広島・長崎から70年 ~パグウォッシュ会議勉強会にいらっしゃいませんか~(ブログ その120)
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2015年4月22日(水曜)16:31に公開
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作者: 坂東昌子
1.ビキニ水爆事件から始まったラッセル・アインシュタイン宣言!
1954年3月1日、ビキニ環礁での水爆実験で、マグロ漁船・第五福竜丸をはじめとして多くの漁船が死の灰を浴び、日本中が再び放射線の脅威にさらされたことは、ご存じの方が多いと思います。このときは、広島型原子爆弾約1000個分の爆発力(15Mt)をもつ水爆実験でした。そして半年後、久保山愛吉氏が亡くなられました。当時、湯川秀樹先生は読売新聞に次のように書いておられます。
「死の灰を浴びた患者の一人久保山愛吉氏の容態が急変したという報道をきいて、お気の毒とか、悲しいとかいう表現ではつくされぬ暗然たる気持ちになってしまった。死の灰と言う不吉な言葉が不幸にして適切すぎるほど適切であることがはっきりとわかったのである。恐ろしいと思うのは当たり前の人間の気持である。今すぐにでも原水爆は禁止してしまってほしいと思うのは当たり前の人間の気持ちである。しかし現実はすぐにはそうなってこない。当たり前の人間にとってぜんぜん議論の余地のないほど当たり前のことが実現されないということは実に不思議なことである。」(1954年9月2日読売新聞 湯川秀樹寄稿文『恐ろしいこと』冒頭文)
実は、原爆の恐ろしさを世界中の人々が知ったのはこの時だったのです。というのは、広島・長崎のキノコ雲の下の惨状は実はそれまで公開されていませんでした。「ラッセル・アインシュタイン宣言」が出たのもこの直後でした。核兵器の発達による人類の存続への危険を世界の科学者と政府に訴えたこの宣言は、ラッセルと死の間際にあったアインシュタインから世界の著名な科学者に届けられました。湯川秀樹・朝永振一郎博士も加わっていました。この宣言がもとになって、1957年7月にカナダのノヴァ・スコシアの小さな漁村、パグウォッシュで、放射線の危険性、核兵器の廃絶から戦争廃絶へ、科学者の社会的責任について、世界各国から集った科学者たちが討論しました。そして、この第1回パグウォッシュ会議には、日本から湯川秀樹博士・朝永振一郎博士・小川岩雄博士の3人の物理学者が参加しています。世界各国から集まった22人の科学者のうち17人は物理学者でした。それから今日まで、社会科学者も含めて、毎年この会議は続けられています。こうした活動が評価され、この会議は、1955年に会長のロートブラットとともにノーベル平和賞を受賞しました。
2.第55回広島大会から
10年前、2005年には、最初の原爆の犠牲となった広島で第55回パグオッシュ会議年次大会が開かれました。この会議でいくつか感じたことがありましたが、それはおいおいお話しするとして、ここでは、この会議長のロートブラット博士のメッセージがとても印象に残っています。博士はすでにご病気で出席できず、メッセージを託されたのです。そこに、「これは野原の中に立っている1本の木の下にいるようなものだ。雷が一番落ちやすいのは、この木の下なのだ。」といわれ、「核の傘」は最も危険なことだといわれたのです。博士はまた、「日本は唯一に被爆国だからではなく、憲法9条のある国だから貴重なのだ」とおっしゃったということを、今年(2015年)2月のサロンで、第65回パグウォッシュ長崎大会組織委員長の鈴木達治郎先生から聞きました。ロートブラット博士は、広島大会の後まもなく8月31日に他界されましたが、後々まで残る言葉を残されたと今も感銘をうけます。
