シンポジウム報告 その2
シンポジウムに出席された、あいんしゅたいん会員である日下和信さんからいただいたシンポジウムへのコメントを、ご本人の許可を得て、ここでご紹介させていただきます。
日下会員からは、「長く科学教育に関わってきた“授業屋として”一筆書かせていただきます。実際の実験教室は、ごくわずかしか見学しておりませんので、違った視点から書かせていただきます。」ということです。
先ずは、このシンポのタイトルから取り上げさせていただきましょう。
「子供たちから学ぶ・・科学としての科学教育実践編」。「子供達から学ぶ…」このタイトルがありきたりながら、実質が伴えば、凄い意味を持ってきます。幼児教育や初等教育では、ついつい「決まり文句としての子ども達から学ぶが闊歩しまして」、指導者側にフィードバックしない授業が横行するのですが、名誉教授先生もこの「親子実験教室」からあふれる好奇心で学んでいただけたようで、まことに慶賀なことでございます。それは、“まさに大人も子供も学べる実験教室になり得ていた”と言って良いわけです。ただ、この環境をこの後もずっと維持していくことは、そう簡単でないと思われるわけです。しかし、さすがに京都大学が関わる実験教室として、受講者(親子)の感想を取り、それを分析し、その結果をフィードバックされようという姿勢の中に、この試みの戦略性を発見いたしました。有りそうでなかなか見られない取り組みなのです。貴重な取り組みで、大いに期待したいところです。
そして、“知らないことは、あっさりと知らないと表明される”姿勢に、とても誠実で信頼感を抱かせられます。まことに当節においては、貴重な心のバックボーンかと思われます。ありがとうございます。このプロジェクトに関わる人間全てが、この姿勢を共有したいものでございます。
さらにタイトルから話題を引き出しますと、「科学としての…科学教育」という言葉がここで何故使われてきたかです。このタイトルに大いなる皮肉とその慧眼をたたえたいと思います。ちょっと考えてみてください、凄い感性と言いますか、従来の科学教育に対する「ほのかな疑問を持たれてきているのではないかと推測するのです」。“今の科学教育は、科学になってないぞ”、「科学教育の更なる科学化」を指向するという決意表明と考えるのは、勘ぐりすぎでしょうか。
実は、このセンスは、「科学教育業界では少し異端気味の」私からすると、スゴイのです。良いとこ突いてるタイトルなのです。誰でも知っている単語ですが、「理科」と「科学」という言葉が、曖昧に使われてきた業界が「理科教育業界」で、ある時は「理科教育」といわれ、またある時は「科学教育」と言われてきました。そして、「遺伝子DNAの発見で学問が根本的に変わってきた生物学」を例外に、この業界の素地は、“残念ながら明治の百年前から、そう進歩していない”のです。
理科教育では、何を教えるのか。科学教育では、そこをどう違えて教えるのか、こんな原則的な議論が為されないまま、極端に言えば、明治の頃の「授業項目を踏襲してきた」のです。即ち、“科学”としては、「何をこのように教えたときに、科学を教えたと言えるのだ」というメルクマールがハッキリとしていないのです。「はやぶさ」が無事帰ってきて科学トピックとしては、大いに盛り上がり、科学教育の土壌には、大きな刺激と肥料が与えられたでしょうが、「トピックは、教育サイドの位置付けでは“投げ込み教材”相当なのです」。とりわけ、科学知識は、体系性、順序性が大事ですから、一時間だけのトピックの紹介だけでは、大概の場合、体系性に触れないままになるでしょう。それは、一回だけの実験教室の場合にも言えることです。“投げ込み教材”を科学にするのは、よほどの力量ある教師でしかできないのです。(そうは言っても、日本の津々浦々で投げ込み教材の授業の花盛りなのです。科学の根本がないがしろになってしまっているためなのです)
日本の理科教育・科学教育に関して、教材の選定及び改廃に関して、キチンと議論された結果が残されていません。文科省の内部で議論され、十年に一度という周期で、指導要領が改訂され、それに対応して指導内容が、要領に準拠して、教科書検定という通過儀礼を経て変わってきたと言うだけなのです。新しい指導要領が出ても、「前の指導要領のここが時代に合わなくなったとか、その他の理由なりは、表の議論にならないし、印刷されることもないのがこれまでの改訂作業でした」。思い返せば、昭和56年だったでしょうか、ソ連がスプートニクを米国に先立って打ち上げて、米国はスプートニクショックで「科学教育の大改革運動を展開しました」。その成果が、物理では、「PSSC物理」でしたね。この頃、日本にも科学教育の改革運動が盛り上がりかけたのですが、如何せん、文部省の専決事項だと言わんばかりに秘密裏に進められる「指導要領の改訂」でその熱は、やり場を失ったことが思い出されます。
このような状況を書き出しますと、「まさに出来るだけ早い時期に“科学教育の科学化”が必要なのです。科学の内容が何で、そのためには、どの年齢層の子供にこんなことを学ばせようという「日本版?科学的学習プラン」が必要なのです。それを視野に入れた「親子実験教室」であってくれれば、私としては、こんな嬉しいことはないのであります。
長くなりましたが、思いを書かせていただきました。
日下教育研究所 日下 和信(あいんしゅたいん会員)