第68回:「知的とは」by 手塚
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2010年10月11日(月曜)23:17に公開
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作者: 手塚太郎
先日、天体物理がご専門の磯部洋明先生からお誘いがあり、「お寺で宇宙学」というイベントで講演しました。
お寺で研究者が自分の研究を宇宙に絡めて一般人に紹介するという怪しげなイベントです。今回の会場は草津市内の光明寺というお寺で、七百年の歴史があるそうです。
お誘いを受けた時、「別に僕は宇宙の研究をしていないのだけどな……」と困ってしまったのですが、いろいろ考えた結果、「宇宙に知的な生命が存在するとしたら、それは人間とどれだけ違いうるか」という話ならできると思い、引き受けることになりました。
情報科学の研究者は日々コンピュータをより“知的”にするための研究を行っているわけですが、そもそも知的とは何なのでしょう。宇宙人を探すにしても、人間が予想もしていない形で“知的”な宇宙人であれば見逃してしまうかもしれません。逆に宇宙人は地球人が送った信号をまったく知的と思ってくれないかもしれない。
そもそも人間の知的な営みは主に演繹と帰納に分けられるかと思います。演繹において知的であるということは論理的な演算を行えること。つまり正しく計算できれば知的。一方、帰納において知的であるということの定義が難しい。データの山の中からルールや法則を見つけることが帰納的な知性ですが、方法が実に多様です。パターン認識や機械学習、データマイニングなど、現代の人工知能研究ではこちらが急速に発展しているように思うのですが、研究のアプローチが山ほどあります。
しかし共通点を挙げるとすれば、いずれの方法も何らかの目的関数を定義し、それを最大化あるいは最小化していることでしょうか。誤差の最小化、尤度の最大化、事後確率の最大化、報酬の最大化など、最適化するべき尺度を与えている。
そもそも我々が何かを知的であると感じる時、「目的を持っているように見えること」が条件ではないでしょうか。たとえば犬型ロボット「アイボ」によるサッカーの大会「ロボカップ」ではドリブルする機械が大変知的に見えますが、これはゴールという目的に向かって行動しているように見えるからではないでしょうか。
目的のあるところ、知性あり。その意味では“知的である”とはかなり恣意的な基準なのかもしれません。
機械学習ではニューラルネットワーク、遺伝アルゴリズム、強化学習など、生命現象を模倣したものが数多く提案されています。生命に限らず、「知的に見えるもの」に目を向けることは新たなアルゴリズムの発見に繋がるのかもしれません。もちろん、宇宙人を見つけることができればそれに越したこと無し……。
というように無理矢理宇宙に絡めた講演でしたが、関心を持って参加されている方が多く、会自体は盛り上がり、その後に酒と料理を囲んで行われた雑談会でもわいわいと議論に花を咲かせ、夜も更けたのでした。
「お寺で宇宙学」は今後も京都市内や近郊の寺院で定期的に開催されるようです。