実は、私はこの時初めてパグウォッシュ会議に参加したのでした。湯川研究室に育った私でしたが、パグウォッシュ会議自身は非公開で議論するところでした。それは東西の冷戦のなかで、こういう対立を超えた集まった科学者がひざを交えて本音で話し合えるにはとても公開ではできなかったからでしょう。というわけで、私には当時はパグウォッシュ会議は遠い存在でした。しかし、今か、公開討論会も開かれており、それに兄より「ヤングパグウォッシュ」といって若者が主体で行う会議も連続して開かれる時代になりました。その意味では、とても身近になってきたと思います。
10年前、参加するからにはしっかりまわりの仲間たちと話し合い、今私たちに何ができるのかを考えてみたいと思いました。そして、メッセージを皆さんの署名を集めて送りました。この詳しいお話は別途ご説明します。
3.第65回長崎大会へ
そして、10年目の今年、今度は長崎の地で開かれることになりました。冷たい戦争が無血で終結し、東西の壁が解消してやっと戦争の危機が去ったかに見えた国際情勢も、9・11テロを含めて、新たな危機が憂慮される今日です。また、福島第1原子力発電所の事故後、新たな放射性物質が拡散し多くに人々がいまだに非難せざるを得ない状況のなかで、さまざまな問題が深刻になっています。
11月に開かれる会議では、ラッセル・アインシュタイン宣言の今日的意義や軍縮、人権と国際安全保障、そして、テロの脅威など新たな危機とどう対処するか、核の脅威から人類をどう守るかなど、話し合われます。長崎会議も、正式出席者は世界各国からの選ばれた招待者が出席しますが、さら磐を広げて、全体会議はほとんどが公開ですから、傍聴に行くことができます。このような機会に、若い皆さんとともに、今抱えている問題を掘り下げ、一緒に議論する勉強会を準備中です。科学の内的発展と共に、アインシュタインのもう一つの業績、科学と平和について、考える機会にしていただきたいと思います。
10年ぶりで開かれる日本開催を契機に科学と社会の在り方を今一度考えてみたいと思います。今回も、京都の地で勉強会を始めようと思います。若い人たちにできるだけ来てほしいと思っていたところ、工学部原子核工学のM1の方、理学部3回生の方が、すでに、関心を持って集まってくださっています。そこに、 樋口敏広さん(京都大学白眉センター助教)が加わってくださいました。樋口さんは、ジョージタウン大学歴史学部でPhD取得後、スタンフォード大学フェローの後、ウィスコンシン州立大学准講師として科学史で教鞭もとっておられた経験を持っておられ、ご専門は国際政治史・環境史・科学史です。樋口さんのお話は、私たちの知らなかった歴史のなかのさまざまな動きを正確にとらえられていました。また、湯川・朝永の学問の発展と、科学者の社会的責任をづ考えてきたかの歴史が語られました。さらに、原子力と原子核基礎研究が乖離してきて経緯なども話に出ました。これに対して、若者たちが、「こんな話は聞いたことがなかった」ぜひもっと詳しくしてほしい」ということになりました。
そこで、今度は樋口さんに、国際的な流れの解説をしたもらいながら、「原子力をどう評価するべきか」「放射線の生体への影響とどう向き合うか」「戦争のない世界をどう作っていけるのか」「人類史の中での科学者の悩みや戦争と科学の関係」など、常日頃疑問に思っていることを、そして科学者の社会的な責任を考えてみたいと思います。
冷たい戦争が無血で終結し、東西の壁が解消してやっと戦争の危機が去ったかに見えた国際情勢も、9・11テロを含めて、新たな危機が憂慮される今日です。また、福島第1原子力発電所の事故後、新たな放射性物質が拡散し多くに人々がいまだに非難せざるを得ない状況のなかで、さまざまな問題が深刻になっています。
11月に開かれる会議では、ラッセル・アインシュタイン宣言の今日的意義や軍縮、人権と国際安全保障、そして、テロの脅威など新たな危機とどう対処するか、核の脅威から人類をどう守るかなど、話し合われます。長崎会議も、正式出席者は世界各国からの選ばれた招待者が出席しますが、さら磐を広げて、全体会議はほとんどが公開ですから、傍聴に行くことができます。このような機会に、若い皆さんとともに、今抱えている問題を掘り下げ、一緒に議論する勉強会を準備中です。科学の内的発展と共に、アインシュタインのもう一つの業績、科学と平和について、考える機会にしていただきたいと思います。