2022年12月02日

美しい式って?(ブログ その175)

続湯川の博士の贈り物も4回目が終わり、あと1回を残すこととなりました。

第4回目(3月24日)は、科学編2で、お話をされた橋本さんは、キッズサイエンティストの子供たちとは一度打ち合わせていますので、子供たちの興味はどこにあるかも心得てお話しされました。
橋本さんは、「美しい式」から始められました。この式に魅せられて素粒子論を始めたということでした。そしてその式がこの世のすべての法則を表しているのだということでみんなびっくりした様子でした。

「へえ???大丈夫??」

うーんそんないい方は物理帝国主義どころか素粒子帝国主義ではないかなと思わないではないのですが・・・・)というのは、私は、3・11以後放射線の生体影響の研究を始めてみて、単に使命感もあって始めた頃と比べると、生命の不思議さは、素粒子の世界や宇宙の進化などと比べて、また新しい不思議さがあり、放射線の生体への影響を通して、生命の統一的ピクチャーや、微妙なバランスで生きている不思議なメカニズムに魅せられるようになっているからです。
そこを支配している法則は、新たな側面を持っており、生命という対象を理解して初めて「世の中のすべてを支配している法則」が見えてくるのではないかと考えるようになってきたのです。実に微妙なバランスの上に存在し続ける生き物の姿は、また異なった見方を要求しているように思います。

More is different」というP.W. Andersonという科学者の書いた論文がサイエンスにでていますが、これは物質の示す様々な現象の豊富さは、新しい世界を見せてくれるということを生き生きと描いています。
もちろん、素粒子論の南部陽一郎先生等をはじめとして、優れた科学者がこの問題のより深い意味を明確にしたこともあるのです。

今年の親子理科実験教室は、今から300年近く前にパスツールたちが、科学の面白さは、この宇宙のその中のちっぽけな地球の中にいるもっとちっぽけな微生物たちを見出したパスツールをはじめとする科学者の挑戦の物語です。
この冒険を基にしたシリーズですが、この微生物の世界はまさに、まだまだ知られていないけれど、地球を全体として捉えると、ものすごい働きをしていることを実感しました。
そうなんです。「こんなのみより小さい生物が人間をやっつけるなんて信じられない!」と言って微生物の存在とその働きに疑問を投げかけた当時の医者たちの常識を破って、微生物がどんな働きを子、どんな害を及ぼすかを、地道な努力で克服したパスツールをはじめとする冒険者たちがいて、今があるのです。コロナに散々悩まされている今から見れば、考えられないですね。

とはいえ、まあ、この世のすべてが素粒子から出来ているということを考えると、もちろん、そういうミクロな世界と時空とのかかわりに魅力を感じて素粒子論の世界に入った人は多いかなとは思います。

そしてそんな中で、「自然の解明に向けて戦っている科学者」の姿を如実に見せてくれた橋本さんの魅力は、たくさんの人を引き付けたのだと思いました。

面白かったのは、そんな中で、子供たちが率直な疑問をいっぱい投げかけてくれ、それにつられて(??)大人もリラックスしていろいろと質問して、なかなか愉快な討論ができたということでした。例えば、ひも理論の説明がわからないと、子供たちが次々に質問されて、「うーんそれはいい質問ですね」と答える橋本さんとのやりとりもあって、とてもにぎやかだったことです。

結局、「子供に分かる?大人にわかる?専門家も新しい発見がある」ということが実証出来て、とても納得がいきました。これからも子供とともに勉強していく意味が見えてきて、とてもうれしい発見をしました。

ただ、英語のbeautifulは、中学校で出てきて「美しい」という役だと習ったのですが、あめりかにいって、ちょっと違った使い方をすることに気が付いたことがあります。
それは秘書に頼んでいた仕事をてきぱき片付けて報告を聞いた先生が、「ビユー・・・ティフル」と感激していっているのを聞いた時でした。ビユーーーーーえおながーく伸ばして感動している姿を見て、へえ、kンあ風に言うんだ、と思ったのです。気持ちよくてきぱきと完ぺきに仕事を終える、その簡潔さと的確さを、そういう言葉で表すのか、と思ったのですね。にほんなら「素晴らしい!」というところですが、なんか、簡潔さと素早さと見事さをみんな持ち合わせた言葉なんかなあ、とも思います

