2024年10月07日

(続)なぜ、たった1年で世論が変わったのか・・・原子力導入のショック(ブログ その71)

さて、ブログ66で、同じタイトルのブログを書きました。

そこで私たちは2つの疑問を投げかけました。このブログを見て、シリーズ 東日本大震災にまつわる科学 ー 第3回公開講演討論会に来てくださった方から、「ブログに書いてあった疑問の答えは結局何だったのですか?」という質問を頂きました。井上さんは控え目にお話しされたので、明確な答えがその中に隠されていたことが分かりにくかった方もおられると思い、私たちの思いを書いておこうと思いました。

ウラン型原子炉とプルトニウムという廃棄物

その前にちょっと豆知識です。

原子力発電というと、私たちは、ウラン235という原子を使った原子力発電を思い浮かべます。鉄腕アトムではウランちゃんというかわいい女の子が出てきますが、実は天然の元素のなかでもっとも巨大な(質量の大きな)元素が、このウランです。その重さ(質量)は、水素原子のおよそ235倍です。(元素の後ろに数字が書いてありますが、これが元素の体重を表すと思えばいいということは、ここに説明があります)。
これ以上重い元素は「超ウラン元素」といわれますが、人工的に作らないとできないのです。ウランに中性子というボールをあて、これをほぼ半分に割ってやるとその時出るエネルギーが原子力エネルギーだったわけですね。
このとき、ほぼ半分に割れて出てくるのが体重130ぐらいと90ぐらいの元素です。同じ大きさに割れないでちょっといびつに割れることは、ここでふれました。

ところで、このウラン型原子炉で核分裂が起こったとき、プルトニウムというものが沢山出来ることにはふれませんでした。もう少し詳しく言うとプルトニウムの体重は239で、ウランよりまだ大きいのですね。実はこのプルトニウムは、プルトニウム239で、ウラン鉱石中にも少しですが含まれているそうです。半減期は約2万4000年で、結構長生きです。

「どうして分裂するのにそれより重い超ウラン元素のプルトニウム239ができるの?」

という疑問をもたれると思います。

実は、これは原子炉の燃料として含まれているウラン238のせいなのです。
ウラン235は、核分裂をして原子エネルギーを出すので核燃料と呼ばれているのですが、天然のウラン鉱石の中には、原子炉の燃料になるウラン235はたったの0.7%しか含まれていず、殆どはウラン238(約99.3%)なのです。原子炉の燃料としては、天然ウランのまま使用する原子炉もないではありませんが(重水炉)、能率は悪いので、今最も使われているのは軽水炉といわれるものです。
日本は最初の1基を除き、すべて軽水炉を使っています。軽水炉を動かすには、天然ウランからウラン235を「濃縮」する必要があるのです。具体的に言うと、核分裂するウラン235の割合を3~5%にする(これを濃縮といいます)低濃縮ウランが利用されています。

原子炉でこのウラン燃料を核分裂させると、天然ウランに含まれているウラン238は、中性子のボールが当たってそれを取り込み、さらに放射線であるβ線を出して、プルトニウム239に変化するものがあるのです。実はこのプルトニウム239が曲者なのです。

トリウム型原子炉

さて、これに対して、トリウム型原子炉も同時に開発が進んでいました。トリウム型原子炉は事故の時冷却しなくていいので、安全性が高いということでした。この魅力的なトリウム型原子炉が、どうして選ばれなかったのでしょう。

物理学会が主催して開かれた「原子力シンポジウム」で、坂東は質問してみました。そしたら井上信氏は、「ウラン型原子炉はプルトニウムという原爆の材料が作れるからです」といわれたのです。
プルトニウムは、実は長崎に落とされた原爆の材料となっているのです。つまり、原子炉を運転させると、核兵器の材料となるプルトニウムがたくさんできます。このタイプの原子爆弾については、戦時中日本は知らなかったようです。

ウラン型原子炉がシカゴ大学で最初に作られたのは、まぎれもなく原爆を作るためのプルトニウムを手に入れるためでした。それはよく知られている事実です。実際、原子力発電をはじめていろいろな国で原子炉が動き始める度に、すでに核兵器を持っている大国が目を光らせ、監視しています。核兵器を作る危険性があるからです。
日本で原子量発電を導入するという話が持ち上がった時、原爆につながる危険な原子力発電導入には反対だといった科学者が沢山いたのです。そして、科学者の国会と言われた学術会議では、原発導入を巡って真剣な議論が戦わされました。その結果、科学者たちは、戦争の具にしないという誓いを立てて、「原子力三原則」を打ち立ててきたはずでした。
明らかに、日本のように核兵器を作らない立場からは(これも実は怪しいかもしれませんが、痩せても枯れても憲法9条を持つ国としては)、プルトニウムという「厄介な核廃棄物」が存在すると言うことは最も深刻な問題だったことは確かなはずです。だからこそ、プルトニウムを再活用するために、「核燃料サイクル」の技術を完成しようと、当初から目標を立てていたはずです。

もし、私たちが、ウラン型原子炉しか原子エネルギーを開放する道筋を知らなかったなら、「核兵器製造」をひそかに狙っている勢力の存在があったとしても、とにかく、当時最も可能性の開けていたウラン型原子炉を導入しても仕方なかったかもしれません。

ウラン型原子炉が導入された本当の理由

しかし、安全で核兵器の材料になるプルトニウムが廃棄物として出てこないトリウム溶融塩炉の実用化がかなり進んでいたとなると、話は違います。どうして、このトリウム溶融塩炉の技術開発にかじを切らなかったのでしょうか。あるいは、科学技術者たちは、このトリウム原子炉の可能性に科学技術者が目を向け、それが一定の世論を形成しなかったのでしょうか。当時の学術会議であれだけ議論していたのに、どうしてウラン型とトリウム型を比較したり、評価したりせず、ウラン型を選んだのでしょうか?

