2024年10月05日

第23回:「一人の若手から見た『科学としての科学教育研究会』」by 山田

こんにちは、「科学としての科学教育研究会」で当日受付をしておりました山田です。

研究会も無事盛況に終わり、私自身新しい視点をいくつか持ち帰ることができました。講演してくださった先生方、参加してくださった皆様、世話人の先生方に心からお礼申し上げます。

今回の研究会は、講演内容の多様性もさることながら、議論や総合討論での発言も多種多様で、まだそれらを自分の中で整理できないでいます。
教育という言葉はすごく広い意味を持っているのだな、ということを改めて強く感じました。

この「科学としての科学教育」というテーマは、とても大きく、かつエキサイティングなものだったと思います。このような研究会は今後もぜひ継続、拡大していただきたいと思います(私にもそのお手伝いができたら幸いです)。
来年(?)はさらに現場の先生方や、教育学系の先生方、それから若い研究者達(ポスドクや大学院生)にもっと多く参加してもらえる形になればいいなと思います。

基礎物理学研究所という場所で、物理学者が中心となって企画運営したこの研究会は、しっかり物理屋流の研究会になっていたと思います。
シニアの先生も、若手の研究者も対等に、「一番大事と思うことを率直に喋る」という光景は余所ではあまり見られないのではないでしょうか。

もちろん、このようなやり方にも利点と欠点の両面あるかと思いますが、議論の対象について共通認識がしっかりなされていれば、大きな実質的進展が期待できます。
持って回ったような言い方や無難なものの言い回しで、共通了解も意図もぼかしていては建設的な議論にはなりにくいので…。(このような物理の文化を、そこ出身の私はちょっとだけ誇りにしています。)

一方で、共通認識がそれほど確かでないような状況では、意図の誤解が生じることもあるかもしれないと思いました。
それでも、「あの人はどうしてあんなことをやっているのだろう?」となればいいのですが、「あれではダメだよ」となってしまうとちょっと残念です。

当NPOの理事長が言っておられた「日本にはすぐれた活動がいくつもあるのに、それらの間で斥力が働いている。お互いによその批判ばかりして、大きな流れにならない」というのも、その辺に理由があったりするのかなぁなどと思ったりしました。

それで、研究会でさまざまな発言を聞く度に思ったのは、「この人はどんな教育経験をしてこられたのかな?」ということでした。
その方がどんな経歴で、何を学び、何を経験してきたのか。どんな年齢、どんなバックグラウンドの学生を、どれくらいの期間教えていたのか。
どんな経験がきっかけで、どのような考えを持つようになったのか。そういった個人史を、その発言の背後文脈として知りたいと思いました。

例えば、さまざまな困難を抱えているような子が多く授業の成立が難しいようなところで教えてこられた先生と、入試選抜によって高い基礎学力を持った子が多いようなところで教えてこられた先生とでは、教育という言葉で想起するものからして異なるはずです。
お互いの意図をきちんと知って、不毛な議論や対立は避けたいところです。(総合討論での自分自身の発言を振り返っても、まだまだ個人的な文脈に縛られているなと反省することしきりです。)

来年の研究会では、講演者の方のプロフィールも多少つっこんで話していただけたら、さらに建設的な会になるのではないかと思いました。
例えば講演者の方に前もってインタビューを試みるとか(勝手な思いつきですみません)。

ともあれ、参加されていた先生方みなさん笑顔で、とても楽しい研究会だったこと(「こんな楽しい研究会は経験したことがない」という発言が出たくらい)は、運営をお手伝いさせていただいた身としては嬉しい限りです。
やはり楽しくやるということを大事にしていきたいですね。