「美しい」という言葉が、例えば、湯川先生の「目に見えないもの」というエッセイ集(子供向きではないけど)で語る、「美しい世界」と言っていることを実感できるかなあ・・・そこには、複雑な現象を、簡潔にたったこれだけの式で表すことへのあこがれといったものがあるようにも思います。

でも、そもそも、理科を面白いと思う子供はいるかもしれないけど、「美しい」などと思う子供を見たことがありません。
橋本さんに、いつ頃から「美しい」と思うようになったかきいてみたいなあ、と思いました。式が美しいということについては、「なんでややこしそうな式を見て美しいと思うのか」そこは、どうもなかなか分かってもらえないようです。さてさて、橋本さんも美しいといってあちこちに宣伝してはいますが、子供たちに、いやあるいは市民に「美しい」と思わせることはできたかな??

実は、随分前ですが、京大未来フォーラムで、話したとき、南部さんが重力の式をみせて、「右は汚い、左は美しい」という南部さんの言葉を借りて紹介したことがありました。その時、「なんでこの左側は美しいのですか?」と聞かれてハッとしました、橋本さんも美しいのにうっとりした式だといったのですが、「なんで?難しそうな式やんか!」という感じでした。

数式は、自然を記述する言葉である、と理解すれば、まあ、外国語を知らずに外国語の文章を見ているようなもので、その中身が理解できて初めて美しいと感じるわけですから、難しいですね。でも例えばフランス系のカナダ人の家に行った時、そこのお母さまが歌うようなフランス語で話しかけてくれたのですが、その言葉の響きが、とても美しかったことを思い出すと、「あ、魅力的!」と思いました。ろくろくフランス語など知らなくても、です。

橋本さんが、お話の中で、「科学者ってどんな格好していると思う?」と問いかけて、映画やテレビに出てくる科学者のような白衣も、スマートなスーツ姿でもない。Tシャツで草履をはいて短パンという格好で、美しい式を書いているという話もしたので、思わず笑ってしまいました。ただ、Zoomでミュートにしていると、面白いところでも、笑い声が聞こえなかったのがとても残念でした。早く対面で相手の顔を見ながら話したいものですね!

ハッシャン、お疲れさまでした!

次回は、永田先生のお話になりますが、短い言葉で語られる「うた」は、凝縮された思いが詰まっています。凝縮された短い字句の中に、たくさんの思いが詰まっていて「美しい」を別の意味で発見できるかもしれません。美しいってどういうことか、

今のところ、私は先の湯川さんの本の中に出てくる次の言葉の不が印象的でした。

現実は痛切である。あらゆる甘さが排斥される。現実は予想できぬ豹変をする。あらゆる平衡は早晩打破せられる。現実は複雑である。あらゆる早合点は禁物である。

の方が、身に沁みます。美しいという境地に達する前に、立ちはだかっている謎のことが、身に沁みます。

次回(5月22日 15時―17時)は、永田和宏先生が、科学とは何かという話もされるかと思います。最近永田先生が書かれた本をよんで、加藤茂孝先生が、感想を寄せられました。ご紹介してもいいということでしたので、掲載したいと思います。

永田和宏「知の体力」(新潮新書 2018年)を読んで

2022.4.19.  加藤茂孝

細胞生物学者で歌人でもある著者が大学生に熱く語りかけた本である。更に言えば、次の世代を危ぶみ励ます憂国の書である。著者は私とほとんど同世代であり、また共にライフサイエンスを専攻したので、時代感覚や、次世代への危惧と期待に関して共通部分が極めて多い。いくつかの共感を覚えた印象的な記述について、その紹介とそれに重なる私の経験を紹介したい。

1,「質問からすべては始まる」

著者は今の学生が既存の説や知識に従順で、新しい分野開拓への気迫に欠けることを憂い「質問しろ」と促す。私も全く同じことを言われたことがあった。私が大学院の修士課程に入った最初の研究室セミナー、東大駒場キャンパスの生物学教室でのことであった。セミナー終了後、古武士の様な風格と気迫を持つ助教授の丸山工作さん(筋肉タンパク質を研究)が大学院生の部屋にやって来ていきなり「君たちは何のためにセミナーに出ているんだ。なんで質問しないのだ。セミナーは君たちのためにやっているんだ。八百長でも良いから質問しろ。偉い先生が先に質問したら、平凡な質問は出来なくなる。だから真っ先に質問しろ」。それ以来、質問する習慣が付いた。丸山さんは、後に千葉大学長になられ、戦後初めて飛び級入学を実現させた。

