2024年10月07日

高校の同級生高島さんの提案 寄付の話(ブログ その190)

「なあ、あんたいいことやっているみたいだから、あいんしゅたいんに1年100万円、生きている間寄付することにした」という電話にびっくり仰天しました。

提案してくれたのは、高島成光さんです。高校(大手前時代)の同級生で、わが夫の坂東弘治や、医者になった下野さん、同じく物理を選んだ西堀さん、経済を選んだ西村さんなど5人の仲良しに、どういうわけか、私と池田祐子さんが加わって卒業後も7人の仲良しグループでした。

しかし、すでに5人は他界し、残っているのが、高島さんと私だけになってしまいました。
その高島さんは、年に1・2回、シャンソンの会などに誘ってくれて、ついでにおいしいものをごちそうになっています。その高島さんと、昨年秋、シャンソンの会の前の食事の席で、

「なあ、トリチウムってなんやねん」

という話から、

「え、原子は真ん中に原子核があって、その外を電子がうろうろしているのや。この外側をうろうろしているえらい軽い電子がちょっかい出してほかの原子の周りの電子君の隙間に潜り込んで遊びに行ったりするのが化学反応やけど、真ん中の原子核は、陽子と中性子からできていて、この陽子や中性子は1000倍以上電子より質量が大きいのでちょろちょろしていないでどんと真ん中に構えているんやね。この中心にある陽子の数が1つの場合は水素、2つの場合はヘリウム・・・」

と原子の話をしたら

「あ。それは覚えてる。すいへいりーべやろ。そやけどトリチウムはなんやねん」

という事からトリチウムが同位元素だという話をして、

「そう言う余分の中性子がある原子核は不安定なので、放射線を出して安定な普通の原子核になるんや」

という話になりました。

そしてトリチウム水の処理の話になったので、私はわがあいんしゅたいんで、この話をいろいろと議論して、結局、まとめをわがホームページに出したことも紹介したのです。

この時、市民の鋭い質問がとても大切なこと、この市民と科学者の議論がとても素晴らしかったことを話しました。専門の科学者でも知らなかったことを調べてきて報告し、そこから疑問を出してくる素晴らしい市民との交流は、専門家だけでは見逃している様々な側面をしっかり指摘し、私なども知らなかったいろいろなことを教えてくれました。

この中で圧巻だったのは、次のような話でした。

 当時、「トリチウム水がたとえ濃度が薄くても、生体の中で濃縮される」 という話が出回っていました。それも専門家がそんな主張を大声でしていたのです。
なるほど、それは、いくら濃度が薄くても、生物の体の中で細胞に取りこまれることもあるかな、と気になりました。それはありうる話だ、と思ったものでした。そして、この議論をみんなで話し合っていて、だんだん実態が分かってきたのです。それは、ある生物実験の経験のある方が、

「それは、トリチウム水ではなく、有機トリチウムの話、チムジンという錠剤では?」

と言ってくださり、ニジマスに取り込まれているトリチウムのデータの載っている論文を市民も一緒に調べて、錠剤生産工場の近くでの観測データであることを見つけてくださったのです。

このチムジン、生物実験では、体の中の動きを観測するために飲ませるのだとわかりました。つまり、わざわざ生体内の細胞にとりつくように工夫された錠剤で濃縮するのは当たり前だったのです。普通のトリチウム水は、水の中に混じっているので、すぐ薄まるということで、チムジンとはちがうのに、それをごちゃまぜにした議論であることが、みんなの議論の中で確認できたのでした。この裏話も含めてわがHPで紹介しています

話をもとに戻して・・・・・

高島さんは、トリチウム水の処理の話になったら、

「トリチウム水、蒸発させたらええのとちがうんか」

などといいました。

「へえ、蒸発?そんな手もあるのか?」

と、私も意外な展開に、気になって調べてみたら、スリーマイル島の原子力発電所事故(TMI)の時は蒸発させたことを知りました。よくそんなことを考え付くなあとびっくりです。それで、高島さんに

「そういうアイデアもあったみたいやで」と話したら

「そやろ、なかなかのアイデアやろ」

と自慢していました。そして、

「あんた、ちょっと提案やけど、あんたええことやってるみたいなんで・・・。どうやろ、年に100万円僕が死ぬまで毎年寄付するのは」といったのでびっくり仰天でした。

これだけ頂ければ四苦八苦していた財政問題が楽になり、何とか続けられます。

JSTや京都府協働プロジェクトなど、できるだけ資金を獲得するようにしてきましたが、なかなか厳しい運営です。
しかも、大学や公式研究機関には結構申請できる資金があるのですが、ただのNPOへの資金援助は見当たらなくなってきています。

例えば環境省の申請のときには、あいんしゅたいんでは申請できないので、宇野賀津子さんの所属するルイ・パスツール研究所の研究員にならせてもらいました(来年は提案してみたいです。)

いただいた寄付は大変ありがたいと思っています。尤も、私も高島さんも86歳、どちらか先にいなくなると、それで終わりになるなあ、「お互いに長生きせんと頑張って生きていかんといけないねえ」というところです。

