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動き始めた人工頭脳計画・・・神を作るか、悪魔を生み出すか?

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アメリカとヨーロッパでは人間の頭脳を模したスーパーコンピュータを作り、人間の頭脳の働きを研究しようとしている。これはうまく行けば、従来のノイマン型コンピュータのボトルネックを超える、新しいタイプのコンピュータを作り出すと期待されている。果たしてこの計画は成功するか?成功したとしても、それは人間に役に立つ神のようなものを作り出すのか、あるいはフランケンシュタインのような存在を生み出すのか?


人類文明の崩壊をどう救う?

先に紹介したローマクラブの未来予測では、人類文明は21世紀の半ばまでに崩壊する。もっと具体的には2020-30年代にピークを迎えて、その後は崩壊することを予測している。

しかし、この種の予測の常であるが、現状からの延長である。つまり現状が質的に大きく変わらないと仮定しての計算である。もし大きなパラダイムシフトが起きたら予測は破綻するかもしれない。

もっとも、食糧や工業の生産性が劇的に増大するとか、埋蔵資源が非常に多い事が判明する、といった類の変化は既にモデルに組み込まれている。それらのことがあっても、崩壊の時間が多少遅くなるだけで、人口のオーバーシュートが大きくなり、崩壊はさらに一層激烈になることが分かっている。

近代技術文明の崩壊を回避するには、この程度の技術革新ではだめで、もっと劇的なパラダイムシフトが起きなければならない。それが人間の頭脳の解明であるかもしれない。人間の頭脳の神秘を解明することができれば、人類を超える超人類(Transendental man, Transhuman)を作り出せるかもしれないし、その存在が人類を救ってくれるかもしれない。別稿で述べるカーツワイルの超楽観的思想はこのようなものだ。人類は人工知能と一体化することにより、人類自身が神のような存在になることをカーツワイルは夢想する。

あるいはこれもまた別稿で述べたように、ヒューゴ・ガリス(Hugo de Garis)の 超悲観的思考もこれに基づく。ガリスの考えでは 人間の知能の一兆倍の一兆倍の能力を持つ神のような存在を、21世紀の後半にはつくことが出来る(TechnoCalypse)。このようにして人間が作り上げた神のような存在が、人間を絶滅させてしまうかもしれないという。

いずれにせよ、これらの考えのもとにあるのは、既に述べた「技術的特異点」が21世紀の半ばに起きて、巨大なパラダイムシフトが起きると言う予想である。


ノイマン型コンピュータのボトルネックを超えた脳

現状のコンピュータは、いわゆるノイマン型と言って、超えることができないボトルネックが存在する。しかし一方、その計算能力は極めて大きい。例えば京速コンピュータは一秒間に一京回の計算をすることができる。一方、人間はたかだか一秒間に一回であろう。という事は京速コンピュータの計算速度は、人間の一兆倍の一万倍も速いということになる。

ところがパターン認識のような問題になると現状のコンピュータは人間に全くかなわない。人間の脳は2リットル程度の体積を占め、その使用するエネルギーは20ワット程度である。しかし人間のパターン認識と同等のことができるスーパーコンピューターを現状のアーキテクチャと技術で作れたすると、その大きさは巨大な工場の程度になり、その使用エネルギーは原子力発電所の発電能力のかなりの部分を占めるであろう。

そこで人間の脳の神秘を解明することにより、コンピューターに人間の脳をシュミレートさせて、はるかに強力なコンピューターを作ろうとする計画がある。もしそれが成功すればその可能性は計り知れない。私の感覚では、これは人類に取って核爆弾の発明、あるいは原子力発電の発明に匹敵するようなものであると思う。さて鬼が出るか蛇が出るか?

そのようなものを作るべきでないという考え方も当然存在する。科学技術は悪であると言う思想である。それで全人類が楽しく平和に暮らしていけるならそれもよいであろう。しかしローマクラブの予測を信じるとすれば、人類はこのままいけば座して滅亡を待つのみである。さぁどうするか?後で述べるようにアメリカとヨーロッパは、既にこの計画に着手しているのである。

人間の頭脳を模したコンピューターとはどのようなものか。例えば空を飛ぶことを考えてみよう。人間は昔から鳥のように自由に空を飛ぶことを夢想してきた。初期の研究者は、鳥とそっくりな羽ばたき飛行機を作ろうと考えたが、ことごとく失敗した。それに対してライト兄弟は、鳥とは全く違う原理を持つ、つまり固定翼とエンジンを持つ飛行機を作り上げ、空を飛ぶことに成功した。それ以来の航空機の進歩は目覚しいものがある。マッハ3の速さで上空30 kmまで上昇する飛行機や、数百人の乗客を一万キロメートル運ぶことができる飛行機を人類は作り上げた。鳥には全くできない芸当である。

