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マイウエー My Way

詳細

「マイウエー」と言えばフランク・シナトラ、フランク・シナトラと言えばマイウエーというほどの、シナトラのヒット曲である。この曲は本来はフランス人歌手クロード・フランソワの歌っていたシャンソンである。それをアメリカの歌手ポール・アンカが聞いて、その権利をもらい受け、フランク・シナトラのために英語の歌詞を作った。

歌の内容は死が近い男性が自分の生涯を振り返って、人生を後悔せずに自分のやり方でやりきったというものである。

My Way

And now, the end is near

And so I face the final curtain

My friend, I make it clear

I’ll state my case, of which I’m certain

I’ve lived a life that’s full

I traveled each and every highway

And more, much more than this, I did it my way


Regrets, I’ve had a few

But then again, too few to mention

I did what I had to do and saw it trough without exemption

I planned each charted course, each careful step along the byway

And more, much more than this, I did it my way


Yes, there were times, I’m sure you knew

When I bit off much more than I could chew

And it all, when there was doubt

I ate it up then spit it out

I faced it all and stood tall and did it my way


I’ve loved, I’ve laughed and cried

I’ve had my fill, my share of losing

But now, as tears subside, I find it all so amusing

To think I did all that

And may I say, not in a shy way,

“Oh, no, oh, no, not me, I did it my way”


For what is a man, what has he got?

If not himself, then he has naught

To say the things he truly feels and not the words of one who kneels

The record shows I took the blows and did it my way!


My way!

フランクシナトラは 1915年ニュージャージー州のホーボーケンという町でイタリア系アメリカ人の家庭に生まれた。1940年代に入り人気が出た。一時低迷したが、1950年代に入り復活した。シナトラはケネディ元大統領一家と親しい付き合いをして、その選挙運動を応援したのだが、その際にマフィアの力を借りたといわれている。ケネディ大統領とマフィアの関係が FBI長官の知るところとなり、のちにケネディの弟のロバートが司法長官になった時に、ケネディ大統領とシナトラの関係を断ち切ろうとした。そのことがケネディ暗殺の原因であるという説もある。ちなみにロバートも暗殺されている。シナトラはのちに、民主党ではなく共和党のニクソン大統領を応援した。シナトラは最初の妻と離婚した後で、女優のエヴァ・ガードナーやミア・ファローと短い結婚生活している。シナトラは4度目の妻にみとられて 1998年に亡くなった。

それではフランク・シナトラ自身の歌をどうぞ。これは1971年にロンドンのロイヤルフェスティバルホールにおけるライブで収録されたものである。シナトラのマイウエーは YouTube を探すと色んなバージョンがある。その中でもこれは最盛期のころのシナトラであると思われる。晩年になってもシナトラは、いい声をしているがやはり衰えは隠せない。歌っている歌詞を聞いてみると、時々微妙に異なっている。アドリブなのであろう。

次は作詞者のポール・アンカがフランク・シナトラとデュエットで歌っているものである。もっともシナトラは声だけの参加である。ポール・アンカは My way というところを His way と歌っている。

この曲はたくさんの歌手にカバーされている。20世紀のアメリカを代表する男性歌手といえば、フランク・シナトラ、エルビス・プレスリー、マイケル・ジャクソンを上げることができるだろう。

ここではエルビス・プレスリーを取り上げよう。筆者は個人的にはエルビス・プレスリーは好きではなかった。音楽を聴いて好きでなかったという意味ではなく、単にあの髪型とか衣裳とか、ロックンロールとかそういったものが受け付けられなかったのである。つまりエルビス・プレスリーを聴いたことがなかったのである。食わず嫌いといえよう。

今回マイウエーを調査している中で、エルビス・プレスリーに出くわした。聴いてみると非常に良いということが分かった。家内に聴かせてみたのだが、全く同意見であった。何人もの歌を聴かせてみて、もう一度聴きたいといったのはエルビス・プレスリーである。他の歌手は、高い声で聞かせるが、プレスリーの声はかなり低く豊かである。小泉元首相がプレスリーのファンであったという話は有名であるが、筆者は「なんとミーハーな」と思っていた。しかしこうしてプレスリーを聞いてみると、筆者の思い込みが偏見にすぎなかったことが分かった。

エルビス・プレスリーは 1935年生まれのアメリカのロックンロール歌手である。1977年心臓発作により 42歳で急逝した。プレスリーはキング・オブ・ロックンロールと呼ばれている。見た目とは違いまじめな性格であったようだ。麻薬撲滅に熱心であったニクソン大統領に会って麻薬取締官の資格を与えられた。人は見かけによらないものだ。プレスリーは酒もたばこもやらないが、その代わりにコーヒーや炭酸飲料、ピーナツバターとバナナのサンドイッチが大好きで、それで肥満化したといわれている。

プレスリーのバージョンもいろいろあるが、やはり太った晩期のものよりは初期のものの方がよい。それではプレスリーの1973年のマイウエー。

次は英国の歌手トム・ジョーンズを紹介する。トム・ジョーンズは 1940年英国の南ウェールズに生まれた。そしてトム・ジョーンズは何と2006年に大英帝国ナイト位を授与されている。だからサー・トムなのである。これはさすがに調べるまで知らなかった。筆者は昔、トム・ジョーンズの日本公演のテレビを見たことがあるが、日本の女性ファンが熱狂していたのが印象的であった。主として 1970年代に活躍した。とてもパワフルな歌い方をする。というわけでトム・ジョーンズは偉くなったのだが、2009年 69歳の時に歌ったのが次のマイウエーである。相変らずパワフルである。筆者もこの元気にあずかりたいものだ。

¥次は前回も「慕情」で紹介したエンゲルベルト・フンパーディンクである。フンパーディンクは 1936年生まれの英国の歌手である。父親が駐屯していたインドで生まれた。フンパーディンクはもはや後期高齢者入りしているはずだが、まだ元気で演奏活動を続けている。大したものだ。やはりこの元気にあずかりたいものだ。

 

ここで日本人も取り上げておく。日本のフランク・シナトラこと加山雄三である。これがなかなかよい。

 

   
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