして繋がっていることも感じた。南相馬市立総合病院で活躍されている東大医科研の坪倉医師のことを、同病院から伊達での集会にいらしていた医師の先生が「今朝も会って来た」とおっしゃったのはむしろ当然としても、郡山市の品川市長もご存知で、「郡山の病院にも応援に来て欲しい」とか「農学部の研究を広く公表して欲しい」などと東大に対する注文も頂いた。放射線に関して、市長も驚くほどよく勉強されていることに感服した。
放射線のリスクコミュニケーションに関して今野園長先生や河内さんとの会話から分かったこととして特筆すべきは、武田中部大教授や児玉東大アイソトープ総合センター長が、現地福島県では不安を煽ることなく、ここにいて安全だという旨の発言をしていたということである。後者の方の国会答弁では、政府の対応を正すという熱血的な使命感によるパフォーマンスがあったのかもしれないが、リスコミにおいて考えるべき課題である。他にも、今野さんとの会話では、途中で30kmの区域を測る基準が東電の敷地境界から原発中心に移されるという変更があって自分の家が外れたとか、全町で避難した双葉や大熊と違って、南相馬では警戒区域、計画的避難区域、そして自分たちのように補償の内容が違う域外の住民と3つに分断された結果、住民がひとつになれないとか、高額の補償金を手にしてしまった人の中には、人生の生き甲斐を見失ってしまった方も見受けられる、といった話が印象的だった。
都会に住む者にとって、田舎の古き良き伝統的な生活スタイルはちょっとした懐かしい体験であった。その日は折しもこの夏一番の暑さで、自然の風涼しというわけにはいかなかったが、普段からクーラーに頼り切っている生活を顧みることとなる。翌日立ち寄った郡山布引高原風力発電所の見学と合わせ、期せずしてエネルギー問題を考える機会ともなった。
行程の途中で、避難指示区域に立ち入り調査ができたことは、いい経験であった。アレンジしてくれた角山さんに感謝したい。ゲートを通らないと一時帰宅できない住民の思い、人影のない町中、作付けされず荒れ果てた田畑、至る所に広がる汚染土の仮置き場。そうでなければ田舎のきれいな山里(ただし蜂やブヨは勘弁)であったはずの失われた土地と、とても全部は除染できようもない広大な面積の森林。原発事故による放射性物質の環境汚染が広大な地域を人々から一瞬で奪うことを感じた。ダッシュ村は知らなかったが、NHKの汚染地図の番組で有名な浪江町赤宇木の集会所(現在 7μSv/h)に行けたことは感慨深かった。
なお、行程中の空間線量は最も高かった大熊町夫沢(福島第一原発周辺)でも12μSv/h程度であったが、東大で一緒に放射線テーマ講義をしている環境分析化学の小豆川氏によると、それは道路沿いだからであって、田畑の中に入って行けば、今でも50μSv/hを超えるような地点はいくらでも見つかるとのことであった。(ただ、そのような調査がしたければ、朝から夕方まで丸1日使って、かつ対象地域を双葉や大熊に限って徹底的に調査をする必要があるとのこと。)福島第一原発視察のときも、視察バス中で観測した 100μSv/h を超える最大線量の地点が、草が生えたままの坂の途中であったことを考えても、原発周辺地域の、汚染土壌や汚染された草木がそのまま残っている土地で線量が高いことを物語っている。
以上