2,「分かっていないことを教えたい」

著者は高校までの教育は正しい事、答えは一つであると教えすぎる、せめて大学では「答えは一つでは無い、答えはまだない」と教えたいと言う。大学でそれが出来ないと疑問を持たないあるいは定説に盲従する人間を作ったり、答えから外れた人生を生きている人の逃げ場を無くさせる。大学では高校までの思考基盤から早く脱脚させたいと説く。大学院で私の後輩だった浅島誠さんは、大学院修了後、発生で分化の方向を規定するシュペーマンが提唱した重要なオルガナイザーを研究したくて、相談した指導教官を含む全ての人が「過去の研究でもう全ては分かっている、やる意味はない」と断念を勧める中、それでも世界でただ一か所オルガナイザーを研究しているドイツの研究室へ留学した。そして分化を規定しているアクチビンという物質を発見した。彼のような頑固さが私にはなかったと今でも反省している。

3,「私は世界とつながっている」

著者の研究室では、修士に入学してきた学生をいきなり3か月外国の研究室へ短期留学させるシステムを作り上げた。日本語の通じないところで生き延びる知恵を学ぶ事、論文でしか知らない高名な学者の日常を自分の目で見て同じ人間だと知ること、自分への要らざる「へりくだり」を無くすことを目指している。私ももっと早く外国へ出て置けば良かったと今でも思うことがある。外国へ出ると、学問もさることながら、自分や日本を客観的で多角的な視野から見なおし、誰でもどこでも同じ人間だと認識できるようになり、視野や生きる姿勢が広がる。2020年にC型肝炎ウイルスの発見でノーベル生理学・医学賞受賞者の一人Charles Riceは、私のアトランタのジョージア州立大学の共同研究者であるTeryl Frey教授の弟弟子だった。その縁でRiceの研究室を訪問して話したことや彼の作った組み換えシンドビス・ウイルスを使ったことがあった。別の話になるが、私が米国CDC(疾病対策センター)に3年間客員研究員でいた時、既に働き始めていた娘が、突然「お父さんがアメリカにいる間に、英語の勉強をしようかな」と言って、私の宿舎に居候し、そこからジョージア州立大学の外国人向けの英語クラスに1年間通った。修了後米国で就職して3年間いた。帰国後も英語を使える職場に就職した。多少怖がりな所があった娘が行動的になり、物に動じなくなった。本当に「かわいい子には旅をさせろ」である。

4,「自分で自分を評価しない」

著者は自分を自分で評価しないようにと説く。日本の社会、特に成長力の落ちた近年の日本社会では、他人の目で自分を評価し、それもマイナス面を評価する傾向がある。初めから諦めているような自己評価をする。エネルギーがあふれてとんでもないことをする若者が多かった60年前と比べて、あきらめと身分相応意識が強まっているように見える。そこには均質な日本社会と言う問題もあるが、3の項目で書かれている世界と繋がっている意識がなかなか持てない環境が大きい。

事によると、受験勉強の弊害かもしれない。私が東大に入って驚いたのは、生意気な学生も多いけれど、それ以上に劣等感が強い学生が多いのに驚いた。「運動が出来ない、暗記物が駄目だった」とか出来ないことを挙げる癖がある。優等生であらねばならないという圧力の中で育ってきた受験生活ゆえであろうか?一個でもある優れたところを伸ばす教育へ変えて行きたい。著者の言うように、その方がずっと楽しいし、ずっと伸びて行く。

5,二足のわらじには意味がある

細胞生物学と短歌という二足のわらじに著者は当初苦しまれていたが、やがてそこには意味があると説く。片面からだけではなく両面から見る事でより物事の全体像、あるいは人生の意味が理解できるようになる。時間的にはにそくのわらじは一見非効率だけども、人間としての成長や物の見方の広がりこそ重要だと説く。

私も高校時代、大学では考古学・歴史学をやりたかったが、父の反対で医学部を目指した。最終的にウイルス学をやったが、高松塚の発見の時など、なぜ歴史をやらなかったのかと自分の弱さを嘆く事もあった。遺伝子を扱うようになり、遺伝子の中に生命の歴史が詰まっていることに気づき、自分は遺伝子の考古学をやっているのだと思えて心が安らかになった。結果としてウイルス学と歴史学をつないだ特徴的な「人類と感染症の歴史」を書く事が出来た背景が培われたと思えるようになった。

大学生と、これから大学を目指す高校生、そしてその父母に是非読んで欲しい本である。