当初はトリウム型原子炉も有力だったのですから、どうして世界のすう勢がウラン型になったのかという疑問がどうしても残ります。もちろん核兵器を狙っている勢力があったことは否めないのです。しかも、米国でも、1950年代から70年代にかけて、トリウム溶融塩炉の研究開発を進めていたそうです。しかも「1965年から69年までの4年間、無事故で運転した実績を持ち、基本技術は確立している。トリウムの燃料利用を想定していたこの原子炉は、核の平和利用の本命であった。」ということですから、いったいこれに着目しなかったのは、なぜでしょうか。
現在、カナダ、ノルウェー、オーストラリア、米国なども、トリウム溶融塩炉の技術開発に向けて動き出しているということです。さらに、トリウム資源の豊富なインドや中国は開発がかなり進んでいるというではないですか。日本では、あまりこの可能性を追求していないようで、一部の科学・技術者がこれに着目しているにとどまっている状態です。どうしてなのでしょうか。
科学者もしかり、平和を愛する市民運動もしかりです。
このことがショックだったのです。
とはいえ、坂東も当時、若い大学生だったにも関わらず、この話を知りませんでした。情けない話です。坂東は、愛知大学で授業をしていた1990年代になって、はじめて故永田忍氏(元京大理学部助教授 ・宮崎大学教授を経て定年退職、愛知大学の非常勤講師もしていただいた)から、この可能性を教えてもらい興味を持ったのでした。

井上さんのお話では、このトリウム溶融塩炉のお話が詳細に紹介されました。
科学者も、目先のことだけでなく、世界の趨勢を知り、学問の現状をしっかり見つめることが必要です。市民も、目先のことで単に反対するだけでなく、必要な時には情報を正しく知り、自分の頭も使ってしっかり考える、そういう姿勢を持っていないと、大変な時に大事なことを見逃してしまうのではないかと思います。

なぜ1年で世論が変わったか

もう1つは、ビキニ水爆事故の後、たった1年後に、「放射線は怖い、原子力はすべて反対」という「核アレルギー」から一転して、世論がすっかり変わり、原子力万歳の世論に変わってしまったのか、という疑問です。

「原発導入のシナリオ」(NHKスペシャル)では、正力松太郎(読売新聞社主)、柴田秀利(日本テレビ局の重役)のコンビで、マスコミを動員してキャンペーンしたからだといっています。当時の新聞には、「放射線は消毒の役割をするぐらいだ」というような記事まで出ていたのですね。もっとも、消毒とは、細菌という細胞をやっつける役割があるのですから、生きものにとっては脅威ですよね。どんなものでも、毒にもなり薬にもなるのは当然です。
原子エネルギーを人類が見出した時が、ヨーロッパでファシズムの嵐が吹き荒れ、戦争へと突っ走っていた時期と一致したことは、人類にとって不幸なことでした。だからこそ、私たちは科学と社会とのあり方の教訓をここから学ばねばならないのだと思います。
また、核兵器廃絶と反原発は同じではありません。放射線が怖いから原発に反対だ、というのは筋が通りません。特に低線量放射線はどの程度、生物に影響するのかが、次第に分かってきている現在、その新しい知見を見ないで、単に「少しでも余分の放射線をあびないように」といって、次世代エネルギー源としての可能性を持っている原子力を敵視するのはいかがなものでしょうか。また、信念から「原発に反対」と言ってしまっていては、肝心のものが見えなくなります。核兵器などない世の中にしたいという意味では一致していたからといって、それが放射線は怖いから原発も反対、すべて「反核」と単純に割り切っていると、1年でまた世論がひっくり返るかも知れません。

原子力発電になぜ反対なのか、それで社会はどうなっていくのか、しっかり考えていける市民になりましょう。そして、どういう道筋で、目指す方向に行くのか。
反核として何もかもひとからげにして論じられるようになると、正しい判断ができなくなります。きちんと物事を見ていく目をしっかり持ってほしい、それが言いたかったことです。

注:これは、「低線量放射線検討会」での議論をもとにして真鍋と坂東がまとめたものです。
  なお、今後の東日本震災シリーズは以下の通りです。 

10月23日(日) 第4回「EUのエネルギー事情」 詳しくはこちらをご覧ください。
11月26日(土) 第5回「原子力をめぐる問題と現状」 詳しくはこちらをご覧ください。

(文責:真鍋勇一郎・坂東昌子)