内海博先生と生物教育(ブログ その181)
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作成日 2022年12月22日(木曜)20:09
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作者: 坂東昌子
9月25日に、「湯川博士の贈り物3」で内海先生から「分子生物学の幕開けと湯川博士」のお話をいただきました。
内海先生は、湯川博士にあこがれて、物理学を専攻しようと京都大学理学部に入学されたということです。
ところが、湯川先生が当時、「これからは生物学だ」と言われたのを聞いて、生物学を専攻されたということです。生物学の新しい息吹を感じた湯川先生の未来志向の科学に対する当時の意気込みの影響がいかに大きかったかを感じます。
内海先生は、この9月に放射線影響学会で若手向けにお話をしてほしいという提案に応えられ準備中でした。そして、「湯川先生が、1960年に生物物理夏の学校では話されたという覚えがあるのですが、記録はないですかね?」というお話がありました。
京都大学理学部での生物物理学教室の新設の話があったのもこの頃でした。それで、こうした新しい生物物理学の息吹の様子、湯川先生がどのように新しい学問への思いを持っておられたかも含めてその歴史を調べてみたいと、基礎物理学研究所の「湯川資料室」を訪問したのです。
この際、日本での生物学の新しい動き、そのなかで、放射線生物学の果たした役割をお話していただくのは、湯川博士の贈り物として大変重要な側面です(この際、小沼道二先生をはじめとする湯川資料室の皆様にとてもお世話になりましたが、これについてはまた別途取り上げることとします)。
そういう思いで、この機会に市民や子供たちにもぜひお話をとお願いしたのでした。
御話の内容から、新しい分野の研究生活のご苦労と楽しさ、そして、アメリカでの研究生活の経験でのやはりコミュニケーションの重要性、みんながファーストネームで気軽に呼び合える人間関係、さらには、研究をサポートする技術者に対する価値観など、日本とは異なった様子などにも触れていただけました。
子供や市民にもわかるようにという配慮をしていただき専門家も含めて、学ぶことの多かったお話でした。
さて、内海先生からそのあと科学教育の中での生物教育についての論考をメールでご紹介いただきました。
これは、高松高校時代の同窓生の会での文集にかかれたもので、関西地方にいる同窓生の集まりがコロナのために会合が持てない中で、文集を作ろうということになったものだそうです。
「好きなことを書いても、写真でも絵でも、良いと言うようなもので、今回こんなことを書かせてもらいました」とありました。そこで、「興味深く読ませていただきました。ご苦労しながら教育活動にも取り組まれていたことをじっくり読ませていただきました。
できたら私のブログで紹介させていただいてよろしいですか」とお願いして、ご許可をいただきました。
理科教育2023(花伝の会)内海