しかし現状の航空機は木にとまることができないし、小鳥のように素早く動くこともできない。現状のコンピューターは、この例えで言うならば航空機である。人間の頭脳のように働くコンピュータを作るという事は、いわば鳥のように飛べる飛行機を作ることに相当するであろう。


人間の心の二重過程理論

これも以前の稿で人間の心の二重課程理論について説明した。人間の心には、標語的に言えば理性と感性という二つの思考回路がある。理性は言葉を用いた合理的、論理的思考であり、前頭葉が担っている、人間の脳の一番新しい部分である。

それに対して感性は、言葉ではない直感的思考をになう部分であると考える。パターン認識をするのもこの部分である。この部分は理性よりは古い部分で、感情などを担う。感性は悪くすると、人間の非合理的思考、錯覚、信仰、迷信などのもとである。しかし天才の直感的思考というのも、これに起因している。あるパターンのわずかな情報から、背後に潜む膨大な(正しい)情報を引き出すのが天才である。もっとも普通人では正しい情報ではなく、錯覚、幻想、妄想を生み出すことも多い。それが過度になった場合は精神疾患である。天才と狂人は紙一重というが、正にその通りである。

思考法に対するそのような大胆な二分法を採用できると仮定すると、従来のコンピュータは理性の部分に対応するということができる。それに対して、感性とか直感力を持ったコンピュータができたとすれば、従来の人工知能ではない、真の人工知能が作られるかもしれない。つまりノイマン・ボトルネックを回避したコンピュータである。そのようなコンピュータを作るには、人間の頭脳を研究するのが近道であろう。

実際にそのような方向の研究が、アメリカとヨーロッパで進んでいる。本稿では、それを解説しよう。


IBMのSyNAPSE計画

工知能ワトソンを作ったIBMが、それとは全く別な方向から人工知能を開発している。ワトソンは基本的にはノイマン型コンピュータに膨大なデータを教え込むと言うものである。それに対して人間の脳を解析することにより、人間のように考えるコンピュータを開発しようとする計画はSyNAPSE(Systems of Neuromorphic Adaptive Plastic Scalable Electronics)というものである。

SyNAPSE計画に関するIBMのホームページはここ

この計画にはアメリカ国防省のDARPAが予算を出している。モドハ(Dharmendra Modha)に率いられたIBMのグループと、それにいくつかのアメリカの大学が関与している。

研究計画はフェイズ0から4まであり、現在はフェイズ0と1が終わっている。フェイズ0では、14万7,456のコアと144テラバイトのメモリを持つIBMのスーパーコンピュータ、ブルージーンを用いて猫の知能をシミュレートする計画であった。

フェイズ1では、1600万ドルの予算を使い、スタンフォード大学、ウイスコンシン大学、コーネル大学、コロンビア大学、カルフォルニア大学などの協力を得て、電気的なシナプスと記憶回路を持つ脳チップのプロトタイプを作った。

IBMはその成果を既に発表している。このチップは生物的なものではなく、IBMのPower7の技術をもちいた通常のシリコンチップである。このチップは脳において、記憶、計算、コミニュケーションを行うためのシナプス、ニューロン、軸索の役割を果たすものである。

一つのデザインでは36万2,144個のプログラム可能シナプスを持ち、もう一つは6万5,536の記憶シナプスを持っている。IBMはすでにこの比較的簡単なチップを使って、ナビゲーション、機械視覚、パターン認識、連想メモリなどの研究を行っている。

国防省はフェイズ2の開始のために3100万ドルの予算を承認した。フェイズ3ではIBMは100万のニューロンを持つチップを作り、それを複数個用いて1億のニューロンを持つ人工頭脳を設計しようとしている。フェイズ4では、1億のニューロンを持つチップをつくり、100億のニューロンを持つ人間レベルの人工頭脳を作ろうと計画している。IBMはそれを用いてロボットを作ろうと計画している。


ヨーロッパの人工頭脳プロジェクト(Human Brain Project)

いっぽうヨーロッパではHuman Brain Projectを開始しようとしている。その前段階としてBlue Brain Projectというものがある。これはスイスのローザンヌにあるスイス連邦工科大学の脳精神研究所(Brain and Mind Institute)を率いるヘンリー・マークラム(Henry Markram)が中心となり、2005年にIBMとの共同研究として開始された。

最初の目標は新皮質カラムのコンピュータ・シミュレーションである。新皮質カラムとは、思考を司る大脳新皮質の最小単位で、大きさは直径が0.5ミリで高さが2ミリ程度で、人間では約6万個のニューロンからできている。ネズミの場合はもっと簡単で1万個のニューロンからできている。ネズミの脳はそのようなカラムが10万個ある。人の場合は2百万のカラムがあり、それぞれが10万個のニューロンを持っている。

