第5回:「『いろいろ』な話」by 保田
- 詳細
-
2009年2月28日(土曜)04:25に公開
-
作者: 保田充彦
みなさん、こんにちは。保田充彦(やすだあつひこ)と申します。
私は、大学院卒業後某メーカーで技術者としてジェットエンジンを開発する仕事をしていました。数年前退職し、現在は科学技術をテーマとした映像やインタラクティブ・コンテンツを作る仕事をしています。中年にしてかなり大きな方向転換でしたが、今のところ何とかやっています。
大学・大学院時代は、このNPOの理事でもある松田卓也先生のもとで、「宇宙ジェットの数値シミュレーション」を研究していました。研究内容はともかく、費やした時間で評価すると、当時のスーパーコンピュータで流体力学の偏微分方程式を解くのが研究の半分、それを等高線などでビジュアルに表現するのが残りの半分でした。前者は「研究」として堂々と大学の大型計算機を使えましたが、後者は「作業」に近いと不当な評価を受け、使えるコンピュータも研究室で購入した古いものでした。当時、640X480ドット、たった256色しか出ないモニターで、一枚の等高線を描くのに数十分かかった記憶があります。コンピュータがドットを描いていくのが、目で十分に追える「遅さ」でした。 今のIT時代から見ると、信じられないような話です。ムーアの法則、恐るべし。(でも、コンピュータ画面上で少しずつ絵が現れてくるのは、なかなかどきどきするもので、うまく行った時の気持のよさは格別です。今は何でも一瞬でできてしまって味気ないですね。)
しかし、今振り返ってみると、その当時の体験~科学データを可視化する作業~が、ずっと体に染み付いて、結局今の仕事を選ばせたのだと思います。その意味では、松田先生のおかげ(せい?)だと言えるでしょう。
さて、学校の教師と大学の研究者をつなぐ、と言うことが、このNPOの活動の重要なテーマのひとつになっています。アカデミックなあいんしゅたいんのメンバーの中で、私はもっとも教育や研究から遠い立場にいると思いますが、 実は私の父親は中学の理科の教師、叔父が大学の教員だったため、両方の様子は何となくわかります。子供時代、朝早く出て夜遅く帰宅する父親を見て、「教師は大変そうなので、もっと楽な仕事を選ぼう。」と思いました。と言うのは半分冗談ですが、教育と言うのは本当に責任の重い仕事であって、中途半端にできるものではない、私にはその自信はない、と思ったのは事実です。
少しえらそうなことを言いますが、私は、先生と言う職業を選んだ人は高い理想と強い責任感を持っている人だと信じていますし、その思いをずっと持ち続けてほしいと願っています。
私が結局「科学と映像」を仕事として選んだように、人間と言うのは若い頃に体験したことは生涯体に染み付いて、なかなか変わるものではないと思います。だから、先生は、その子供を見て、どんな色を塗るのが一番良いのかを子供と一緒に真剣に考え、また、子供に考えさせてほしいと思います。
僕の大学時代は、640X480ドットで256色のモニターしかなかったわけですが、今はもっと多くの色が使えるはずです。このNPOの活動の中で私にできることがあるとすれば、教師と子供が使える色の数をひとつでも増やしてあげることなのかな、と思っています。
NPOあいんしゅたいん理事・株式会社ズームス(xooms)代表 保田充彦