今度の資金は、「市民と科学者が一緒になって議論する場を作るため」に使わせていただこうと思っています。

私も、まだまだ好奇心だけは衰えていませんが、たくさんの仲間とともに、「市民と科学者が一緒になって楽しむ」NPOであり続けたいと願っています。そんな中でいただいた資金、あいんしゅたいんのより皆さんとの会話を、科学の面白さをご一緒に語り合うために使わせていただきたいと思っています。


PS 参考資料 

高島成光 経歴(鉄鋼業界60年 業界のレガシー)

昭和36年 住友金属工業後半部薄板課昭
昭和47年 共栄製鉄社長兄と枚方の電炉工場を建設。一貫メーカーを創業
昭和48年 NY州に電炉圧延一貫メーカーオーバンスティールを創業(米国進出した最初の日本ミル)
昭和49~53年 第1次石油ショック。債務超過転落、大和銀行、三菱商事、神鋼商事に救済要請 40ヶ月連続赤字の難交渉を指揮
昭和52年 生き残りをかけた希望退職者募集の指揮
昭和55年 第2次石油ショックで再び企業存亡の危機、債務繰り延べ交渉指揮
昭和57年 住友金属工業に資本参加を要請して関連会社になる
昭和58年 第1製鋼(現名古屋事務所)買収工作
昭和58年 関西棒鋼(株)社長就任(西日本の電炉ミル共販会社)10年
昭和63年 住友金属和歌山製鉄所内に溶銑H型鋼製造会社設立社長
平成2年 共栄製鋼、山口共栄(住金子会社)等の合併発案、合併交渉成功 住金スチール代表取締役社長就任
平成3年 ドイモイ政策に対応して工業省と交渉 ピナ共栄を創業
平成5年 主力銀行大和銀行に頼まれ、油圧シリンダーメーカー太陽鉄鋼 更生管財人就任。
      負債1000億円。赤字年間50億円、7年間。8年間かけ更生終結
平成12年4月 共英製鋼代表取締役会長復帰。兄死去後社内外の要請により(64歳)。第1戦を退いていたが断り切れず就任。夫妻1000奥苑、   
      赤字年間50億円、7年間。1年で黒字化。5年で債務完済。住金小島会長が取締役。
      下島は小川建材部長を常務として派遣し支援。
平成12年4月 大和銀行に依頼されて、老舗の名門中山鋼業更生管財人就任〈負債460億円 債務超過60億円 6年間で終結)
平成14年 普通鋼電炉工業会会長就任(2年)
平成17年11月 藍綬褒章受章
平成18年 共英製鋼上場を指揮
平成19年 関西経経団連 理事 国際委員会 アジア担当委員長10年
平成22年6月 共英製鋼取締役相談役
平成24年6月 エア・ウウォーター監査役就任☛顧問
平成26年3月 ベトナム友誼褒章受章
平成20年 共英製鋼に身をとおじた時15万トンの生産となり5000万トンも望める電炉業界トップクラスの会社になったのでファウンダー・名誉会長に。

注)坂東の感想
今まで高島さんとは、世界情勢や人材育成、いい集団の作り方など、いろいろと教えてもらったことはあったのですが、経済界での苦労はどんなものかまったく知らず、経歴を調べてみてその苦労が身に染みました。
特に、経営の中でもお兄さんのロマンに富む放胆経営の後始末ばかりやっておられただけでなく、その手腕が買われて多くの企業を再建させられたことには、まったく素人で経営のなにかも知らず、ロマンだけでNPOを立ち上げ、ぶつぶつ言いながら理事長兼下働きで下手な経理で周りに迷惑をかけながら青息吐息でやってきました。
周りにもずいぶん我慢の連続で助けてもらっている自分を思うと、もっと経営の才能がないなどと開き直らず、もっと経営のことも考えるべきだったなあ、好奇心と科学者としての責任という点だけは、守っていても周りに迷惑をかけ通しだなあと振り返っています。

いつものんびりした話をしておられる高島さんが、こんなに経済の手腕を発揮されていたのかとびっくりです。

また、ベトナムといち早く連携されたこともなんだかうれしかったです。
実をいうと、植民地から独立するために頑張ったアジアの中でも、中国のトップも、北朝鮮のトップも、いわんやロシアのトップも、みんな大金持ちでいい生活をしているが、ホーチミンは国民のことを第1に考え、自分は貧しい暮らしをしていたという事です。
自国のみんなのことを第1に考えたベトナムのホー・・チミン(胡 志明)だけは好きだったのですが、このホーチミンが「ベトナムのペスタロッチ」と呼ばれていることも高島さんから聞いて、高島さんがこの穏やかな国を好きになのもうれしかったです。
もちろん、高島さんはこういう国の経済事情、将来の発展性を見越しておられたのでしょう。そのうち、戦争ばかりに力を入れて、国民が不便を強いられている国を飛び越して、ベトナムが「世界一幸福な国」になるといいなと期待しています。
世界一貧乏な大統領、ホセムヒカ(艸場よしみさんが絵本を作っていま)とともに、好きな指導者です。なんでそんなお金を欲しがるトップが多いのか、トップになるとそうなるのかようわかりませんが、なんか悲しいですね。ムヒカとホーチミンが救いですね。