「置行堀」永田和宏先生 ~続・湯川博士の贈り物への期待(ブログ その166)
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作成日 2022年1月11日(火曜)21:09
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作者: 坂東昌子
お待ちかねの「on-line cafe “続・湯川博士の贈り物”」が1月23日から始まります。
1月23日は、湯川博士のお誕生日です。湯川由規子さんのお話だと、「123と覚えているのです」といわれました。そうです!1月23日なのです。お間違いないように!
第1回目は、永田和宏先生のお話です。先生には、「子供にもわかるようにやさしくお願いします」と、ご無理なお願いをしました。私自身の歌に対する素養は子供と同じ、いや感性が鈍くなっただけ子供以下かも知れません。
ですが、湯川邸をめぐって先生とメール上でご意見を伺っているうちに、実は、歌というのは簡潔で少ない言葉の中に沢山の感性と心の動きが詰まっていることがだんだんわかってきました。源氏物語の中で記述分に対して歌が心の状態を如実に表していることにも初めて気が付かされました。
そうですね。論文の中では、式の部分に当たるのですね。式には、そこに込められた深い自然の仕組みがロマンのように伝わるのですが、それと同じかもしれないと思うようになりました。そんなわけで、子供と一緒にお話を聞くのはとても楽しみです。
ところで、先生から、「置行堀」という永田和宏歌集をいただきました。2013年から2917年の作品492首がまとめられています。それを拝見して、
2014年 夢を見る余裕がなくて夢にすらあなたに会へぬ日々をかなしむ
2016年 もう長く夢の中にも出てこない早く忘れよと言うのかきみは
とあります。これを分析してみると、夢というものは何だろうと思います。共に長くご一緒に歩まれた河野裕子様が他界されたのは2010年といいますから、それから4年後、6年後、夢の中で出会うという経験はどれくらいあるのかなと思います。
私は正直、夫がなくなった後どうしていたのでしょうか。当初は、「え?生きていたの?」とびっくりして夢がさめたことは何回かありましたが、普通に夢で出てきたのは数か月後でした。で、その時、夫はおそらく吉田山の階段に2人で座って、(いつものように)面白い研究の話をしていたのですが、不思議に内容は覚えていません。ただ楽しそうにおしゃべりしていたことしか・・・。
そして、今はむしろ、あいんしゅたいんの事務所から自宅に帰る途中で、迷っていることがあったり、考えがまとまらないことがあると、よく思い出して「どう思ったかな??」とか思い出すことが多くなってきました。夢って何なのですかね。教えてほしいものです。
そんなことを思いながらこの歌集を手に(今まで、ほんとにこんな歌集をじっくり読んだことはありませんでした!)、1月のお話を思い浮かべています。
日本で初のノーベル賞受賞者である湯川博士が何を追求しようとしたか、幅広い学術全般にわたり、文学的素養も持ちつつ科学者としてどういう生き方をされたか、科学と社会の問題にどう取り組まれたか、日本の中でどういう役割を果たしたかといった様々な思いがあります。
私自身は若いころは、湯川先生の「世界連邦構想」について、「よう、夢みたいなことをかんがえてはるなあ」と思ったりしていたので、その思いの深さを実感できたのは、故田中正さんの「湯川博士とアインシュタイン」の執筆に際して、勉強会を2年ぐらいかけて取り組んだ時でした。
現在、湯川邸に残された沢山の遺品の整理をしていただいている「市民の会」の皆さんが、純粋な科学に関するものとは別の、様々な文化人、湯川博士の残されたものから発見される数々の遺品から沢山の情報が出てくると思います。
湯川邸が京都大学の所有になったことを記念して、そのオープンの日までに、子供たちを中心に、市民と科学者が共にご一緒に語り合えることを願っています。
追伸1:実は、当初「置行堀」のなかでは、特に私にとっては次の1句が胸を打ちました。
「君あらばいまこそ君と話したき肚を割ってといふ話し方」
そして、「共に同じ道を歩いていたお二人の姿が目に見えるようです。この写真がぴったりくるなあという思いは私の胸に響きました。わかる!わかる!2010年に他界された歌人の河野裕子さまですが、何年経ってもこの思いは変わらないなあとつくづく思うのです。」と書きました。
ところが、実はこれは、永田先生に聞いてみると、別の友を失ったときの歌でした。まあ考えてみれば「肚を割って」なんて言葉は、最愛の人とする会話にはちょっと不自然でした!私のとんでもない間違いでした。歌の心のわからない私の自戒の念を込めて・・・・。調べていると、その前に小高賢「秋の茱萸坂」という歌集が紹介されていました。ところで、みなさん茱萸坂って何と読むかわかりますか?いろいろ「置行堀」(これも読めるかな??)から新しいことを学びました。
そういえば、私も「置行堀」にして先だった夫に、何度「ああこんな時一緒に議論できたらなあ!」と思ったことかしれません。私の方は、すでに30年前まだ、52歳だった夫が先に逝ってしまいました。家族のことも、仕事のことも、社会に対する思いも、すべて共有しながら議論を戦わせ、アドバイスし合いながら助け合ってきた戦友ともいうべきでしょうか。
追伸2:私のミスで、1月25日が第1回とお知らせしてしまって、混乱をさせてしまいました。
申し込んだ方から、「日程が間違っている」ことを教えていただき、ありがとうございました。ミスをしてしまって申し訳ありません。
追伸3:「2021年 親子理科実験教室(特別編 その1)」でお話を受け持ってくださる加藤茂孝先生は、次のように言わています。
「永田和宏さんとは面識はないですが、細胞生物学で私の専門に近いです。また、ご婦人の河野裕子さんの短歌のファンです。」ということで、1月23日のon-line cafe “続・湯川博士の贈り物”に参加してくださるということでした。湯川先生と同じように、科学と文学両方に惹かれてこられた先生がたの生きざまをしっかり見ておきたいですね。」