IBMのスーパーコンピュータ、ブルージーン(Blue Gene)の上で。MPIベースで動くNEURONとよばれる新皮質カラム・シミュレーターを動かせる。これはコンピュータ科学で今まで知られてきた、いわゆるニューラルネットワークではなく、より正確な神経細胞のモデルである。計画の初期の目標は2007年に完成したと報告された。2011年までに100個のカラムと計100万のニューロンからなるケースがシミュレートされた。

計画では2014年までに1億個のニューロンを持つネズミの脳、2023年までに1000億個のニューロンを持つ人間の脳のシミュレーションを行う予定である。

将来的には2つの方向がある。

1 分子レベルのシミュレーション
1 カラムのシミュレーションを簡単化して、全カラムを含むシミュレーションを行う。

プロジェクトの費用は最初はスイス政府が支払った。IBMはそのスーパーコンピュータを安い値段で提供した。現在EUの未来創世技術(Future and Emerging Technplogies=FET)に応募しており、それがうまく行くと10年で1000億円の予算がつく。決定は2012年後半にくだされる予定である。その場合は人間脳プロジェクト(Human Brain Project)となづける。

ブルー・ブレイン・プロジェクトに関してはマークラム自身が、2009年にTEDで講演している。日本語の字幕もあるので、そちらを参照のこと。

YouTubeでマークラムのHuman Brain Projectに関する最新のTED talkが見つかった。残念ながら、こちらは日本語訳は見つかっていない。

ここでマークラムはヨーロッパ主体のプロジェクトについて解説している256の研究グループ、120の研究所、20の会社、24の国、予算は10年で約千億円を使って、 2013年に開始して期間は10年である。 目標はニューロ・モルフィック・チップとよぶ、全く新しいタイプのコンピュータ・チップを作ることである。これを作る技術はある。必要なのは青写真である。これが出来たら今までのコンピュータ・チップと合わせることにより、きわめて強力なコンピュータが出来る。


マークラムとIBMの確執

ネットを調べていると面白い記事があった。2009年にIBMが猫の頭脳程度のシミュレーションに成功したと発表したことに対して、Blue Brain Projectのリーダーであるマークラムは、それは詐欺だと言ったのである。IBMのやったことは、猫の知能どころか、蟻以下だと言うのだ。IBMに公開の手紙を送りつけて、しかもそれを雑誌で公表した。その英語の記事はこちら

IBMのやり方は、基礎の部分の数学方程式を解いていないし、頭脳のシミュレーションになっていないというのだ。マークラムの手法はボトムアップである。つまり一番基礎的なところから、積み上げていこうというのだ。IBMはそれをやっていないという批判である。

実はIBMのグループは、ゴードン・ベル賞をもらっているのだが、それにたいしてもクレームを付けている。審査委員をだましたというのだ。そもそもIBMのグループはレフェリー有りの論文を出さずに、記者発表をすると文句をつけている。マークラムは以前には、IBMと共同研究していたのだが、IBMの発表を契機に、関係を断ち切ったという。

以上はネットから知り得る事実だが、私の感触としては、マークラムは自分こそが長年、頭脳を研究してきたという矜持もあり、IBM のグループは科学者ではなく素人だと思っているのだろう。また自分たちは2014年にネズミの頭脳をシミュレートすると発表しているのに、IBMがネズミより数倍賢い猫の頭脳を、すでにシミュレートしたと発表したので、頭に来たのであろう。

またEUの委員会がマークラムのプロジェクトに資金投入するかどうかを決めるのにIBMの発表は邪魔になると思ったのであろう。「どうして二番では、いけないのですか」とか「米国が開発しているなら、なんでこちらでもやる必要があるの?」などという、どこかの大臣みたいなのが現れることを恐れたのかもしれない。

しかし心配もある。マークラムの研究にはスーパーコンピュータが必須である。IBMを敵に回して大丈夫なのだろうか。世界には日本は別とすれば、スパコンメーカーはIBMとクレイぐらいしかない。するとほとんどクレイだけが選択肢になるので、値引き交渉がやりにくくなるであろう。

この論争の評価は、この種の研究の目的が、脳自体を研究することにあるのか、脳を参考にして、よりよいコンピュータを作ることにあるのかによってことなるだろう。もしIBMのやり方がだめなら、よいコンピュータチップは生まれないはずだ。だからマークラムにすれば、黙ってIBMが失敗するのを見ていれば良いだけだと思うのだが。それがここまで激烈に批判するのは、やはり金が絡むからだと思わざるを得ない。

さらには学界にはIBMとマークラムの両者に対しても批判的な意見がある。人工知能はいままで何度も夢を見ては、失敗してきたというのだ。つまりコンピュータで人間の脳をシミュレートするなどは、言うのは簡単だが、ほとんど不可能であるという意見だ。

その一方で、カーツワイルなどの未来学者、ガリスのような人工知能研究者は、壮大な夢を見ている。IBMとHuman Brain Projectはその基礎付けを行おうというものだ。なにかブレークスルーを期待したい。

   
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