北澤先生のお話の論点
1)検証レポートについて
結果論ですが、「安全神話による自縄自縛状態が推進・規制両側に生じていたこと、そしてこのことが安全対策を妨げていたこと」「ここ約30年間の人々が責任ある立場についていた人々がほぼすべて『自分一人が問題点を指摘して流れに竿をさしても無駄だと感じていた』ことを述懐していること」安全委員会に「30分以上電源喪失が起きた場合のことは想定しなくて良い」という指針が存在していたこと(大前氏の指摘)。この問題に対する民間事故調の答えが、上記、および「当時は東電の力強く、このような指針をつくることになってしまった。その後も、規則を変えようと言い出せる雰囲気になかった」という保安院などの要職を務めた元経産省高官の声があること。炉メーカーと電力会社の間に「安全性向上のための対策」という言葉はタブーであり、仕様書などから抜かれてしまっていたこと。安全対策がとれなかったために、ベントフィルターがつけられない、放射線レベルが高くならない遠方よりベントができるようベントバルブのシャフトを遠くまで伸ばすことができなかった、といった危機対策が勧められない状態が生じていた、といった状態。
この「空気を読む馴れ合い社会」をどうやって打破するのか。第4号炉が最大の危機を与えていたことの周知。10万人の避難が3000万人以上の避難であり得たこと。外国人だけがなぜ日本脱出を図ったのか。その危機がある偶然が二つ重なることで回避されたことをどう評価するか。その危機は数年分以上の使用済み燃料を一つの炉の中、それも炉の上方プールに貯蔵していたために、余震などでプール破壊の危険があったこと、放射能漏れの源としては使用済み燃料の方が炉内の燃料棒よりさらにレベルが高い可能性があること。原子炉事故はたとえ起きてしまっても、それを小さく抑える努力が決定的に重要。規制組織の問題や、情報操作の問題がさらに重要な政治行政上の問題としてあります。
2)低線量放射線問題
低線量放射能問題は私は一市民としての感想しかありません。ただし、次の問題に答えを持っている必要があると思います。現実の福島市などで起きている難しい問題だからです。自分の家に「この物質は許容レベル〇〇まではひとに害を与えない。だからそれ以下のレベルなら撒いてもいいだろう、といって誰かが放射能を撒き始めた時、あなたはどうしますか」という問いに答えねばならないと思います。正当防衛として立ち上がって撃退するか、それとも、そのレベルまでは容認するか。不幸にして撒かれてしまった。あなたの家の価値は「風評被害」によって、8割安になってしまった。あなたは損害賠償を要求する権利があると思うか。毎年、たとえ放射能が自然レベルであっても福島県の人口200万人程度であれば100人程度の小児がんが発生します。現在の科学ではその発症が放射線によるものであったか、そうではなかったか、判定することはできません。妻は「だからあの時に引っ越そうっていったじゃない」と言って悲しい顔をしてあなたを見つめます。あなたは自信を以て科学者として何かを妻に向けて言わねばなりません。何といったらよいのでしょう。逆に、国はこのひとたちにどう対応すべきでしょうか。文科省の人たちは日々この問題にさいなまれています。ウクライナの人口統計ではこの人口5000万人の国で、チェルノブイリ以降、死亡者数には変化が見られず、出生者数が減っていることが示されています。このことは子供を産む年齢層が国から出て行ったことを意味しているように思われます。図面は添付しました。科学は科学として厳然と「感情や風評を交えることなく」真実のみをきちんと提供すべきと思います。しかしながら、政治は現実に対処できなければならない。たとえば、200万人に一人あたり1000万円ずつ補償したとすると10兆円かかります。一方、除染活動を続けると同じく10兆円近くがかかることが試算されています。どちらがいいのか。起こってしまった政治的問題には、「正解」がない場合が多い。これを科学的に「正解がある」と考える自信は私には現在のところありません。しかしながら、にもかかわらず、政治は決着を必要とします。そして科学者に答えを要求します。「科学+社会的価値」という決断が必要になっていると思います。
一般論として、原子力はだれもが「やめられるものならやめたい。しかし、やめたら大変なことになるのではないか。」というのが多くの人の見方ではないでしょうか?日本では「経済が大変になる」というのがメインの話題です。ドイツでは「廃棄物が子孫に負の遺産になる、世代間衡平を倫理的に考えるべき」という議論でメルケル首相が委嘱した倫理委員会が結論をだし、その答申に基づいて、たとえ、経済的に大変なことがあっても国として産業移行を進めつつ連邦銀行の協力を仰いで10年間の間に脱原発を図ると決定されています。週極ではどうか、アメリカでは。これらのことを調査するために、学術会議の「エネルギー政策の選択肢分科会」は昨年9月に報告書をまとめました。残念ながら学術会議の広報力ではなかなか内容をしてもらうことが難しいのです。選択肢6つのうちもっともラジカルなシナリオは直ちに脱原発し、2020年までに25%温暖化ガス削減を達成する場合、逆に、原子力比率を向上し、電力の5割を賄えるようにするケース、の二つです。前者だとただちに年間5兆円程度の投資を再生可能エネに対して始めねばならなくなることが報告書事務局試算で出ています。日本の化石エネ輸入が20兆円を超えていますので、国産エネに切り替えていくといずれこの20兆円が財源になることが考えられます。一方で、どの程度の国民負担なのかについては年間5兆円というのは一人当たり5万円。ただし、投資をするのは現在投資余力のあるひと。日本はいま毎年20兆円程度を海外に投資しているので、その一部を国内とうしに向けさせることが必要ですが、それを可能にするには海外投資より国内投資を有利にする必要。その条件は国内投資が儲かるようにする必要。そのやり方はたとえば現在論議されているFITなどがあります。このような社会経済的議論も科学者の中に広がっていくことが有効かもしれません。
北澤 宏一