8月に思うこと(ブログ その35)
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2010年7月31日(土曜)23:50に公開
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作者: 坂東昌子
8月、広島と長崎のこと、終戦記念日のこと・・・、終戦のころだけ、マスコミも、戦争時の真実の情報を流します。私の印象に残った2つのドキュメント番組があります。その1つが、ヨーロッパにおけるナチス崩壊の最後の瞬間、ゲシュタボがとった行動を描いたものです。
敵味方の国の区別なく、沢山の科学者を救い、国際的な役割を果たしたのは、デンマークのコペンハーゲンにあるニールス・ボーア研究所です。この所長だったボーアは、ユダヤ人の血を引いていながら、どうして占領下のデンマークにぎりぎりまでとどまることができたのか、ずっと疑問でした。
その謎解きから始まった私は、「五千万人のヒトラーがいた!」(八木あき子著)にめぐりあいました。この本にある「五千万人」という数字は、当時のヨーロッパの人口の約七割にあたります。つまりこの題名は、「多くのヨーロッパ人がヒトラーに対して反対を表明することができず悲惨な結果を生み出した」という意味なのです。
デンマークは、ドイツのお隣の国ですから、第二次世界大戦勃発後、早い時期(1940年)にナチスに占領されます。この国が、ドイツにどのように抵抗したのかは、スエーデン・ノールウェイ・フィンランドとともに、大変興味のあるところです。かなりの政治的戦略的な取引もあったに違いありませんが、それでもその国の市民が果たした抵抗の姿勢、特に、デンマーク国内にいるユダヤ人をかばい、国王をはじめとし、ユダヤ人迫害を守り抜いた物語は奇跡的でもあります。
終戦間近になって、さすがにユダヤ人をかばいきれなくなったデンマーク市民は、彼らを水路をへてスウェーデンに送り込むため献身的に働くのであう。この様子を、「医者は偽の診断書を作成して労働者を働き先から解放し、タクシーの運転手はユダヤ人の運び屋となった。漁師は脱出用にと船を貸し、警察はナチス侵入の見張り役となり、教会では祈りがささげられた。その結果、なんと三日間で約七千五百人のユダヤ人が北欧への脱出に成功したのである。」とあります。
さて、そのドキュメントというのは。ドイツの敗戦が近くなり、ゲシュタボの「ユダヤ人を出せ」という圧力に抗いきれなくなったとき、ゲシュタボの口から「水路がありますね」という暗示の言葉が出る場面が出てくるのです。そして、デンマークは、国を上げて、水路の向こうの中立国スウェーデンに、デンマーク在住のユダヤ人をたった3日で、送り込むことになったのです。
ゲシュタボにもこういう言動をそれとなくする人がいたのかなあ、そういう感慨を強く持ったことを覚えています。
人間はそんなに悪いものではない。周りが悪く裏切り者ばかりだったら、そういう人間になってしまう。ヒトラー一人を悪者にするのは間違いであり、そうすることは歴史的な教訓にはならない。それよりも、何故ヒトラーのような人間が存在したのか、何故ヒトラーがそれだけ人々の支持を得て、権力をもちえたのか、それを、科学的に解明すべきだなのではないか、とつくづく思うのです。
クリスチャン10世 (デンマーク王)写真
この写真は、このファイルは、ウィキメディア・コモンズからの説明によると、「著作権の保護期間が著作者の没後70年以下の国においてパブリックドメインの状態にあります」ということです。